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読書を年間1000冊するとどうなるのか?

みんなにもっとたくさん本を読んでほしい。と思ってこの文章を書きました。
誰もあなたの頭の中まで盗めないでしょう。だから読書します。
では。


1.年間1000冊の読書をするとどうなるのか

1-1知識が増える

読書効果のまずひとつめ。単純に、知識が増えます。で、これは読めば読むほど、単純な足し算以上に増えていく。
情報というものの特性に、ひとつの情報にさらに情報が紐づいていくというものがあります。この特性のおかげで、1+1が2になる増え方ではなくて、爆発的に増えていきます。

例えば先日ようっやくサブスクリプション解禁いただきました米津玄師さんですが、前世はボカロPでした。初音ミクと言えば私は「みんなみくみくにしてあげる」で弾幕を打っていた世代なんですが、もうこの周辺の情報を知らない人にとっては私が何を言っているか、訳が分からなくなってきたころかと思います。

これを、ツリー構造で書くとこうなります。

─米津玄師
 └ハチP(元々こういう名前でボカロPをやっていた)
  └ボカロP(初音ミクなどのボーカロイドを使って楽曲発表する人たちの総称)
   └ニコニコ動画(ボカロPが使っていた動画ストリーミングサービス)
   └初音ミク(ボーカロイドの名前)
  └砂の惑星(2017の初音ミクイベントのテーマソング)
   └もこう(「砂の惑星」歌ってみた動画をアップしているゲーム実況者)

米津玄師さん一人を調べるだけで、このように、情報が、知識が増えていきます。
情報というのは互いにリンクを紐づけあって、ネットワークを作るんですね。
あと、これ、例えば「ニコニコ動画」というワードから始めても、米津玄師さんに辿りつくことができます。ここもポイントです。
色んなキーワードを入口にして、情報のネットワークをさまよいながら、色んなルートを辿って様々な情報を取得するのです。

そして、さらに重要なのが、ここ、「 └ 」。ここの部分も情報になります。

「米津玄師」、「ハチP」はデータ、情報です。
さらに、『「米津玄師」は「ハチP」だったんだよ」』ということも情報です。
これはすごく重要なことです。この、情報と情報を結びつける情報がないと、「米津玄師」と「ハチP」がばらばらになります。
重要なところなのでもうひとつ例を上げて説明すると、例えばファーストガンダムの監督は「富野由悠季」さんです。そして、ガンダムに使われる楽曲の作詞家には「井荻麟」さんというクレジットがよく見られます。実は「井荻麟」さんは「富野由悠季」さんの作詞家ペンネームなのですが、こういった情報がないと、「富野由悠季」さんとは別に、「井荻麟」さんという人が別にいるといった勘違いをし続けることになります。こういうAとBの関係性を示す情報は非常に重要です。

さらに読書寄せの例で、情報のネットワーク構造について説明していきます。
例えば「インスタ映え消費」について、私がその言葉について、どう意見を求められるか聞かれたとします。例えば「インスタ映え消費」について、私がその言葉について、どう意見を求められるか聞かれたとします。
その時、例えば私の頭の中では、こういう構造が思い浮かんでいます。

─インスタ映え消費 インスタグラム上で綺麗に見える物を買う消費行動のこと
 └消費行動 「消費社会の神話と構造」て本で、人間は他人と差別化するために消費するって言ってたよね。インスタ映えもそれと同じかな。
 └資本主義 「恋愛と贅沢と資本主義」て本で、映え的贅沢が資本主義の原動力になったって言ってたよね。インスタ映えもそれと同じかな。
 └実体験 誰だれの友達がインスタグラマーやってたなあ。

「インスタ映え消費」というキーワードを、二つの本の視点と、一つの自分の経験の視点から見ています。
仮に「インスタ映え消費」というキーワードを見て、「へえ初めて知った」といった感想だけを持った場合、下記のような状態になっているわけです。

─インスタ映え消費
 └[    ]

つまりそのキーワードとリンクするものが自分の中に何もなかった。
あるいは、リンクさせる動機がぜんぜんなかった。関連する情報は持っていたかもしれませんが、紐づけようとならなかった。最近流行りの言い方だと「自分ごと」になってないということかもしれません。主体的に見れていない。スイッチ入んない、トリガー引けない、ニューロン発火しない、シナプス結合しない、みたいな。

