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傘が当たらないように気遣えば

雨が降り続く。どんよりとした雲が空を覆って、私たちの気持ちを押しこむように、沈ませるようにたちこめる。まさに「今」を象徴するように。「今」は一層その気配が色濃く現れる。私は沈んでしまいそうな気持ちを映画を思い出すことによって持ち堪える。

その映画の名は『言の葉の庭』、『君の名は』でその名を知らしめた新海誠監督の映画作品だ。私は新海誠作品の初めては『言の葉の庭』だった。

その作品を観たとき、雨の情景を切り取るのが上手な方なんだなと思った。新宿御苑行ってみたくなったし。きれいで、さみしくて、だけどやっぱりきれいが先行するような。言葉にするとちょっとやすっぽくなるのでこれくらいにしておく。短編なので、とても観やすかったのを覚えている。

映画に登場する青年は雨を楽しみしていた。私もこんな風に雨を楽しみにできたらいいと思いつつ、雨に降られるとどこか沈んでいる自分がいた。元来のネガティブがここぞとばかりに顔を出す感じ。だけど青年にも楽しみがあったように、私も雨の中に楽しみを探し出そうとしてみた。見つかればラッキーくらいの気持ちで。


ある夜、傘を差し信号が青になるのを突っ立って待っていた。少しばかり俯きながら。すると全ての信号機が赤になって、自分の左前に車が止まった。目の前の信号が青になって、横断歩道を私がわたり始めると降り注ぐ雨が視界に入った。その様子が、ヘッドライトに照らされて四方八方に雨が弾ける様が、白黒のステージに舞う夜の踊り子のようにみえた。突然現れた情景に不覚にもちょっとばかし、きれいだと思ってしまった。

雨の楽しみを探し出すことはできなかったけれど、雨の情景の、少しばかりきれいな一瞬を自分の中におさめることができた喜びがあった。

だから今は雨に降られても、あの情景を思い出せば大げさな気持ちの沈みはない。それでもチラチラとネガティブはのぞいてくるんだけれども。こればかりは雨というより個人的なものだと自己完結している。


雨が降ると私は当然のように傘を差す。当然のように周囲も傘を差している。歩いていて広い道だと滅多に傘が当たることはなく、狭い道でも大抵こちらが通るまで待ってくれていたり、反対にこちらが待ったりする。

雨空の下の距離感ってちょうどいいなと思った。近すぎず遠すぎず、狭い道であれば自分が通れるように、向かってくる相手も通れるような気遣いができればなおいい。

今の世の中、適度な距離感を保って小さな気遣いを持っていたい。いつも忘れそうになるけれども。



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