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雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ…… 宮沢賢治と繋がる日

回復期リハビリテーション 外来通院の朝
大雪警報で道は大渋滞だった。

外は 大雪
その中で 咲く 椿に 見惚れた。

“雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ…  “
頭の中で 宮沢賢治の詩が流れて来る。

小学校の体育館の壁に 何枚もの陶板で
描かれていた 詩。

いまでも その景色は 浮かんでくる。

ギランバレーで 歩けなくなり 手も 動か無かった 
まるで 大木の時

頭の中でまた 流れていた

”我 木偶の坊(デクノボウ)になったな“って

ふと 雪椿を眺め…

この詩の出来た 背景を観ていた。
死後 鞄から発見された….

え?

え? 宮沢賢治って サラリーマン?
え? 鉱山技師
え? 肥料の神様
え? 山師
え? …….

詩を詠み 暮らしていたと思っていたが
何も知らないかったと
(↓クリック)

下記のリンク
“宮沢賢治が技師として働いた町
石っこ賢さんと 東北採石工場”を 
読み 何にも知らなかったと



浦島太郎
今は まだ 体力的には 小学生
頭の中も 小学生に戻り

体育館の壁の 陶板を 眺めている

雪椿を観て
宮沢賢治と 繋がる日

“石っこ賢さん“いい響きだ

ギランバレー
回復期リハビリテーション病棟にて 記す

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