ここでさらにインスタ映えの例を抽象化します。

─あるキーワード
 └読書で覚えていた知識A
 └読書で覚えていた知識B
 └自分の経験

つまり、あるキーワードに関連していた本を3冊読んでいたら、一つのキーワードを3つの視点から眺めることができるということですね。

─あるキーワード
 └読書で覚えた知識Aからの視点
 └読書で覚えた知識Bからの視点
 └読書で覚えた知識Cからの視点

で、勘の良い人はもうここで気付いてるかもしれませんが、これはさらに視点に対する視点=情報を作っていきます。

─あるキーワード
 └読書で覚えた知識Aからの視点
  └読書で覚えた知識Bからの視点 「キーワードと知識Aの関係」を知識Bの視点から見る。
   └読書で覚えた知識Cからの視点 「キーワードと知識Aの関係を知識Bの視点から見る」を知識Cの視点から見る。

これが、本を読めば読むほど知識は増えていくよ、ということのモデルです。
ただ、こんな込み入った関係は、処理能力に優れた頭脳じゃないと考えられないかと思いますが。

「インスタ映え」についてどう思いますか? という質問の例に戻りましょう。

─インスタ映え消費
 └消費行動 「消費社会の神話と構造」の視点。
 └資本主義 「恋愛と贅沢と資本主義」の視点。
 └実体験 誰だれの友達がインスタグラマーやってたなあ。

「インスタ映え」について、例えば
「消費社会の神話と構造」という点から言えば、差別化を図ろうとする消費社会に慣れ切った人たちの基本行動ですよね、という回答。
「恋愛と贅沢と資本主義」という点から言えば、資本主義はきらびやかな贅沢をしたいという欲求を原動力にしているものだから、映えるということで消費が加速するのはいわば必然的ですよね、という回答。
実体験から見れば、あー、友達の友達がインスタグラマーでインスタ映えさせまくってますよ、流行ってるんですねえ。
みたいな選択肢の中から、その場に最適そうなものを選んで回答するわけです。
実際にこの全てのパターンを頭の中で列挙するわけではなく、将棋の棋士さんみたいに、なんとなくこれかなっていうセンスで選んで、最適な感想を言います。
※センスというのも情報です。ある状況でこういうことを言えばいいな、という情報の蓄積があって、それと今回の「インスタ映え」情報ネットワークを参照しあわせて、最適解ぽいものを選びます。

─インスタ映え消費
 └消費行動 「消費社会の神話と構造」の視点。
 └資本主義 「恋愛と贅沢と資本主義」の視点。
 └実体験 誰だれの友達がインスタグラマーやってたなあ。

─その場の情報
 └その場にいる人 会社の上司か有人か
 └その場の状況 雑談か会議か など

長い説明になりましたが、まとめです。
読書すると、情報や知識は増える。しかも単純な足し算で増えていくのではなく、読めば読むほど爆発的にどんどん増えていく。
しつこく繰り返しますが、今までに10冊の本を読んでいたとしたら、次に11冊目を読むと、その11冊目は以前読んだ10冊とリンクが張られていきます。するとネットワークが形成されていきます。もちろん、本を読んだらすべてを記憶できているわけではないですし、関連性のない本であれば、あんまりリンクはできません。でも、ある知識とある知識は自然と結び付いていきます。
これ、すごいでしょう。「知識はべき乗で増えていく」という言い方があるのですが、つまりそれです。
例えば英語の勉強で、ある時から飛躍的に学習効果が出ますが、この「知識はべき乗で増えていく」のが理由です。頭の中に英語の情報のネットワークができてきて、ある時から英語がなんとなく分かってくるタイミングがある。
積み重ねれば積み重ねるほど成果が出てくる。とにかく数を読めというのは、単純に知識が増えるだけということにくわえ、情報と情報の紐づけもできていくからです。

1-2個性、自分が作られる

情報や知識が増えるという効果とは違いますが、読書することによって、自分、個性を作ることができます。読書する人は、読書のことを「作者との対話」だと言ったりしますが、この作者との対話というものが、自分というもの、自分らしさ、個性を形成してくれます。

すこし横道にそれますが、この自己形成は、例えば読書要約サイトの図解からは得にくいです。もちろん、情報を得ることはできます。しかし、読書という行為自体がすっぽ抜けた状態で情報だけを得るので、自己形成という効果は得にくいです。自己形成は、実際に文章を読むという経験から得られることなので。
これは読書の要約に対する悪口ではないです。ただ情報だけ得るということであれば、読書要約サイトを利用するのは効率の良い方法です。私も要約サイトを見ます。
ただ、「作者との対話」という、要するに見知らぬ他人とのコミュニケーションを省いて情報が得るだけでは、自己形成はできません。コンビニの無人レジで物を買うのと、市場で見ず知らずの生産者さんと話しながら、値札のないりんごの値段を決めながら買うのとでは違います。

