生きている僕らの権利。~安楽死の社会適合性~

こんばんは、

一週間の終わりの金曜日!

今日のnoteを開いてくださりありがとうございます。


金曜日は本によるアウトプット、ということで今週も本からのアウトプットを紹介します。


○今週の本

今週読んだ本は、古市憲寿さんによる、「平成くん、さようなら」という小説です!

(小説のため、内容に対するアウトプットをするとネタバレになってしまいます。そこで、この本の中で取り扱われていたテーマに関して紹介していきます!)

○生きている僕らの権利

僕らに「死」を選択する権利はあるのか

ちょっとこれまでのnoteと異なって重いテーマになっています。


突然ですが、皆さんは「安楽死」ということについてどんな印象を持っていますか?

最近では、競馬に出場する馬がもう走れなくなってしまった時などに安楽死を選択する、というニュースがあったと思います。

また、安楽死を希望する人々を手にかけた医師が逮捕される、というニュースもありました。

↓実際に安楽死を巡って、様々な事件や裁判などが起こっています。


実際に安楽死をすることができるスイスでは、医療機関などと連携し、適切な手続きを踏み、安楽死という選択肢がその人にとって有益であると判断されれば、実際に安楽死をすることができるようです。


○自殺を防げるかもしれない??

今回、私は、「安楽死を導入すべき!」などといった立場は取りません。

あくまで中立です。

ただ、その中でも、"安楽死"という選択肢があることによって救われる可能性がある人々がいることを紹介したいと思います。


最近、芸能人の自殺がニュースになることが多いですよね。

何が彼らを苦しめていたのか。

そういったことは明らかになることなく、ただ残された私たちは彼らのことを案じて色々と考えてみることしかできません。

このようなニュースもあるように、

現状、生活の中で困ったことが発生した時の逃げの手段が「自殺」しかない

という事実があると思います。

これに対し、安楽死は「冷静に自分が死ぬべきかどうか」を考える猶予を与えるきっかけになると思います。

先述した通り、安楽死をすることになれば、専門家や医療機関でのカウンセリングを受けることが手続きの中で欠かせなくなってきます。

心理的な悩みを抱えている人であれば、その過程で悩みを解消することができるかもしれません。

金銭的な悩みを抱えている人であれば、そのカウンセリングの過程で自分にとって有益な補助の存在を知ることができるかもしれません。


このように「死」を前提として、冷静に語り合える環境が整えられる、という点で安楽死の整備は自殺の現象につながるのではないか、という説もあります。



○生きている僕らの権利

僕らに「死」を選択する権利はあるのか

ここからは私個人の意見となります。

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今の日本は「死とは遠いもの」という意識が自然ともたれてしまっているように感じます。

簡単に「死」にまつわる言葉を日常生活の中で使用するケースを見かけます。

ちょっとした辛いことがあっただけで「死」を連想させる言葉を使います。


こちらの方が、「死」への冒涜行為ではないでしょうか。

しっかりと、覚悟を決めた人が使う分には問題ないと思います。


でも、そのように、軽率な人がいるから、というか、軽率に扱っても問題がないという空気感を生み出してしまっているから。

日本の死は絶望的なのではないでしょうか。


だから、悩みを抱えた、本気で死と向き合っている人が悩みを打ち明けることのできる環境がなく、自殺という選択肢をとる人が、いるのではないでしょうか。


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金曜日なのに、ちょっと重めのテーマでしたね。

なかなか見つめ直すこともないと思うので、 このnoteを読み終わってから5分だけでも自分と死についてみて考えてみてはいかがでしょうか。

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