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舞台「リーマン・トリロジー」。空を飛びたい人にお薦め。

2008年9月15日、アメリカの巨大投資銀行であったリーマンブラザーズが総額約6000憶ドル(約64兆円)という前例のない巨額倒産をした。

それが引き金となり、全世界で株価の下落、金融危機、同時不況が起こり、いわゆるグレート・リセッション到来。その後10年に渡り世界経済に大打撃を与えることになる。

この誰もが知る「リーマン・ショック」、州立大学で州からの金銭的援助を全面的に受けて2008年8月18日に博士課程をスタートした私にとって、それは玉ねぎ一つの値段に目を光らせ、一度に使うトイレットペーパーの量に気をつけるといった毎日の行動に直結する大「ショック」となった。

授業料免除はどうにか最後まで打ち切られなかったのが幸いだったが(何度もその危機はあった)、生活費として支給される額が、文字通り人が一人食べていくだけの月々の生活費ピッタリギリギリの額であり、そこに病院にかからなければいけない出来事が続き、安い学生保険ではカバーしきれないアメリカの高すぎる医療費のために、日本で貯めたお金を使い果たし、大学で授業を教えてお小遣いを稼ぎ、どうにかやり過ごした。

もともと裕福な家に育ったわけではないので、貧乏暮しは板についていたが、博士課程の頃は、月末の銀行残高が36円!みたいなホラー映画の主人公が恐ろしい場面に出くわした時なみに息をのむギリギリ具合で、

日本で働いていた頃の先輩のお姉さま方や同僚や後輩らから届けられた日本食のいっぱい詰まった段ボールや、着なくなった服などに助けられて、どうにか5年間を過ごした。(「出世払いします」と言いながら、いつまでも出世しない奴として名を馳せた5年間でもあった。)

日本の友人ばかりではなく、医療費が逼迫した時には、博士課程の仲間(20歳ほど年上ではあるが同級生)が何も言わず200ドルの小切手を送ってくれたことがあり、その優しさには思わず泣いてしまった。

当時、そのようなギリギリ過ぎる支給額については、「リーマン・ショックのせいで」という前置きを厭というほど耳にしたが、ざっとその概要は知っていても、リーマン・ブラザーズという会社そのものに対する興味も知識も特になく、世界大不況の別称として「リーマン」を認識する程度。

そして今や、コロナという全く新しい形で経済を脅かす病気が蔓延して世界中が苦しんでおり、リーマン・ショックが懐かしくさえ感じられるほど。

そんなコロナ禍の2021年12月末、「リーマン・トリロジー(The Lehman Trilogy)」という舞台を観に行った。

この舞台、その名の通りリーマン・ブラザーズのお話です。

約3時間半3幕の構成。そしてリーマン一族三代が生きた3つの悲劇、それを3つに区切ったガラス張りのニューヨークのオフィスの部屋だけをセットに、たった3人の俳優が全ての役を演じるトリロジー。(とはいえ、最初と最後にエキストラ的なセリフのない出演者が少しだけ加わる)

Adam Godley, Simon Russell Beale and Adrian Lester in Broadway's "The Lehman Trilogy"
(Photo: Julieta Cervantes)

幕が上がると、ガラス張りのオフィスに積まれた段ボールの箱を片づける清掃員の男性。その男性が聴いているラジオのニュース(実際の当時のニュースのものと思われる)が逼迫した声でリーマン・ショックによる株価の大下落を報じているシーンから始まる。

このあまりにも聴き慣れたニュースの文言。劇場に響くのを改めて聴けば、その事の重大さ、これから来る大不況の不吉さをありありと感じさせ、「リーマン・ショックここに来たれり。」とその時代を生きた観客全員の心が自動的に3センチほど沈んでいくのを感じる(勝手な想像込み)。

舞台背景にはニューヨークの夜景のイメージが全面に映し出されており、この背景スクリーンに映る景色によって、全く同じオフィスのセットが、様々な場面に見えてくる仕掛けになっている。そして、清掃員の男性の動かしている段ボールの山、これも重要な小道具として機能し、その重ね方によってそこがアラバマの布屋になり、ウォール街の証券取引所になったりする。

一幕。清掃員が去ったオフィスに現れる一人の男性。背景には海に浮かぶ自由の女神の画像。

この男こそが、1844年の寒い9月の朝、ニューヨークに移民として到着した最初のリーマン。ヘンリー・リーマンである。

ここからヘンリー・リーマンの語り&演技が始まるのだが、

ミュージカル慣れしている私はここで重大なことにハッと気付く。「そうか、この人たちは歌わないし、踊らないのか!」(そりゃそうだ)