ぴょんと飛んでカフカの友人への手紙から引用します。私がくだくだ説明するよりも、ほとんど警句のこの抜粋のほうが説得力があります。

要するに、僕たちは、僕たちを咬んだり刺したりする本だけを読むべきだと思う。
もし、読んでいる本が、脳天への一撃のように僕たちを揺すり起こすのでなければ、そもそも何故、わざわざそれを読むのか。君が言ったように、愉快な気分になるためか。
ああ、僕たちは、全く本がなくても、同程度に愉快であろうよ。必要とあらば、自分に向けて、愉快になれるような本を書いてやったらいいんだ。
僕たちが必要とするのは、非常に痛ましい不運のように、僕たちを打ちのめす本だ。自分よりも愛する人が死んだときのように。そう、まるで全く人の気配がない森に放逐されたように感じさせる本だ。自殺のように。
どんな本でも、僕たちの内の凍った海を砕く斧でなければならない。僕はそう信じている。
(フランツ・カフカ)

自分が、自分の考え方がぶっこわれるような読書がしたいと。壊れた後にはまた自分を再構築しないといけない。ここに自分を作りだす環境、源泉が生まれます。

より具体的に「作者との対話」とは何で、自分が作られるとは何なのかということを詰めていきましょう。
「作者との対話」とは、つまり作者独自の文体の癖(リアルであれば喋り方)に付き合いつつ、伝えようとしていることを読み取る、その際に必要であれば別の情報を調べること、です。
そして自分が作られるというのは、その作者の考えについて、自分がどう考えるかについて考えること、です。(と私は考えています。)
「自分」とはつまり、ある考え方の集積です。

今後、自分のお薦め本をnote記事で紹介していこうと思っているので、さらに具体的な方策はそこで書いていきたいと考えています。
なのでこの記事では、さわりの部分だけ。
自分が選び取った本、今いる環境、触れる媒体によって、得られる情報というのは変わります。さっきのこれ「└」。この「└」の情報が人それぞれで変わります。情報と情報の紐づけ方は人それぞれで、その紐づけ方によって生まれるネットワークのゆらぎから自分らしさが作られていくのだろうなと思っています。
ややこしい書き方になってしまっているでしょうか。もっとシンプルに。
自分らしさというのは、その人らしさというのは、その人の育った環境でかなりの部分が決まってくる。しかし、自分の頭の中で考えて、考えることによって自分自身を作り出すということもできます。
例えば木村花さんというプロレスラーが、SNSでの誹謗中傷によって自殺したかもしれない、という出来事がありました。
あの出来事に関して、メディアはたくさんの情報を流しました。その情報を見て、SNSでのコメントは控えようと考えたり、あるいはSNSで誹謗中傷をした人を憎んだりした人もいたかもしれません。でも、そこで、そういったメディアからの意見をさえぎり、事実だけを自分で拾いあげ、自分なりの解釈を与えることもできます。できたはず、できるはずです。
自分の頭で考えるということ。これは一人で悶々と考えることではないです。考えたことを人に話し、その意見を受け入れたり修正したりしながら、えんえんと考え続けることです。体力がいります。分からないことを分からないままにして、ことあるごとに取り出して考えるということには、実際に体力を使います。
また、自分独自の意見を言った時に頭ごなしに非難されたり、あざけ笑われないといった心理的安全性、安心感が保障されている場所がなければならないです。それを確保するのは難しいでしょうか?
それから、人間には、共感する、空気を読む、察するといった、強力無比の社会的生物としての武器があります。が、自分の頭の中で考える時には、いったんこの武装を取り去る必要があります。誰も味方ではない中で、事実と自分の知識の中だけで、ひたすら自分の頭の中だけで出来事に対して自分なりの解釈を作っていく。
人の意見に流されない、自分独自の考えを持つということは、こういうことです。別に斜に構えたり、少数派である必要もないです。たまたま誰かと同じ意見だったり、誰とも合わない意見であったりします。答えが出るものでもないです。答えが出たと思っても、永遠に考え続けなければならないです。
そういう、不安定な動的状態にしか「自分」はないと私は考えています。人間の個性とは、不安げでもろい幻想の薔薇です。人工の。だから美しい。

1-3物事に動じなくなる

三つ目。「知識が増える」「自分ができる」は、形の見えにくいことだったかと思いますが、この「動じなくなる」は比較的実用的なこと、そして前段の2つがあわさって得られるものです。

