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スピリチュアル童話 【お金配りおじさん】

「お金配りおじさん」と嘲りを受けたことが宇宙へ旅立つ決意をさせた。
お金をタダで配って何が悪い。みんなが欲しがっているものだろう。必要としている人もいる。あって困るものでもないだろう。
それなのに、どうして馬鹿にされたり、金で人気や関心を買おうとしていると後ろ指をさされなくてはならないのだ。

おおっぴらには言わないが、正直なところ、なにをしても人の足を引っ張ろうとしてくる世の中に心底、嫌気が差していた。

稼いでみればわかる。金なんてものは所詮、金でしかない。
たいがいのものは金があれば手に入る。それはまぎれもない事実だ。
しかし同時に、いくら金があっても、やはり手に入らないものもある。
そう、例えば永遠の安らぎ。
歪みや争いのない世の中。
誰もが笑いあえる世界。
差別や妬みのない日常。
自然や動物を第一に考える、愛と優しさにあふれた豊かな地球。
そんな永遠の息づく場所は一体どこにあると言うのだろう。

お金でたいがいのものは買える。そう、人の関心さえも。
だからといって、この世に安息の地を見出すことは金の力をもってしても難しい。

金の力にも、やはり限界はあった。

しかし「金は無力だ」なんて不用意に言えば、また袋叩きにされるだろう。
ぼくが変えたいのは、それだった。
そんな人間の心、そんな人間のあり方だった。
そして、けっきょく最後は金の力に頼るしかない自分の無力さだった。

でも、やっぱり、もう無理だ。

たくさんの人にすぐれたサービスを届け、喜びを贈り、お金を頂き、従業員たちには仕事という生きがいを提供する。
充分な休暇も与え、誕生日にはサプライズでプレゼントさえ配り、それぞれの人生を輝きにあふれさせる道筋だって整えた。
そして、ほとんどのことは達成できた。
そしたら、子供のころ憧れたスーパーヒーローにだってなれるだろう。
きっとそうに違いないって思ってた。

なのに、いつになってもスーパーヒーローになんてさっぱりなれた気がしない。
何をしても、心にぽっかり空いた穴はふさがらない。

楽しくて喜びにあふれ、活力が無限に湧いてきたのは初めのうちだけで、
一度軌道に乗ってしまったあとは、もう何をやっても手応えがなかった。

そう、みんなが喜ぶのだって、そのときだけだ。

どれだけ与えても、何かが根本的に解決できたわけじゃない。

お金がなくなれば、まだ欲しいと言い出して、いつまで経っても満ち足りない。

こいつら、銭ゲバかよ。
人を好き放題ばかにしながらも、そのくせ、やっぱり金を欲してる。

ぼくはそんなことを思いつつ、もちろん顔では笑ってた。
喜んでくれるお客様や従業員たちの前で、渋い顔は見せられない。
だから顔面に笑顔を貼りつけた。
Photoshopでニコちゃんマークのスタンプをコピーしてペーストするみたいに、来る日も来る日も顔面を覆うように貼りつけた。

でも、ぼくの心は、その笑顔の奥に埋もれて、きっと腐った蜜柑みたいになっていた。

そしたら、ある晩。
ぼくは独りで夜空を見上げながら、ひらめいたんだ。

そうだ、宇宙だ。
あの宇宙へ行ってみよう。

考えてみれば、ぼくは、それを可能にできるだけの大金を持っている。
そして、こうなったら、もう命だって惜しくはない。
お金で味わえる楽しみは、もうすべて堪能して飽き飽きしていた。
でも、そう――すべてと言っても、
よく考えてみると、ぼくがやったのは地球上で行えることだけだった。

どうして、もっと早く気づかなかったんだろう。
地球がだめなら宇宙へ行けばよかったんじゃないか。

その気づきは、ぼくをひさかたぶりに興奮させた。

そうだ、あとは宇宙しか無い。
絶対に行こう。
何が起きたって構わない。
ロケットが大気圏で爆発炎上したって悔いはない。
誰にも打ち上げられない花火を特等席で見られるだけのことさ。

ぼくはどうしても宇宙へ行くしか無かった。
人は表向き「すごいですね」などと言いながら裏ではぼくがトチ狂ったか、また人の気を引こうとしているなどと言って嘲り笑うのかもしれない。

だとしても、それはあくまで地球の重力圏内のことなのだ。

宇宙へ到達したとき、ぼくは、もう地球上にいない。
あの、つまらない人間たちの悪意が渦巻く地球から完全離脱しているのだ。
すごい。
想像するだけでも素晴らしい。
そして、そんなちっぽけな人々が、ミジンコよりも小さくなった日本列島を、はるか天空の彼方からぼくは眺める。