旋律に乗るから直接に伝わる感情があるというものだが、それを歌無しで、淡々と語りと演技で3時間半、飽きずにみられるのかという一抹の不安がよぎる。(生ピアノの演奏とBGMはある。)

が、結論としては、その3時間半はカップラーメンを待つ3分よりも短く感じられた。

まるでジェットコースターに乗ったような勢いで、感情が起き上がりこぼしの様にぐわんぐわんと揺さぶられる濃厚で素晴らしい3時間半。とにかく、とにかく素晴らしい舞台だった。

Adam Godley, Simon Russell Beale and Adrian Lester in "The Lehman Trilogy"
(Photo: Julieta Cervantes )

長男のヘンリー・リーマンをサイモン・ラッセル・ビール、次男のエマニュエル・リーマンをエイドリアン・レスター、三男のマヤ・リーマンをアダム・ゴドリー、それぞれ言わずと知れた大俳優が演じているのだが、それぞれの語り(オーディオ・ブックのように物語を語る部分)と演技(最初のヘンリー三兄弟に始まり、それぞれの嫁、息子、その嫁、孫、その嫁、客人、ビジネス取引相手などなどに至るまで全ての役)との間を行ったり来たりするその違和感を微塵も感じさせない滑らか過ぎる流れ、けれど、語っている時はそれが語りだと秒で分かる技術、コミカルな雰囲気を含みつつも演じている誰かに本当に見えてくる演技力。

それぞれの俳優の持つ魔力にライブで魔法をかけられる時の快感さと言ったら、おそらく空を飛ぶ快感さに最も近いのではないかと思われる(虫が顔にぶつかったりすることもないので、ひょっとすると空を飛ぶより気持ちが良い可能性もあり)。

そしてもちろん、物語の構成も巧妙で素晴らしい。

希望を胸にアメリカへやってきたユダヤ人のリーマン三兄弟。アラバマの綿製品を扱う小さな商店から始まったリーマン・ブラザーズが、160年程度であっという間に転がる雪玉のように巨大化する過程が、今の経済の仕組み、誰の手にも負えないほど肥大化し、いつどこで崩壊してもおかしくないその化け物のような危うさへと変貌していく様と重なり、背筋が冷たくなるような恐ろしさを見る者に感じさせる。

リーマンの巨大化は3つの悲劇を生き残るために捻りだしたアイディアによって加速されていくのだが、リーマン三兄弟の機転の利かした快進撃は、アンダードッグが勝つボクシングの試合を見ているような爽快ささえある。

一つ目の悲劇。アラバマ綿花畑の大火事。それにより打撃を受けた布屋のために三男マヤが捻りだした斜め先のアイディアが、リーマン・ブラザーズという小さな布屋を綿花取引会社へと成長させる。

そのビジネスが軌道に乗り始め、三男のエマニュエルがニューヨークに小さなオフィスを構えたところで第二の危機、南北戦争勃発。その苦境を生き抜くために再びマヤが捻りだしたアイディアで、リーマン・ブラザーズは投資銀行へと変貌する。

そこからリーマン・ブラザーズの脅威の巨大化がナウシカの腐海の森のようなスピードで進んでいく。

そして、第二幕の終わり、エマニュエル・リーマンの息子でリーマン一族の中でもかなりやり手だったフィリップ・リーマン(その頃には彼がリーマンの頭になっていた)が、いつものようにニューススタンドで新聞を買い、コーヒーとパンを持ってオフィスへ向かう場面。

背景のニューヨークの景色を上と下から挟むように黒い画面が少しずつ覆っていく。最後には一筋の白い光だけを残して暗くなる舞台の背景。

サイモン・ラッセル・ビールの「1929年10月24日木曜日。」という語りで、観客の全てが今から何が始まるのかを悟るのと同時に完全な暗転。

本物の鶏よりも肌が鳥肌になる瞬間。

来た来た来たぁー世界大恐慌!となぜか妙にぶち上るテンションのままインターミッションを楽しむ観客(実際に1929年10月24日を生きた人々にはお見せできない不謹慎さである)。この頃には、観る者全てがリーマン一族の快進撃をなぜか心底応援してしまっているのが舞台マジックの為せる業。

