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”イシュケンタット”という都市。

私は、今”ishkentat”(イシュケンタット)
の街を列車で旅している。
白いシンプルなボディに
新幹線をさらに細長くしたような
近代的なフォルムをした列車だ。

そこから私は、流れていく車窓を眺める。

突然、車内に男性の声で
アナウンスが響き渡る。

「イシュケンタットの中心地です」

大きな窓から外を見れば、
青黒い影の中に、
青白くキラキラ輝く高層ビル群が細く高く、
天を突きさすように立ち並んでいる。
下方には濃い緑の森が見える。
完全なバランスの中に全てが在るようだ。
一枚の絵画みたいで、息をのむほどに美しい。
私はうっとり見惚れてしまった。

しばらくすると、大河が見えてきた。
オレンジの夕陽に照らし出された鉄橋に
列車はさしかかった。
ガタンゴトンと音を立てながら
走り抜けていく。

「この辺りはもう村です」

またアナウンスが入る。

外を見れば
赤茶色をした埃っぽい大地の上に、
ポツンポツンと離れた間隔で
土色のレンガと
かやぶきで造られた家々が立っていた。

家のテラスから、
小さな子どもたち数人、
こちらを笑顔で眺めている。
きっと我々の列車を見ているのだろう。

奥の方には巨大な気球のような形をした
ブランコみたいな建物が揺れている。

大きな柱に支えられた大きな傘のようなもの。
その下には縄が2本、
垂れさがっている。
一番下には人らしき影が見え、
前後に激しく揺れている。
あまりに大きく、
初めて見る形のブランコだ。
乗っているのは、
シルエットからでっぷりと太った
中年の男性のようだ。
夕暮れどきに子どもじゃなくて
大の大人がひとりで遊んでるのか。
私はちょっと呆れてしまう。
だが村自体の印象は、
とても清潔で美しかった。

ここで再びアナウンス。

「この駅で皆さま、ご降車ください」

我々は、いきなり列車を降ろされてしまう。
降りてみれば、
広々とした公園が眼前に広がっていた。

そこに緑は
まったくと言っていいほどになく、
赤茶色の土が公園一面を覆っている。

見たこともないような遊具が
等間隔で置かれており、
たくさんの子どもたちが群がって遊んでいる。
みな歓声を上げ、楽しそうだ。

ベンチには、子どもの親だろうか、
これまた、たくさんの大人たち。
座っている人もいれば、
ごろりと寝っ転がってる人もいる。

それによく見ると
褐色の肌の人、
透き通るような白肌の人、
色んな人種の人たちが入り乱れている。

共通して言えるのは皆、思い思いに
この美しい夕暮れのひとときを
喜びの中で過ごしてるようだ、ということ。

左側からドシンドシンと
大きな2頭の象に乗った
黒人の子ども2人がやってきたときには、
さすがに驚いた。

こんなにも多くの人で溢れ返っているのに、
息苦しさがまったくないのが
とても不思議だ。

ここにいる人たち全員が、
バラバラに動いてるのに、
示し合わせたように調和している。

私は、ふと噴水の方を見た。
褐色の肌をした黒髪の若い母親が
小さな赤ちゃんのオムツを替えている。

夕陽に美しく照らし出された母親の横顔。
どうやら鼻唄を歌っているようだ。
赤ちゃんはキャッキャッと笑い、
鼻歌に合わせるように
バッタバッタと手足を動かしている。

その風景が、あまりに神々しく
私は思わず胸が熱くなった。
気づけばハラハラと涙が流れていた。



ここで

パッチリ目が覚めた。

あまりにリアルな夢。
起きてすぐ、夫に興奮しながらしゃべった。

夫はすでに在宅ワークに就いていた時間。
私のコーフン気味の話は
かなり邪魔だったと思う。それでも
「うん、うん」
と黙って聴いてくれた。
聴き終わると、
「その話、何かに書き留めておきなよ」
とまで言ってくれた。

奥さんは素直だから
noteに書き留めてみました。

”イシュケンタット”
という名称をネット検索してみたのですが
そんな言葉は存在せず。

関連する言葉で出てきたのが
ウズベキスタンの都市
「タシケント」という都市名で、
よって写真はタシケントの写真を
フリー素材で探して貼ってみました。

ある種の小説だと思って
読んでもらえれば

幸いです。


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