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赦すこと

幸せになるためには、赦すことが大切であるとよく言われます。

私も幸せの鍵は「赦し」であることに全く異論はありません。

しかし、問題に思うのは「赦し」の意味がこれまた、前記事で触れた「足るを知る」同様、広く誤解されているということです。

「むかつくことや苛立つことがあったとしても、立ち止まり、状況を客観視して、その出来事を赦すべきです。赦してみるとあら不思議、イライラが消えて心が楽になっています」
という意味で赦しが捉えられていることが本当に多い。

しかし残念なことに、この赦しは賢者の言う「赦し」と大きくかけ離れているのです。

結論から先に述べます。
真の「幸せ」へと続く本当の「赦し」とは「全てを赦すこと」です。「無条件の赦し」と言っても良いかもしれません。
文字通り、何でもかんでも赦すのです。

誤解されている赦しと本当の「赦し」の何が異なるかわかりますか。

もう一度、誤解されている赦しを見てみましょう。

「むかつくことや苛立つことがあったとしても、立ち止まり、状況を客観視して、その出来事を赦すべきです」

これは、「赦すべき」、「赦さなければならない」という考えに基づいています。

「それがどうした」とあなたは思うかもしれませんが、実はここに大きな問題があります。

赦すべき」、「赦さなければならない」と考えている人間は、必然的に赦せないものを持ってしまうのです。

それは「赦したくない」、「赦すことができない」という考えです。
赦そうとして、赦せないものを出現させてしまう。
誤解されている赦しは、このように、赦せないものを自動的に抱えるという矛盾を孕んでいるのです。

一方で賢者の言う「赦し」は、「全てを赦す」のです。
赦したくないという考えすらも赦す
のです。

この真の「赦し」に気付いてください。

この「赦し」こそが幸福への鍵なのです。

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