「知識が増える」ことによって生まれる動じなさ。
「知識が増える」のところで書名を上げた本ですが、それぞれ「消費社会の神話と構造」は50年前の本、「恋愛と贅沢と資本主義」は100年前の本です。「インスタ映え」というのはここ数年の言葉ですが、そういった言葉も本質的には新しくない。
人間が自分を他人よりもよりよく見せたいと思って行動することは、珍しくないです。
美しくありたいという気持ちも、珍しくないです。
もちろん、インスタグラムという新しいメディアで、新しいメソッドで行われる古い行動様式という意味では驚きますが、行動原理には驚きはない。(インターネット自体の情報伝播の速度には、それ自体にはとても驚いていますが。)
以上のように、知っていること自体が多くなるので、あまり動じなくなります。人間が殺し合ったり、憎しみ合ったり、助け合ったりするのにも動じません。それらは歴史の上で繰り返されてきました。感動がなくなるわけではありません。「近づけば悲劇、遠ざかれば喜劇」という言葉がありますが、つねにロングショットのカメラが客観的な視点としてつきまとうので、動じないです。

「自分ができる」ことによって動じなくなるというのは、分かりやすいかもしれないです。
自分は自分、他人は他人、と思うようになります。

例えばアイドルに、自分のかわりにがんばってほしいと思ったりすることはなくなります。
例えば子供に、自分の夢を託したりするようにはならなくなるようです(私は子供がいないので、伝聞)。
中島みゆきに「二艘の船」という歌があるのですが、まさにこの世界観です。

おまえとわたしはたとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟

同じ歌を歌っていたとしても別々の人間です。
こう書くと、なんだかちょっとさみしいでしょうか。書いていて自分もさみしく感じました。でもそれが事実です。あなたと私は別の人間です。相手に自分の期待を投げかけるのは止めましょう。
それでは読書は人間味を失わせるか? それは、瞬間的にはそうだと思っています。瞬間、目の前で脈打つ人間を書物の知識の砂に埋めがち。べったりと、コールタールみたいに情報のタグで、相手を無闇にタグまみれにしがち。で、いったん埋めて埋まった後に、活気に色づけられた生身が立ちあがってきます。私には心臓あるぞって顔をして。最初どうしてもステロタイプとして、定型的な判断をくだしてしまった後、人間性が血しぶきをあげながら立ちのぼってくる。

そして、それから、読書をたくさんする上で気をつけることに、一知半解無知にも劣るを忘れるなと言うことがあります。知ったような顔をしてはいけない。知るほどに知らないことが増えていきます。ソクラテスは「本を読むな」と言ったそうです。理由は「知ったかぶりするようになるから」です。その言葉を、弟子が本に残しました。そのお陰でこの言葉が残っていると。まあ原典見てないのでこれをソクラテスが言ったかどうか分かりません。ただTwitterでもそうですね。利口なツイートをリツイートしたからといってあなたが利口なわけではない。

2、どうして年間1000冊の読書をしたのか

ここでちょこっと閑話休題。
話題がぼきりと折れ切り替わってしまうわけではないのですが、どうしてこの年間1,000冊の読書を、ただのサラリーマンがしたのか。実際したのは30後半の2年間だけです。その後は、500冊以上は読んでますが、ちょっと1,000という数字を達成するのはきつい。学者さんは年間どれくらい読んでいるのでしょうかね。
私は、小中高と、子供の頃はそんなに熱心な読書家ではありませんでした。スレイヤーズといったライトノベル(当時はジュブナイルと区別するためにヤングアダルトと言っていましたが)やグイン・サーガ、星新一や筒井康隆、芥川龍之介や太宰治、熱心に読んでいましたが、ほんとうに読書していましたというような人に比べると少ないです。ほんとうに読んでいましたというのは、学校の図書館の棚の端から端まで読むようなタイプ、文学全集を全部読むようなタイプのことを指しています。
それから、20代半ばくらいから年間100冊の読書を目標にしていました。でも、まあ、別に、だからそれでどうした、と思って目標を上げました。300とか500に。それで、500を目指した時に、これ1,000冊もいけるのではないか、と思ったら行けちゃった、というのが顛末です。ちょっとずつ目標を上げていきました。
たぶん、ちょっとリッチな語彙が使いたい、一般教養欲しい、くらいの欲望ならば年間100冊くらいで満たせるのではないかと思います。ビジネス書や実用書だけでは達成できないかもしれないが、1割くらいエッセイや小説を入れたらいいのではないだろうか。
エッセイや小説のおすすめは、また別記事でまとめますね。

