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走れ、私!~『走ることについて語るときに僕の語ること』2月前半の読書記録

「走れ」と言われているので、ほとんど毎日走っています。
そう、かの有名な作家、村上春樹にね。

…もちろん嘘です。

走っているのは本当ですが、村上春樹ではなく、主治医に「走れ」と言われています。
「できれば毎日、心拍数120以上の運動を連続して20分、とりあえず、次に来院するときまでにやってみてください」と言われたので、即座に「嫌です!!走る以外の方法でお願いします!!!」と言いたくなったのですが、いま一番私が手に入れたいのは、スムーズな入眠であることに間違いないので、約束通りほぼ毎日走っています。走りやすい気候ですしね…。

とはいえ、走ることは嫌いなので、出来ればやりたくありません。

そんな私が走ることに対して前向きになりたい…と思って手に取ったのが、この『走ることについて語るときに僕の語ること』です。

私は村上春樹氏がランナーであることをどこかで知っていて(何かのエッセイで読んでいたのだろうか?)ランニングと言えば…!と思い、自分自身のモチベーションをあげるために読みはじめました。

この本は「走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール。」(文春文庫の紹介を引用)とのこと。

小説やエッセイの執筆、翻訳、講演を行いながら、フルマラソンやトライアスロンなど、走ること・身体を動かすことについて、思いを寄せています。

そして、このエッセイ、ものすごく読みやすいです。

難しい単語も出てきませんし、上から目線の啓蒙もありません。
私が「走ること」に興味をもっているからかもしれませんが、す~っと心に馴染みました。

世間にはときどき、日々走っている人に向かって「そこまでして長生きをしたいかね」と嘲笑的に言う人がいる。でも思うのだけれど、長生きをしたいと思って走っている人は、実際にはそれほどいないのではないか。むしろ「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十全な人生を送りたい」と思って走っている人の方が、数としてはずっと多いのではないかという気がする。
(中略)
与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの
(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。

『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用

しかし僕自身について言わせていただければ、「基礎体力」の強化は、より大柄な創造に向かうためには欠くことのできないものごとのひとつだと考えているし、それはやるだけの価値のあることだ(少なくともやらないよりはやった方がずっといい)と信じている。

『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用

あまりにも引用ばっかりして恐縮です。他にも個人的には金言と思える箇所がたくさんあったのですが、このくらいで。

私は、やっぱり走ることが嫌いだし、必要がなくなれば(=病状が軽くなれば、医者からの指示がなければ)走るのをやめようかな~と思っていたのですが、せっかく習慣になりつつあるので、創作者の一人として(自分のことをそう呼ぶのもおこがましいのですが)ちょっとだけ、ランニング続けてみようかな…と思ったのが以下の部分です。

しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。言い換えればパワフルな物語を立ち上げられるようになる。そしてこの自己免疫システムを作り上げ、長期にわたって維持していくためには、生半可ではないエネルギーが必要になる。どこかにそのエネルギーを求めなくてはならない。そして我々自身の基礎体力のほかに、そのエネルギーを求めるべき場所が存在するだろうか?

『走ることについて語るときに僕の語ること』より引用

私の場合ですが、たとえ20分とはいえ、心拍数120程度で走り続けていると、感情が「無」になることが多く、瞑想をしているような気持ちになってくるので面白いです。

走り続けるために、スマートウォッチ、買おうかなぁ?

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