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「欲しても無駄と思うと欲さなくなる」この思考を変えるには

ジェーン・スーさんと堀井美香さんのポッドキャストOver the Sunが好きで、聴いています。

今週のOver the Sun(エピソード85)で話されていた内容、「人間、欲しても無駄と思うと欲さなくなる」という、あれ、学術的には「Learned helplessness」という概念です。
 
(ポッドキャストでは、それが様々なハラスメント、DV、洗脳の被害者の思考の根にあることや、仕事や学習の場面で、自分には用意されてないと思うと、欲することさえなくなるという怖さについて話されていました。)
 
こういう考え方の傾向、実はこれもナイキのコピーのようにJust Do it!「よし、こう思うのをやめよう!」と思ってやめられることではないのが難しいところ。
では、どうしたらそういう考え方の傾向を変えられるのでしょうか? 

ラーンド・ヘルプレスネス。
 
日本語でなんていうのかな?と調べてみると、「学習性無力感」または「学習性絶望感」というらしい。なんか急に打ちひしがれ感が増す印象(漢字の醸し出す雰囲気のせいかな?)。
 
これ、起こる事象に対して自分ではどうしようもない(自分のコントロールが及ばない、なにをやっても無駄だ)と認識すると、人間はその事象を受け入れ、どうにかしようとすることを諦める、という現象。
 
(が、勿論、すべてのことに言えますが、これも個人差あり。同じような体験をしていても、「Learned helplessness」に陥りやすい人と割とへっちゃらな人がいるので一概には言えません。) 

もともとこの「Learned helplessness」という概念は、古典的条件付けによる動物実験で提唱されたものです。

この実験では、犬を3つのグループに分け、ブザー音と共に以下の条件を与えました。
 
グループ1:自由に動けないように固定された犬に電気ショックを与える。
グループ2:自由に動けないように固定された犬に電気ショックを与えるが、犬がパネルを鼻でタッチするとショックが止まる。
グループ3:犬は自由に動けないように固定されているものの電気ショックは与えられない。
 
電気ショックとブザー音の関連付けが十分になされた後、今度は、飛び越えられる敷居で分けられた二部屋を設置した箱の中に犬を入れます。一方の部屋の床に電気ショックが流れるように設定し、もう一つの部屋はショックのない安全な部屋。
 
そこでブザー音と共に電気ショックを与えると、グループ2&3の犬は、すぐに敷居を飛び越えて安全な部屋に逃げることを学んだが、グループ1の犬は逃げようとすらしなかった。

つまり、実験の第一段階で、自分の力ではどうにもならないという条件付けがなされていたため、電気ショックを成すすべのないものとして受け入れるという思考認識が出来上がってしまっていた、というもの。

これ、ポッドキャストでお話されていた通り、人間にも当てはまるメカニズム。後の研究では、実際に人間に同じような状況(もちろん電気ショックではなく、大きな音)で実験をして犬の時と同じ結果が報告されています。

大問題に対処する時に限らず、日々の小さなことでも、そもそも自分には無理だと思い込んでしまうから、トライしようとすらしないことって誰にでも多かれ少なかれあるのではないでしょうか。そしてその思考そのものこそが実際の足かせより足かせになっているという状況が。

この写真の馬のように。

こういうことあるよね。
 
近年この「学習性無力感」は、子どもの学習への影響に関してよく引用されており、例えば算数のテストで悪い点を取ったり、ほかの子に比べて自分はどうも算数が苦手だという経験を重ねると、「算数のできない自分」という思考認識を作り上げてしまい、トライする前から「できない、無理、自分数学バカだから」と頭を閉ざしてしまうようになる。これの危険性は本当に極まりないので要注意。 