3、年間1000冊の読書のやり方

ここからは瑣末な、煩瑣な、煩雑な、管々しい、細々とした、縷々細々の、詳細の、ディテールの、細部の部分になります。
列挙していくような形式で、ぽんぽんと項目を出していきましょうかね。

a,計画を立てる。

時間の使い方から決めろ、です。
1,000冊読むには、月に83.3冊。週に約20冊、一日に2冊から3冊を読みます。1日に2冊、3冊を読む時間配分を設計してください。
仮に、自分が、1日に2時間程度、120分の自由時間しか」がとれないとします。そして新書程度であれば1冊を30分から1時間読めるのであれば、残りを絵本や写真集、薄めの詩集、句集あたりで取り繕ってください。目標は1,000冊読むことです。大学の教科書クラスのボリュームを1,000冊ではないです。絵本だって1,000冊読めば頭の中に十二分にネットワークができます。絵本を1,000冊読んだ私がニュース見て大人の批判をする、なんてこともできます。

ともあれ、こういうことですね。
・自由時間120分
 +新書 30分
 +絵本A 10分
 +絵本B 10分
 +絵本C 10分
 +詩集 30分
 =120分

実際には会社で夜ご飯に誘われたり、友達からLINEが来たりして机上のプラン通りにはうまくいかないことが多いです。が、1日に5冊読めれば、例えば翌日に読む冊数を減らしたりすることもできますし、ちょっと読むのに時間がかかる本と対決する時間を確保できたりできます。
目標は、何を、ではなくて1,000という冊数です。

noteなのでちょっとPDCAぽくしておきましょうかね。
目的:知識を増やす、自分を作る、物事に動じなくなる。
目標:1,000冊読む。
戦略・戦術:この項で説明します。
指標:月に83.3冊、週に約20冊、一日に2冊から3冊。

ただ、1,000冊に挑む場合、日常のスキマ時間は全部読書。土日は図書館にひきこもり、という状況になることは事前に想定しておいたほうがいいでしょう。

b,図書館のそばに住む、web予約する、大きめのしっかりしたバッグの用意。

1,000冊の読書をした時、そのうち自分で購入した本は数冊しかありませんでした。全て自費購入の場合、お金がめちゃくちゃかかります。1冊100円でも10万円かかります。すべて新刊で1,000円以上したら、100万円です。経費で購入できたり、お金持ちの方なら問題ないでしょうけれども、できないなら図書館に行くしかありません。あるいは図書館みたいに蔵書している友達を作る。
私は、会社、図書館、自宅をすべて10分圏内で行ける距離になるようにしました。しましたというか、たまたまそういう配置になっていました。会社帰りに本を借り、会社へ行く時に本を返す。こういう体制を作らないと難しい。

そして、最近の図書館ではwebから本の予約ができるようになっています。どういう本を選ぶべきかはまた別項目で説明しますが、weから借りたい本のタイトルを選び予約し、図書館の受け取りカウンターに行くと、図書館員の皆さんが本を用意してくれていて、手渡してくれます。重要なところです。図書館で10冊の本を探すというのはかなり時間のかかる作業です。もちろん時間に余裕があれば楽しい作業なのですが、目標は1,000冊むことです。

この章では戦略と戦術を同時に扱っているので、大きなことから小さなことまで書いているわけですが、現場でとても重要なのはバッグです。想像してください。10冊以上の本を受取って持ち運ばなければならない状況を。小学校の子供もランドセル背負って重そうですね何冊もの教科書。図書館に不満があるとすれば電子書籍ではなく実体の紙の本で情報を移動させなければならないところですね。
私事ですが、私は、好きな人からもらったキャンバス地のエコバッグを使っています。その人はもう結婚してしまったので、使うたびに思いだし、すこしさみしくなります。
中世のヨーロッパの学生はどうしていたんでしょうかね?

c,本の選び方

一般的には最重要なのが、この「本の選び方」の項目かもしれません。本を読むというのは、ある角度から見ると、読まなくていい、読むべきでない本からの逃走と言い換えられるかもしれません。きっと1,000冊読むうちに、なんだこの本は誰だれの本の焼き直しか、再編集版か、という本に遭遇することでしょう。
が、1,000冊読むという中では、とにかくまず本を入手しましょう。その本が読むべきかどうか、の選考会にたっぷり時間を使うよりも、読むほうの時間を優先しましょう。
私の場合、本の選び方は、だいたい3通りで

