見出し画像

逢坂剛『百舌の叫ぶ夜』《砂に埋めた書架から》64冊目

 ハードボイルドとは何か。その定義を自分なりに考えているうちに迷子になってしまった。ミステリーやクライムノベルでなくても「ハードボイルド」は成立するのか。ハードボイルド風、ハードボイルド・タッチと呼ばれるとしたら、その作品のどのような要素を指すのか……。

 暗闇の中で考えていても仕方がない。迷ったらハードボイルド小説を読むに限る。そう思って逢坂剛百舌もずの叫ぶ夜』を読んでみた。この小説の登場人物たちの会話には特徴がある。皮肉屋で、相手の言葉を先回りし、気の利いたひと言でやり込める。つまり、嫌味が爽快に感じるほど頭の回転がいいのだ。特に主人公倉木くらき尚武なおたけの人物造型が出色だった。彼の内面を作者は描かないが、表情や仕草や行動から伝わるように工夫がなされている。彼の心の内は、周囲にいる人物が彼を推し量るその言葉によってしか窺われない。言い換えれば、倉木尚武が何を考えているかを知るには、それ以外に方法がないように描かれているのだ。

 これこそが「ハードボイルド」の原則ではないだろうか。内面を窺えない主人公のことを知る唯一の手掛かりが、彼の「言葉」と「行動」にあるのなら、読者はそこに緊張感をもって注目せざるを得なくなる。主人公が強烈なインパクトを伴う言葉と行動力の持ち主であればあるほど、その造型に魅力が生まれ、読者は彼の内面を想像するとともに、その人間像に強烈に惹き付けられてしまうのだ。

『百舌の叫ぶ夜』は昭和六十一年(1986年)に集英社から単行本として刊行された。これを原作としたTBSドラマが2014年に『MOZU』として放送されたことから、比較的最近の作品のような印象を持たれている方もおられるかと思うが(私がそうだった)、実は今から三十七年も前に書かれた小説なのである。

 本編の語りは基本的に三人称だが、章や節によって様々な人物の視点を借りる群像劇のスタイルを採用している。ときには誰の視点で語られているのか不明のときがあり、それがしばらく後になって判明して読者をあっと驚かせたりする。また、一人称の場面も登場するので、作者が用意した書き分けの多彩さには舌を巻いてしまうほどだ。

 この小説は、千枚通しで急所を刺してターゲットを仕留める“百舌”と呼ばれている殺し屋を描いた小説であり、新宿で起きた爆弾事件を捜査する公安警察の倉木尚武、明星あけぼし美希みき、そして警視庁捜査一課に所属する大杉おおすぎ良太りょうたが、組織の違いから対立しながらも、ともに協力して事件を追う警察小説である。ミステリーでもあり、意外なトリックも仕掛けられているため、この場では作品のあらすじや物語の詳細な紹介は控えたいが、プロットが綿密に練られていて、非常に凝った独特の構成が用いられた作品であることは言及しないわけにはいかない。頻繁な場面の切り替えを擁しながら、敢えて時系列に組み立てていない錯綜した配置にしてあるのが、『百舌の叫ぶ夜』の大きな特色であるからだ。

 ある意味、読書に慣れていない人には不親切な設計の小説であるとも言えるだろう。時間が前後するので、混乱を覚える読者もいると思う。それでも作者を信じて先へ読み進めていくと、前に読んだ場面と繋がる瞬間が必ず訪れる。そのうちに、今読んでいる場面はどこに繋がるのだろう、と自ら予測を立てながらストーリーを追う状況も生まれてくる。それがぴたりと接続する場面に差し掛かったときの興奮は、他の小説では味わえない格別なものだ。この構成でなければ作り出せない緊張やサスペンスがあるのは間違いない。何というエグい組み立てのプロットだろうか。

 私のように、本編を読む前に後書きを読んでしまう粗忽な習慣のある読者に向けても、作者はサービスを怠らない。各章で数字の見出しが割り振られているが、長く引かれたダッシュの最上部に数字が配置してある場合と、最下部に数字が配置してある場合があることに気付くはずだ。これにも何らかの意味があることを、作者はこの本の最後にある「後記」で、これから本編を読もうという読者に教えてくれている。私はとてもありがたかった。先に後記を読んだおかげで、存分に『百舌の叫ぶ夜』の構成を楽しむことができたからである。

 改めて、この小説が三十七年前の昭和時代に書かれたものであることを思う。今と違って携帯電話やスマホがないので、人物たちは赤電話や電話ボックスを利用する。写真もデータではなく、プリントとネガフィルムだ。カーナビもなければ地図アプリのサービスもない。だが、不思議なことに、この小説にはそれ以外で古さは感じなかった。物語の圧倒的な面白さが時代を超えていた。公安の刑事、倉木尚武の個性が年代を突き抜けていた。

 あるいは、文庫本の表紙が西島秀俊であることも古さを感じさせない要因になっているかも知れない。申し遅れたが、私はドラマや映画の『MOZU』を実は観ていない。倉木尚武を演じているのが西島秀俊であると知ってしまったために、読書中の倉木のイメージは、完全に西島秀俊で再生していた。大杉良太は香川照之、明星美希は真木よう子を思い浮かべた。さらに、ドラマの配役に興味が湧いて調べてしまったために、監察官の津城つき俊輔しゅんすけが小日向文世だと知って、まさに適役だと思った。現代の俳優たちがいきいきと活躍する小説に、背景や小道具の古さは気にならない。ネオ昭和として楽しむことも可能だろう。この小説のリーダビリティーの高さ、場面づくりの巧さ、会話の妙味、ストーリーテリングの秀逸さは、どれもエンターテインメントとして一級ものだと感じる。濃厚なのにするすると読ませる技量は、紛れもなくプロの手によるものだ。

 私は続いて『幻の翼』(1988年)をほぼ一日で読み終えた。これは『百舌の叫ぶ夜』のその後を描いた作品だ。面白かった。今は『砕かれた鍵』(1992年)に手を出している。倉木尚武は以上の三作品に登場するらしい。私はどうやらハマってしまったようだ。

「ハードボイルド」の定義は、人によって違いがあるらしい。私は『百舌』シリーズの倉木尚武を描いた手法で、主人公を動かすのがハードボイルドではないだろうかと今は思っている。それはミステリーでなくても構わない。主人公は男でなくても構わない。けれども、最後はその人物の生き様に収斂していくものではないかと思う。私はそのことを、この作品から教えてもらった。

2023/06/04


書籍 『百舌の叫ぶ夜』逢坂剛 集英社文庫

百舌シリーズの第一作


書籍 『幻の翼』逢坂剛 集英社文庫
書籍 『砕かれた鍵』逢坂剛 集英社文庫

◇◇◇◇

 今回の書評(感想文)は新作ですので、いつもの【追記】はありません。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。




この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?