「Learned helplessness」のメカニズム、最初の研究以来、様々なアングルから研究がされていて、色々なことが分かってきました。
 
例えば、「逃げられない(なにをしても無駄)」という状況だけが「逃げない(なにもしない)」という行動に結びつくのではなく、逃げられない理由を何に置くかが、「逃げない」思考(「なにをやっても無駄」と苦痛を受け入れる無気力思考)の定着に関連する、ということも分かってきました(個人差はこの辺りに起因しそうです)。
 
「たまたまこの問題、この状況下ではダメだった」と思う人は、無気力思考が定着しないけれど(次の問題&状況ではどうなるか分からないという余白を残せているので。ドリカムの一万回やってダメでも一万一回目を信じるあの歌のように。)、「いつだってなにをやったって所詮無駄」と普遍化する人は、どんな場合においても無気力思考になる傾向にあるというのです。
まぁそうだよね。

「Learned helplessness」の元祖研究者であるSeligman博士とMaier博士。
Seligman博士はその後も心理的側面から「Learned Helplessness」の研究を続けたのに対して、Maier博士はニューロサイエンス(神経科学)へと分野を転向し、ニューロサイエンスの側面から「Learned Helplessness」の研究を続けたのが、さらに面白い後日談的研究を追加していくことになります。 

それらをざっくりと要約すると、ニューロサイエンスの側面からみた「Learned Helplessness」では、元の研究が提唱した、ショックから逃れられないと「学習した」せいで「なにもできないという受け身姿勢」が身に付いたという説は、実際は脳的には逆だったということが判明しました。まさかの。(「脳的には」って言い方、ざっくりすぎてあれですが。元の研究論文にはかなり詳しく書かれているのでご参照ください。) 

そもそも脳的には「なにもできないとあきらめる姿勢」の方が実はデフォルトになっていて(学習してそうなるわけではなく!これはエネルギー保存のためのサバイバル本能に関連している説)、逆に「コントロールできる」ということを経験から学ぶことで、「受け身姿勢」から脱する(犬の場合電気ショックから逃げる)ことができるようになる、という。

つまり事象をコントロールする経験を積むことで、脳が「何をしても無駄思考」を妨害する動きをするようになるそうで、そうやって自分から敷居を飛び越える思考が可能になっていく。
 
なので電気ショックびりびり事案から抜け出すためには、未来中心型の認知行動療法が効果的と言われていて、例えば、次にこのような状況が起こったらどう問題解決するか、いつ解決するか、どう対処するか、応じるか、何をどう言うか、どうするか、などなど細かいシュミレーションと練習をして未来の危機に備え、実際に一つずつでもコントロールできたという経験を積んでいくことで、脳がますますコントロールできる方向へと変わっていき、次第に敷居を飛び越えられるようになっていく。
 
数学の問題なら、確実にできる問題を解かせて、「できるできる~!」体験を脳にさせることが大事で、3問できる問題の次に、助けがあればできる1問、くらいの割合でサンドイッチしていき、助けがなくてもできるまで練習したら、それができる3問になり、新たな1問を追加。これを繰り返す。
 
そういうのをコツコツとするのがカウンターアタックとして有効であろう、ということです。 

よく言われる、認知思考(一般的に言う気持ちや心)の問題は、行動によってしか解決できない、というあれですね。

自分の血圧を気持ちで変えられないのと同じで(今現在の自分の血圧を把握することすら機器がなければ無理なのだし)、脳の仕組みで起きている思考のパターンは、気の持ちようで「よし、こう思おう!」と思って変えられるものではないようです(もちろん、「よし、こう思おう!」というのが最初の一歩になるので、それが無駄ということではない)。

血圧を下げるには、食生活を変えたり運動をしなければいけないのと同じで、考え方感じ方を変えるには、行動によって脳を変えていかなければいけない、というわけですね。何事も近道がないこの感じ、生きるってほんと大変。

 今回は、なんだか真面目な話を書いてしまいましたが、Over the Sunのエピソード85の内容は、実はギャグマンガみたいなのが95%で占められています。笑いの中に学びがある、それがOver the Sun。

今週も笑わせてもらいました。