す。

c1,新着図書から選ぶ

誰でもできるというわけではないのが申し訳ないですが、私の住む自治体の場合、新着図書検索ができました。私はこれを2週間おきに行って、その2週間の間に図書館に入荷した本で気になったタイトルの物を、どんどん予約していきました。だいたい、それで多い月で約50冊確保。2週間で50冊確保なので、月に約100冊、というのが目論見です。
この作業だけでも、30分くらいかかります。2週間で図書館に入荷する本は、自治体全域の図書館が対称なので、約1,000冊。そこから自分の気になる本を探しだすのは時間がかかります。なので、さっさと選んでいっちゃいましょう。「初めての遺言」「初めてのセキュリティ」。あ、ぜんぜん知らない、と思ったらすぐクリックです。

c2,カテゴリー、分類、キーワードから選ぶ

例えば私のここ最近の興味のテーマとしては、「街づくり」「地政学」「交渉学」といったものがあるのですが、このあたりは検索して、一度に10から20冊くらい類書を狩ります。あ、誤字した。と思ったのですが、借りるというよりかは、もはや狩るのほうが適切かもしれません。知識のネットワーク化のところと関連しますが、情報はお互いに繋がってネットワークを作るので、関連した本を一度に読むほうが、情報の相互補完を行ってくれるので、理解しやすいです。
Aという本ではある用語についての説明が分からなかったのに、Bという本では分かった、ということはよくあります。その本の説明が分かりやすかったのかもしれないですし、類書を読んでいるうちに、理解に必要な周辺情報が収集、ネットワーク化できていたからかもしれません。
ビジネス系であれば「行動経済学」などは今なら大量に本が見つかりますし、どれだけ違う本で同じことが書かれているかということに気付くきっかけになるかと思います。

c3,図書館内をふらつく

余裕があれば図書館の中をうろつきます。図書館をうろつくじたいが贅沢な趣味ですね。図書分類番号ごとの書棚を、社会科学の棚から文学の棚に移動していったり、ふらふら歩く。私は昔、本が読みきれないので本の厚さを測ることで読書したことにするという小説を書きました。本の中にはたくさんの情報が書かれています。情報というと足りないですかね、誰かが考えたことを、たくさんの時間を使って書かれたもの、が本です。どの一冊一冊にも、情熱や嫉妬だったり、何かを原動力にして書かれた文章が収められている。図書館は、ずらりとそれが並べられた非日常の空間です。ああ本屋さんでも大丈夫です。

私はITの仕事に携わっていますから、そういった長い長い執筆時間を失神するほど衝撃的に削減することも考えていますが、長い時間をかけて書くという作業に籠った思想、思考、想念の存在には恐れをなします。
人の思考は、人の行動が規定しています。手を動かす人は手の動きに基づいた思考をする。MicrosoftOfficeで例えましょうか。分かりやすい人には分かりやすいかと思いますので。エクセルばかり使う人は、エクセルの表に収まるように情報を整理する、パワーポイントを使う人は、情報をどうやってスライドに配置しようかと考えがち。
話が逸れました。1,000冊というたじろぐ目標数値に味気無さを感じた時は、ちょっと書棚の間をすりぬける散歩をするといいかなと思います。それで、気になった本を2冊でも3冊でも手に取って、中味をぱらぱらとめくり、気になったのなら借りればいいし、嫌なら書棚に戻せばいい。気ままでいいです。
1,000冊読むということの効能について、冒頭で書いてはいますが、これはあくまで千というマジックな数字を達成することによって呪術的に自分を鼓舞させるための方便であって、読書は愉しみで、深い快楽で、ほぼ生きる意味と同義なのだという耽溺のほうのことを思い出してください。私が冒頭でまったく触れていない読書の楽しみのことですね。
ひとつ言えるのは、1,000冊という無茶の向こうにあるのは、読書の快楽のブーストです。読むことで人生はより気持ちよくなります。快楽は教養に比例します。一つのことを知った時、あなたの頭の中はいくつもの情報、情景、情緒をひきつれてきます。ほんのささいな、通勤通学の際にでくわすような出来事、バスや電車で学生が老人に席をゆずったみたいなエピソードを目の前にしても、平安時代のことと結びつけて考えるかもしれませんし、学生服と着物の歴史について思いを馳せるかもしれません。頭の中でイメージが、格言や映像や記憶がないまぜになってプリズムの中を光が乱反射するように、合わせ鏡の中で思考が飛び跳ね転げまわるに任せ、きっと我を忘れるのではないのでしょうか。忘我のひとときが何度となく訪れます。
図書館の中をふらつくのはおすすめです。

