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最近、よく目についてしまう『自己肯定感』について。自己肯定感が低いと悪循環になる。

30代、すごくしんどかったのは『自己肯定感が低くなっていたからだ』と今ならわかる。自己肯定感はすごく重要。子どもの自己肯定感を育むのは私の役目だな。

何故自己肯定感が低くなったのか?

私の場合は家庭環境(自分の今の家庭ではなく育った環境の方です)が原因。
私は自己肯定感が低かったというより、自己肯定感を育んでもらってなかったといった方が正しいかもしれない。
父は母に暴力をふるっていたし、母もそんな父の愚痴をずっと私に話していた。私の自己肯定感を育むより、親自身が自分のことでいっぱいいっぱいだった。(心理的に…)
母は私に対して度々暴言を吐き、何かに苛立っている時は家具に当たり散らしていた。もちろん、父がいない時や父に気づかれないように父の目だけを気にして父に見つからないようにやっていた。(母は恋愛依存症…的?私ものちに知ったがタバコも父に見つからないように吸っていた)
そんな中で育った私に自己肯定感が育まれるはずがない。むしろ、数年前まで自己肯定感って何?くらいの感じだった。

自己肯定感が低いとどうなるか?

自己肯定感が低い私は人に肯定してもらうために、人に頼らなかった。むしろ、人に頼ってもらうことで人に肯定してもらえてる気がしてた。自己肯定感が低いと、様々な手法で肯定感を高めようとするが、私のこの『人に頼ってもらう』という手法は、母の支配により作り上げられた手法だった。
母は父も親戚も頼れないので、私に頼った。(支配し利用した?)母に意地悪を言う祖母(母からすると義母)に対して、反論するのは私の役目だった。母を守るために祖母と言い争いをしていた。母の日のお祝いを考えるのも私だったし、誕生日のお祝いも私がしていた。母を喜ばせるのが私の生きがいのように育てられ、そうして自分を蔑ろにすることで自分の居場所を守って生きてきた。
さすがに、高校生の時に人生に対してのわけのわからない苦しみを感じたので家から逃げたかったが、逃げ先がないことはわかっていたし、無駄な考えなので、その考えをその時は諦めた。(愛着が形成されてないと、このように諦めから親を迎合したり、社会を迎合したりする。人からは受容に見えるが、実は心理的には受容してなかったりする。)
社会人になってからは、度々肯定してくれるセリフを言ってくれる人が現れた。でも、私にはそれが本心なのかお世辞なのか社交辞令なのかわからなかった。そして、結局、一番間違いがないように社交辞令という選択をしていた。(愛着が形成されてないとこのように好意に対して無関心になる)そんな、相手の好意が本心なのかお世辞なのか社交辞令なのかも聞くことも確認することもなく生きてきた。
そんな自己肯定感が低いままの私が結婚して…上手くいくわけがなかった。そもそも自己肯定感が低い状態で結婚を決断して正しい判断ができるわけがない。
案の定、自己肯定感が低い私は相手に頼ることができずに、だけど、相手の要望だけは満たすように心がけていき、いっぱいいっぱいの状態に陥ったのは言うまでもない。(まぁ、そんな私の状態でも自分の都合しか考えてない元の人と早い段階で別れられたのは正解だったと思っているが…)
自己肯定感が低い私と自己愛の強い元の人。共依存関係の成立だった。これは、母との関係でもあった。(私がいなきゃダメなの…というやつだ。本来なら私がいなくても大丈夫な状態でなければならない。それぞれが自立してなけれが結婚は上手くいかない)
もちろん、共依存関係がいつまでも持続するわけないし、私自身、子どもの家庭環境や養育環境には敏感になっていたので、子どもの安心・安全のため早めの離婚を決断した。子どものために離婚しないという人もいるが、私は子どものために離婚した。
自己肯定感が低かったゆえに、必要以上に人から求められることを望んだ結果、自分が壊れたのだ。その後、元の人からは『甘えてました。ごめんなさい。家族にしてください。』と言われたが、その時はもう自分が壊れているし、バグをおこしてるので、相手の言ってる意味さえわからなくなっていたが、何となく許すとか許さないとか以前に、『もう限界だな~。』と思って関わるのをやめた。

やっと今『自己肯定感』が理解できてる

今は穏やかに生きているから自己肯定感が理解できてる。そして、今は自己肯定感を育んでる途中だ。自分の自己肯定感が低いと、子どもにまで影響することがあるので、用心してる。
例えばだが、自己肯定感が低いと子どもに話す時ですら会話が自信なさげになるので、子どもも会話が不安げになる。なので、別に自信満々には話さなくていいが、自分が納得がいくような根拠のある会話を心がけていたりする。私も納得がいくし、子どもも納得がいくので毎日の会話が楽しいし、子どもの目に見えない心理的な成長を感じられて子育てに対してとても充実感がある。
母親の自己肯定感が低いと、子どもが言うことを聞かなくなる。(以前そうだった。)そりゃそうだよな。自信なさげな人間の言うことを聞くわけがない。当たり前の気持ちだ。そうやって子どもから母親としての在り方を教わった気がする。そして、自己肯定感を育んでいった気がする。

過去のことを色々と思い返せば、いろんな人から肯定してもらってたな。と今更ながら思い返すことがある。社交辞令と思って人の好意を受け流してたな~と。すごく、もったいない😢
最近、書店や電子書籍でよく目にして気になっていたワード『自己肯定感』について書いてみました。

自分の様々な実体験を交えながら、家庭や身近な人との心理について気づいたことを書いてます。
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