そのとき、ぼくは、どんな気持ちになるのだろう。

神様になったような気持ちになるのか。
世界を支配したような気持ちになるのか。
はたまた、ガガーリンみたいにベタに地球の青さに驚嘆するのか。

あるいはーー。

宇宙に来ても、やっぱりどうってことないと思ってしまうのか。

その可能性も少なからず在る気がしていた。
もう今では、どんな高いタワーに登っても、どれだけ青い海を見ても、珍しい外国へ行っても、ぼくの心はさっぱり動かくなっていた――。

そんな不安を抱えながら、ぼくは宇宙へやってきた。

「マジか。本当に宇宙に来ちゃった。夢が叶った!」

それはウソいつわりのない喜びだった。
なにしろ体感が地球のそれをはるかに超えている。
重力がないのだ。

――遂に神の空間へやってきた! 

ぼくは何十年ぶりかで生まれて初めて遊園地へ来た子供みたいに喜び、はしゃいだ。
この瞬間のことは絶対に一生忘れない。感激の中でそう確信したんだ。

でもね、やっぱり正直に白状しておこう。
本当のところ、そんな意識の昂揚も長くは続かなかったんだ。

宇宙に来ても、ぼくの心はどこかで曇ったままだった。
青い地球の丸みを帯びた輪郭の向こうから太陽の光があふれてきたとき、
そう、たしかに感動したと思う。
でもね、もっと正確に言うと、本当はこんな心境だったんだ。

「いつかテレビで見た通りの景色だな。
 でも、せっかく宇宙まで来たんだから、感動しないともったいない」

何百段もある石段を登って、やっとたどりついた本殿が、思ってたほどじゃなかったときの気分と言ったら伝わるだろうか。

ここまで苦労して宇宙まで来て、それでもぼくの心は、この程度なのか。

そう、正直に言えば、自分で自分にお仕着せた感動の直後、心のなかに抑えようもなく湧き上がってきたのは自分に対する暗い絶望だったんだ。

ぼくの心は、どこまで乾ききってしまったんだ。

普通の人なら100回生きても支払えないような額を払って、長くて辛い訓練まで受けて、命がけで地球を脱出したんだぞ!
なのに、この程度の気持ちでいるなんて自分に腹が立つよ!ありえない!

でもね、ぼくのすぐ横でカメラが回っていたらから、ぼくは努めて感動しているふうを演じていたんだ。
だって「民間人として初めて宇宙に来た人間」が初めて地球を自分の目で見たのに「うーん、なんかイマイチだね」なんて言えるわけがないだろ?
ぼくは人類の希望にならなきゃいけない。
だから笑顔を顔面にコピペしたんだ。
地球に居たときと何も変わらない気持ちで。つまらないぼくのままで。

そして宇宙船の中で初めての就寝の時間がやってきた。
カメラはもう回ってない。
僕は無重力のなかで眠ろうとしながら身体がグルグルと回ってしまってうまく眠れず、そしたらなぜだか悲しくなってきて人知れず独りで泣いたんだ。

なかなか寝つけなかったからじゃない。
ぼくは、完全に宇宙で迷子になっていた。

宇宙まで行けば、きっと何かが変わると信じてた。
なのに何も変わらないどころか、ますます心のむなしさは増すばかりだ。

そう、宇宙に来てみて、ぼくは初めて気がついた。

ぼくはいつでもお母さんに抱かれていたんだ。
母なる地球とはよく言ったものだ。
地球の大地とは、優しい母親のぬくもりだった。
どれだけ悪意に満ちた人々がいても、お金を追いかけるばかりのつまらない人たちで溢れかえっていても、そこはどこより愛するに値する場所だった。

暗い宇宙空間に浮かぶ太陽は、さしずめ僕の父だった。
亡くなった父は太陽となって、いつでもこの世界に光を与え、
亡くなった母は地球になって、いつでも僕を包んでくれていたらしい。

どうして僕は、宇宙なんかに来てしまったんだ。
こんな冷たくて、ぬくもりのない場所にはもう一秒だっていたくない。
早く地球へ帰りたい。あの場所こそが安息の地だ。

実のところ、ぼくは宇宙に来てから3日もしないうちに、そんな気分になっていた。
もちろん、そんなこと誰にも言わなかったけれど。
また袋叩きにされたり、ぼくをきっかけに宇宙へ憧れを抱いた子供たちの夢を壊してしまうようなことはしたくなかったから。

でも本音を言えば、ぼくは早く地球へ戻りたかった。
こんな宇宙でもくずとなるのは絶対にいやだ。
やっぱり死ぬなら地球がいい。
あんなに「いつ死んだって構わない」と思っていたはずなのに、ぼくは生きることに対する執着がなぜだか急に湧いてきた。