d,読み方

この文章は本を読むために書かれたものなのに、具体的な読み方についてはずいぶんと後回しになってしまいました。読み方はそんなに重要じゃないのかもしれないです。というか私自身が年間1,000冊読書を2周してしまって、年に100冊読む読み方から1,000冊読む読み方に変える時に、何を気を付ければいいのかを忘れてしまっているのかもしれません。
年間1,000冊読書の時の読み方の特長というか、必要だったのは、読まないという選択肢を入れたことだと思います。なんだ読まないんじゃん、と思うかもしれませんが、読まなくてもいいと思った本を、読まなくてもいいよなと思いながら、ページの一言一句を読むのは難しいです。なので正確には、この記事のタイトルは1,000冊の本の目次と中味をパラ見して、300冊くらいは拾い読みして、そのうち100冊はわりと読んで、中でも10冊はかなりしっかり読んだ、が適切でしょう。

d1,読まない

その本を読むべきかどうかは、わりとすぐ決められるようになるかと思います。読まないパターンは、過去に読んだものの焼き直し、読んでも何も得られなそう、未知の分野、難しすぎる、です。
過去に読んだ焼き直し、読む価値が無さそう、というのは判断に迷うかもしれませんが、読書をこなしていくうちに自然と感覚が育つかと思います。
焼き直しは、読めば読むほど分かります。
読む価値が無い、は、ああこの本は良い本だったな、と思う本に出会う度、感度が上がってきます。
もちろん、自分の感覚は無敵の矛ではないので当り外れはありますが、この本は外れかもとおそるおそる読み進めるよりかは、ばつんと読むのを止めたほうがよいです。仮に読みさした本が良書で、後日友人から良書だったと教えてもらうこと、どこかの書評で良書と取り上げられていたというようなことがあれば、その時に読み返せばいいです。その本に対する信頼を失くした状態で読み、何も分からんちんであるといったような情況のほうこそ、忌避するべきものです。
良い読書の近道は、選び方にも近いことを言いましたが、悪書を読まないことです。

d2,読み合わせ

1000冊を読むという目標を掲げた時に、おそらく多くのことが初めて直面する場面だと思うのですが、一日に複数の本を読まなければいならないということ。ミステリでも、エッセイでも、何冊か並行して読むということはあるかもしれませんが、基本的にその日のうちに数冊を読み終える必要があるというのは、職業的読者である学問関係、出版関係の人たちくらいかと思います。
門外漢がそういったことにチャレンジする時、その日のうちに読むべきノルマ本を、すべてどこそこの分野の大家や巨匠、巨人の書いた本、とりわけ意欲作や集大成だけで一日のラインナップを構成するのは避けた方が良いです。まずビッグタイトルは数時間では読めないので、1週間かけて読むなどにしましょう。

例えばこういう献立例になります。

・ステーキ コンラート・ローレンツの「攻撃」
・ご飯 小林カツ代の料理エッセイ
・みそ汁 ナツメ社のマーケティング関連本
・サラダ 梅佳代の写真集

1,000冊でないならば、一週間かけて読んでもいいかもしれませんね。
※というか、こういう書き方すると面白いですね。これはこれで一週間カレンダー作ってみてもいいかもしれませんね。

d3,メモしない

読書時にキーワードをメモったほうがいい。その方がしっかり理解できる。これは確かにそうです。学生のころからこの1,000冊読書をする20年近く、この読み方でした。メモを取りながら読んだほうが、頭に残りやすいと思います。が、当然時間がかかります。したがって1,000冊目標の時はやらない。代わりに写真を撮りました。
そりゃまあ写真にしておけばいつでも見返せるけれども、それは理解ではないですよね。そうです。では内容を深く理解する方法は、それは類書をさらに読む、です。情報のネットワークのところで解説した内容です。
また、情報の定着には、他人への説明も有効です。この本楽しかったんだけど、これこれこういう風に楽しかったんだよ、と他人に説明する。それやってみてください。本を読んでいた時だけ役に立っても仕方がないです。他人にさっと説明ができなかったら、説明している間に本を拾い読みしながら説明してあげてください。どこを読めばいいか分からなかったら、仕方ないです、重要だと思ったページ数くらいはメモっておけばいいでしょう。手元にその本がなかったら、また買うか借りるか、また今度その人に説明する機会を作りましょう。そうやって自分の読書の抜け漏れを点検して、整備していきます。そのうち、自分なりの定着化の方法が見えてきます。

正直、手書きメモ、あるいはエバーノートメモなどから写真メモにきりかえるのは、不安でした。すっからかんで読書が終わっちゃうんじゃないの? と思い、不安でした。でも大丈夫です。わりと残ります。
あ、ただし、メモを残しちゃいけないわけじゃないですからね。取りたい時は存分に手でもデジタルでも残しまくってください。