そして第三幕。世界大恐慌を受けて、次々と自殺していく投資家やブローカーのシーンが続き、恐怖に震えるフィリップ・リーマンとリーマン・ブラザーズをどうにか存続させたのが、フィリップの息子で、最もビジネスに向かないと思われていたボビー・リーマン。 

ボビー・リーマンが、事実上リーマン・ブラザーズという会社に携わった最後のリーマンとなるのだが、ボビー自身は、リーマン・ブラザーズを国際的投資銀行へと成長させ、1969年に最もリッチな人間の一人として笑いながらこの世を去る。

ステージ上で踊り続ける三人の役者(中央にボビー)、背景で最初はゆっくりと、けれど徐々にスピードを上げて右から左へと流れていくストックマーケットの無数の数字、その数字がもう目では追えなくなるほどの速さで流れ出すと、観客は車酔いをするような気持ち悪さを感じて皆思わず目をそらしてしまう。そこで踊ったまま倒れこむボビー。

ここにリーマン・ブラザーズの頭としてのリーマン一族は終焉を迎える。

その目まぐるしい発展を、実際に観客に目まぐるしさを体感させることで魅せる演出が憎い。

そこからは、あれよあれよとリーマンの「リ」の字もない人々が次々と現れ(同じ三人の役者が演じているのだが)、リーマン・ブラザーズは変貌を遂げ、ジェットコースター最後のクライマックスを予感させる登りは、短時間にトントンとテンポ良く進み、観てる側も一代目リーマン三兄弟にも、もう何がどうなってしまっているのか理解できない距離感を巧みに浮き上がらせていく。

そして訪れる最後のシーン。地面から湧き上がるように出てきた10名ほどのエキストラたち。現代の服を着ているので、それが2008年のリーマン・ブラザーズの一室と社員なのだということが分かる。会議室のテーブルの真ん中に置かれた電話機を囲み無言で立つ。

3幕通して同じ衣装を着ていた3人の役者の衣装が、そこでいかにも時代遅れで古臭く見えてくるのだから不思議。3人は語りを終え、静かに小さなオフィスの一室へと移動する。段ボールの積まれ方で、それが一番最初のアラバマの布屋であることが見る側に伝わる。

Adam Godley, Simon Russell Beale and Adrian Lester bow on opening night
(Photo: Jenny Anderson)

そして、それまでも要所要所で使われてきた、3人が両手を少し上げてヘブライ語で祈るシーン。祈り声に呼応するように、ガラス張りのオフィスの舞台がゆっくりと反転し、現代の服を着たエキストラたちが舞台の前面中央に、初代リーマン3兄弟は後ろの角に(彼らのいる部屋は少し暗い)、そこで会議室の電話が鳴り、舞台暗転。

この電話がリーマン・ショックの始まりを告げるものであることは言うまでもない。

「リーマン・ショックここに来たれり。」それまでどんな危機も乗り越えて、その度に成長を遂げてきたリーマン・ブラザーズが、最後に直面した危機は、「リーマン・ブラザーズ」の引き起こした「リーマン・ショック」という哀しみ。

そう、彼らの夢や希望や爽快な快進撃は、彼らの手の届かない場所で、彼らの全く知らない人々が、世界中を道連れにして幕を下ろす。それも「リーマン・ショック」を引き起こした悪の元凶として、「リーマン・ブラザーズ」という名前を歴史に刻みながら。

心が3センチほど沈んだ開幕から、ジェットコースターに乗って上がったり下がったりの大揺れの3時間半後、その心はただ沈んだという状態とは程遠く、何か強い魅力と切なさとに鷲掴みにされて、劇場の外に出て見るニューヨークは、それが、リーマン・ブラザーズの本社があったところからすぐ近くにある劇場であったことにも影響されて、ただのきらめく眠らない夢の街ではなく、無数の移民たちの見た夢のその先にある絶望と再起の無限の繰り返しの上に立つきな臭い、「負けへんで」精神にあふれた街にも見えて(そしてもちろん、その移民たちの奴隷制から解放されたり逃亡してきたブラックアメリカンたちの絶望と再起の繰り返しも大切な糸の一つ)、そうか、これか、これがニューヨークなんだな、としみじみとなってしまった。

Congratulations to The Lehman Trilogy! (Photo: Jenny Anderson)

ニューヨークでの上演は1月2日に終了してしまいましたが、2022年3月からロサンゼルスでの公演が始まります。お近くの方は是非是非足を運んでみてください。ここで書いてあるのが子どもがままごとで作る泥団子のようなものなら、実際に舞台で経験する物語は、老舗の団子屋の団子のように全く別物ですので。


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