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フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。

 今春、飯舘村、富岡町、浪江町など、深刻な汚染で住民の自宅への帰還が制限されていた地区で「避難指示」が次々に解除された。「除染は終わったので、帰っていいですよ」という意味だ。では、住民は戻ってきたのか。それを知りたかった。

 その「先例」として、一足早く昨年7月に避難指示が解除された南相馬市小高(おだか)区を訪ねてみた。同市南部で原発寄りの小高区は、20キロという人工的な線でざっくりと切り取られるように立入禁止区域(警戒区域)になってしまった。記者はもちろん、住民ですら自分の家や会社に入れなくなった。

(2013年12月13日『福島民報』)

 今年4月下旬、小高区をクルマであちこち訪ねてみた。小学校や高校のグラウンドに、生徒たちの姿が見えた。無人の街ばかり見てきた私にはうれしく、新鮮な光景だった。


(2017年4月25日、福島県南相馬市小高区で)

 しかし、どこか様子がおかしい。さらに詳しく調べてみると、その実相が見えてきた。

 なぜ、子どもたちが戻ってきているように見えても、街は復興しないのだろうか。

(冒頭の写真は南相馬市南部の放射性ごみの集積地。除染の産物である。2017年4月24日)


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