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横溝正史『びっくり箱殺人事件』《砂に埋めた書架から》53冊目

 先日(2021年10月9日)、NHKの地上波で『獄門島』が再放送された。今から五年前にNHKBSプレミアムで放送されたドラマ番組である。

 主演の長谷川博己が金田一耕助を演じており、新鮮味のある狂気的な演技で、従来の金田一像に新風を吹き込んでいた。私としては、頭を掻き毟ってもフケを詳細に描かないところに、清潔な印象を持った。

 原作の『獄門島』は中学時代に読んでいる。懐かしくなり、ドラマを視聴したあと自分の本棚にあった原作本を手に取ったら、手元が狂い、つい隣にあった横溝正史の『びっくり箱殺人事件』を取り出してしまった。けれども、ぱらぱらとめくっていたら面白くなり、『獄門島』をそっちのけにしたまま二日間で完読したのだった。思えばこの作品も、初めて読んだのは中学のときだった。

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『びっくり箱殺人事件』と聞いても、馴染みのない人は多いと思う。この推理小説に名探偵の金田一耕助は登場しないからだ。横溝正史の作品の中でも、おそらくこの作品は異色であろうと思われる。理由は、この小説の基調となる語りが、まるで活弁のような口調で、実にユーモアに溢れているからなのだ。活弁とは、無声映画の時代に場面の状況を説明したり、俳優に成り代わって台詞をあてたりした弁士のことである。当時は独特の節回しで観客を魅了したようだが、あとにも先にも、横溝正史がこのような文体で書いた作品はないのではないだろうか。

 小説の舞台も、まさに活弁の語りにうってつけの場を横溝正史は用意している。『びっくり箱殺人事件』は、戦後まだ間もない頃、東京丸の内にある、中くらいの劇場「梟座」で起こるのである。


 梟座では、ステージの上で華やかな踊子嬢たちが音楽に合わせて高く足を差し上げるレビューショーが人気を博していた。梟座の興行主任は、この機運に乗じてスリラー風の軽演劇『パンドーラの匣』の上演を企画する。その際に協力を仰いだのが、多芸多能で有名な元活弁士の深山幽谷先生だった。幽谷先生は、仲間の役者たちを引き連れて怪物に扮装し、自らも舞台に上がり、スリラー劇『パンドーラの匣』を盛り立てる。ところが、初日から七日目に事件が起こる。上演中に、舞台にあった匣を開けた役者が、何者かによって仕掛けられていた凶器で殺されたのだ。強力なスプリングが取り付けられたナイフに胸を刺されて……。


 事件は本格的である。ミステリー小説としても十分に本格派である。にも関わらず、この作品には全体にわたって可笑しみが漂っているのだ。先ほども述べたが、その理由は文体が活弁口調で書かれていることにあると思われる。すべてがその体裁で貫かれているわけではないが、折々、活弁の名調子が文章を飾り立て、読んでいて明るい高揚感が湧き起こるのである。この小説においては、登場人物の一人一人が、すべて舞台の演者に思えてしまう。事件の通報を受けて梟座に駆けつけた、横溝作品ではお馴染みのあの等々力警部でさえもである。

 この小説では、場面の転換や物語の展開をスピーディーにするために、様々な工夫が盛り込まれているのだが、等々力警部が登場したとき、この小説の語り手(作者本人と思われる)が、本編の最中に読者へ向けて断りを述べる箇所がある。小説の語り手が顔を出し、読者に呼びかけるケースは、娯楽小説や時代小説などではさほど珍しいものではないのかも知れないが、今回の再読に際し、私はこれまでになくその部分に注目したのだった。

 少し長いが、以下に引用したい。


〈 さて、これからいよいよ捜査陣の活躍ということになるのだが、これをかの高名なヴァン・ダイン先生やエラリー・クイーン君の探偵小説みたいに克明に描写していては、ただいたずらに検事や警部や警部補や、その他大勢みたいな人物が右往左往するばかりで、ややこしくなるばかりか、書くほうでも読むほうでも面倒臭いばかりだから、ここには一計を案じて、捜査陣全体を等々力警部なる人物によって代表してもらうことにする。つまり等々力なる警部は、実在することはするんだがここでは捜査陣全体の人格化された人物と考えてもらってもよろしい。どうせこういう小説に出て来る警察官なる人物は、たいてい筋をはこぶうえでの狂言回しみたいなものだがここでは等々力警部に進行係をお願いしようというわけである。〉

横溝正史『びっくり箱殺人事件』第五章 会議は踊る より.


 横溝正史の探偵小説において、警視庁の等々力警部は東京で起きた事件の捜査及び探偵の協力者となる人物だ。等々力は、有能で実直な警察官の顔を持つが、この『びっくり箱殺人事件』ではこの通り、代表的な狂言回しの人格を与えられ、キャラ変させられてしまうのである。言うなれば、この一文のあと、まさに等々力警部は作者の一言によって、正式に横溝流ファルス(喜劇)の舞台に立つ演者になったのである。こんなメタフィクションのような作品、他の横溝作品を見渡しても見つかるものだろうか。

 横溝正史の筆は、山陰地方や瀬戸内の孤島で起こる陰惨な事件とはまるで違う雰囲気で進行し、いい意味でふざけている。悪乗りを楽しんでいる。もう滅茶苦茶である。こんなに明るかったのか、横溝正史は。梟座の舞台裏は真っ暗である。その暗がりの中でも事件は起こり、多くの役者たち踊り子たち舞台製作者たちが上へ下への大騒動、てんやわんやの大騒ぎ、ドタバタ、じたばた、ボエンにモギャーッ、劇場を離れた場所ではお笑い付きのお色気もあり、私はこれで三度目の再読だが、大いに楽しんだ。

 冷静に読んでも構成は素晴らしいし、トリックも素晴らしい。これは本当に偶然であり知らなかったのだが、この作品は昭和二十三年に書かれていて、このとき並行して書いていたのが『獄門島』なのだという。私は毛色の違う二つの作品を同時に書けることに驚いたわけだが、ひとつ気付いたことがあった。『獄門島』で使われているあるトリックが、この『びっくり箱殺人事件』でも使われているのである。同じトリックでも、その切り口の違いでこうも鮮やかに色を変えて読者を楽しませてくれるのかと、私は改めて感心したのだった。

2021/10/17


書籍 『びっくり箱殺人事件』横溝正史 角川文庫

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今回の書評(感想文)は新作ですので、いつもの【追記】はありません。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。



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