そして、あんなにも憎悪して見放していた地球という星を、そこに住んでいるすべての人々に対する愛情が突如、胸にこみあげてきた。

「ありがとう。みんな、ぼくと出会ってくれて、ありがとう…!!」

地球へ帰還する日、なぜだか僕は泣いていた。
今度は悲しみの涙じゃなかった。
それはあまりにも意外なことに、感謝の涙だったんだ。

ぼくは、すべての人々を愛していた。
ぼくを「お金配りおじさん」と嘲り、あいつは頭がイカれてると愚弄してくる人々や、国境という見えない線を巡って今も生きるか死ぬかの戦いの中にある、会ったこともない異国の人たちにさえも、なぜだか愛を感じてた。

なんということだ。
どうやら、ぼくは、あの地球が何を差し置いてでも好きだった。 
あの愚劣で、ひどいことばかりの地球が好きだった。
この世界になら、ぼくのすべてを捧げたって構わない――!

そんな思いの中、ぼくらの船は大気圏へ突入していく。
ぼくは身体が千切れそうな激しい重力の中で気がついた。

ぼくら人類に欠けていたのは、そうーー感謝で心を満たすことだった。

もしもどんなに憎たらしい相手にも「ありがとう」が言えたらどうだろう?

それこそが、この世界がずっと遥か遠くの古代から、
そして他でもない、このぼく自身が、
心の奥底でずっと探し求めていたゴールだったに違いない!

そして無事に地球へ戻ってくると、

「あーあ……やっぱり戻ってきちゃったか」

人間とは本当に身勝手なものだ。
あんなに戻りたいと思っていた地球なのに、いざ戻ってみると、なんだか思っていたようなありがたみを感じない。
そう、しばらくぶりに田舎に帰って、母親の作ったご飯を食べたら、うん、悪くはないんだけど思ってたほど美味しくはなかったみたいな感じ。
俺は肉より魚のほうが好きなのに「子供はみんなお肉が好きでしょう?」とか言って、無神経にお肉を出してくれちゃう感じ。

「でも、まぁいっか」

そう、完璧なものなんて、なにひとつない。どこにもない。
だからこそ、この世の中は生きるに値するってことなんだ、きっと。
そんな世界に生まれたことこそが、ありがたみだったに違いない。
だったら何度でも何度でも伝えようじゃないか。
ありがとうという感謝の言葉を、惜しみなく愛をくれる、この母に。

そして地球の重力にようやく慣れ始めたある日。
ぼくは、ありったけの財産をひとつのイタズラに投下した。

「今日から、ぼくは『お金配りおじさん』を卒業して『ありがとう配りおじさん』になります」

それは僕の策略だった。

「『ありがとう』を唱えてる動画をぼくに送ってください。あなたが『ありがとう』を1回言うたび、あなたに1円をプレゼントさせて頂きます」

つまり、ありがとうを1万回唱えれば1万円。
100万回唱えれば100万円ゲットできるという寸法だ。

25000回唱えるのに4時間くらいかかるらしいから、およそ時給6000円。
100万回唱えるためには、およそ80時間かかる計算だ。
普通に睡眠をとっても、ずっと唱えるならきっと1週間くらいで達成できる。
長くても1ヶ月もあれば充分達成できるだろう。

さて、どれだけの人がこの企画にチャレンジするだろう。
もし日本の3分の2の人が全員100万回言ったら、ぼくが支払う額は100万✕1億人だから100万臆円、つまり100兆円。
でもきっと現実は、その1000分の1くらいだろうから1000億円。

うん、それなら大丈夫。全財産をはたけば充分、支払える。

そして1億人の人が1万回のありがとうを唱えはじめたら?

きっと地球が始まって以来そんな国はひとつだって無かったはずだが。

一説によれば全国民のたった5%が、ある特定の行動を起こすだけで、いわゆる「100匹目の猿」現象が起こって、その行動習慣は全体へ猛烈な勢いで伝播していくものらしい。

そうして、この国に「ありがとう」の心が満ち溢れていったなら?

人々は、いまだかつてない意識の大変容を起こしてしまうのではないか?

この日本から始まった「ありがとうの嵐」が世界中へ広がって、この地球は、ありがとうの花が咲き乱れる星へと生まれ変わってしまうだろう。

そんな夢のような光景を描きながら、ぼくはカメラの向こうへこう言った。

「皆さん、今日も集まってくれてありがとうございます。
 ぼくは宇宙で見ました。もう天国がすぐそこまで来てるのを!
 ――さあ今こそ皆で一緒に門を開いて、天の国へと向かいましょう!!」


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