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「教員は常識がない」という批判は本当か?

教員に対する批判としてよく聞く文言がある。

「教員は常識がない」

今回はこの文言について、わたしが感じる実態とそこから得た意見を、正直に書いてみたい。



まず「教員は常識がない」と言われる理由は何だろうか。



ひとつめは、大多数の教員が一般企業に勤めた経験を持たないことにより教員の仕事しか知らないという印象があるのではないかと考えられる。

教員免許は基本的に大学(または短大や大学院)へ通わなければ取得できないため、学生のころから将来を決め、卒業後は一途に勤めてきていると思われやすいのかもしれない。

たしかに新卒のころからずっと教職に就いている教員は多くいるし、ひと昔まえであれば大多数がそうだったのかもしれない。

しかしわたしは一般企業に勤めてから教員を志したし、同僚にも同様の経緯を持つ者は多くいる。

そういえば担当している学年団のうち、半数以上の教員が一般企業の経験者だったこともある。当時は会議が長引きそうになると「今後は全員立って会議しませんか?」などという教員らしからぬ提案が出たこともある。

したがって「教員は一般企業に勤めた経験がないので常識がない」という理由については、現状を踏まえると共感できない。

地域性などもあるのかもしれないが、わたしとしては、時代錯誤の感が否めない。



ふたつめは、学校が特殊な環境であり、一般企業から掛け離れたような独自の風潮を持つという印象があるのではないかと考えられる。

風潮の詳細はさまざまだが、わたしは真っ先に無駄の多さが思い浮かぶ。

生徒対応も保護者対応も部活指導も授業準備も、ともすれば空き時間の使い方も、そのほかの何もかもが無駄だらけのように見えてくる。

一般企業を経験したわたしは、教員になりたてのころ、現状を目の当たりにして驚いた。

休み時間に生徒と雑談している教員。大切な相談ではなく、他愛もない日常会話をだらだらと続けている。
それどころか職員室では教員同士も雑談している。昨日の高校野球の結果について好き勝手に分析まで繰り広げている。
おまけに放課後はわざわざジャージに着替え、ランニングする教員までいる。部活指導ではなく、単なる個人のトレーニングとして、運動部の生徒に紛れ込みながら汗を流している。

決して暇なわけではない。
遅くまで残業をするくらいなら、すこしでも早く帰れるよう仕事を進めておけばいいのに。
わたしはそう感じたこともある。

したがって「学校という特殊な環境下で独自の風潮がある(無駄が多い)ので常識がない」という理由については、現状を踏まえると大いに共感できる。

学校の体制によって幅はあれども、地域性はあまり関係ないだろう。



さて、上記を踏まえて私が最も伝えたいことは、ここからである。

教員には一般企業の常識が通用しない。
それはたしかに悪い点でもあるが、その一方で、良い点でもあると言えるのだ。


常識がないことを良しとするのか?
だからいつまで経っても旧体制のまま変わらないのでは?
と思われるかもしれない。

しかし学校は一般企業ではない。
効率化や合理化を図りながら利益を最大の目標として努める場所になってはならない。

(私立はどうなのかと思われるかもしれないが、目の前の生徒対応が、巡り巡って利益に繋がるのである。少なくとも日々取り組むべきことは利益を獲得するための直接的な努力ではなく、生徒の成長を見守るための努力であるはずだ。)



先述した無駄の多さについても、一般企業だと使い物にならないかもしれないが、学校であれば話は変わる。

わたしもすぐそのことに気がついた。

なぜなら「無駄を省いて効率的に仕事を進めよう!」などと言っている意識の高そうな教員よりも、休み時間に生徒と雑談したり、職員室で教員と雑談したり、放課後に運動部の部員とランニングしたりする教員のほうが、実は生徒から好かれ、生徒の実態をより深く把握しているかもしれないからである。

教員には、穏やかにどっしりと構え、さまざまなコミュニケーションを楽しみながら無駄を満喫できるような余裕も大切なのかもしれない。

このことは以下の記事にも関連している。



わたし自身も高校生のころ、忘れ物を取りに体育館へ訪れた際、体育の先生がひとりで体操をしていた姿が思い出される。

その姿が妙におもしろく、堪えきれずに笑っていると、先生は自分の専門が体操であることや、年齢を重ねて体が動かなくなってきたことなどを話してくれた。
いつも厳格だった先生の違う部分を知った気がして、わたしはとてもうれしかった。

あの時間は教員の業務として無駄である。
でもひとりの生徒であるわたしにとってかけがえのない時間だった。



ただ、もちろん学校が何から何まで一般企業と掛け離れているべきだとは思わない。

たとえばよく言われる時間外手当(休日の部活指導など)の支給や、働き方改革のひとつとして職員全員が定時退勤を徹底する日の設定など、わたしが勤めてきた高校においてもさまざまな取り組みが行われてきたし、それは必要なものだろう。

しかし、その一方で、特殊な環境である学校は一般企業の常識が通用しないからこそ良いものであり、生徒はそんな人間味のある教員を求めているということも忘れてはならない。

「教員は常識がない」という文言は、批判かもしれないが、見方を変えればもしかすると褒め言葉かもしれないのである。

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