4、それでも年間1000冊の読書はできないという方へ

1,000冊読書の意味、方法についてこれまで書いてきました。楽しめていただけたならこれ幸い。
ただ、この文書を読んでいただき、実践いただけるのはどれくらいの割合でしょうか。1割いないのかなと思います。
「人は好きな人からしか学ばない」という言葉があります。qbcが好きじゃなければ試そうとしないかなと思います。しかし、それでも、時間をかけるだけの価値はある経験かと思うので、機会があったらどうぞお試しくださいと思っています。あるいは、他の人からの読書の薦めなんかを読んで、読書していただけたらと思います。私がきっかけではなくて構わない。
実践していただける人がいたのなら、嬉しいです。この記事にコメントいただけたらなと思います。

ちなみに「人は好きな人からしか学ばない」という言葉はゲーテという人が言った言葉です。私はこの本はマンガで知りました。有名な本を漫画にしようというシリーズの一作でした。マンガでもぜんぜん構いやしません。文学だけとかミステリだけ、ビジネス系だけとか、そんなんじゃなくて、詩や写真集でもいいんです。料理のレシピ本やインテリアのルックブックみたいなのをぱらぱらめくるだけでいいです。画集でも。田村隆一や最果タヒの詩や、植田正治の写真を眺めるだけでいいのです。
繰り返しですが、1,000冊読むのが目標です。量が質を作ります。

5、知識を知恵に変えるには?

この章は補足です。
情報、知識だけ増えても、それを使うことができない頭でっかちになられてもねえ、という質問に答えるための章です。これはこれで別の記事にしないといけないと思っているのですが、中心部分だけ説明します。

情報の分野にDIKWモデルというのがあります。情報がどのような価値、使い方を持つかを分類した模型です。これはいろいろな解釈があるので、私の理解を書きます。

モデルは、
・data データ
・infomation 情報
・knowledge 知識
・Wisdom 知恵

です。

1のところの米津玄師で具体例をつけます。

・data データ:米津玄師。ハチP。
・infomation 情報:米津玄師は元々ハチPという名前だった。
・knowledge 知識:人は別名を持っていることがある。
・Wisdom 知恵:ある名前は別名を持っているかもしれない。

データは点。情報は点と点を結んだ線。知識は、線と線を比較し、そこから抽象化した理解。知恵は、知識をさらに他の分野に適用した場合です。
1の例から引用を続けると、「米津玄師は元々ハチPという名前だった。」という情報が、「人は別名を持っていることがある。」という知識にまで変化している人は、「富野由悠季は井荻麟という別名を持っている」ということの理解がスムーズです。未知のパターンではないので。
さらに知識が知恵にまで発達している場合、ある物を見たり知った時でも、これはもしかしたら別名が存在しているかもしれない、という前提で考えたりできます。
じゃこのデータ、情報をためこんでどうやって知識にするか、さらに知識を知恵にするか、と言われると、すみません、私にもまだ分かりません。ただこれも、あああのパターンと同じか、という日常的にも感じる感覚と同じなのかなと。用例を知れば知るほど、情報を詰め込めば詰め込むほど、情報は知識にバージョンアップするし、知識は知恵に変わっていくのではないかなと。
詳細は別記事をお待ちください。

6、ここまで読んでくれた方へ

長い文章にお付き合いいただいてありがとうございました。これは後書きです。
冒頭でしごく簡単に「みんなにもっとたくさん本を読んでほしい」とこの文章の主旨を説明しましたが、もうすこし詳しく、書いた動機について書きます。
私、今、目がすごく悪いんですね。というか病気です。緑内障です。網膜細胞が死んで、盲点がどんどん増えていく病気です。ただこれは現時点では目が疲れやすいくらいです、今は目薬して眼圧は下がってます。
もうひとつ目の病気を持っていて、左目だけ白内障です。私はまだ40代なので、(おそらく)外傷性です。この白内障については、先日手術をして、目の濁りを、白濁を取り除いて人工レンズを入れたところです。今の目の状況は、視界は非常にクリアになりましたが、メガネの度が合っておらず、見づらいです。私は右目の悪い視力に合わせた左目の人工レンズを入れたので、元々持っていたメガネでは視力が合わないのですね。
初めて聞く情報が多い方には、分かりづらい内容かと思います。またこの病気のことも記事にします。
ともあれ今の状況は左目の白内障は手術で治ったが、持っていた眼鏡と合わないので、本を読むのはしんどい状態です。左目だけぼやけて見える。だから文字を読む時はほとんど右目だけで見ている。白内障の時もかなり文字を読むのはきつかったですが、今も辛いです。ただ視界はクリアになっているのでうれしい。
左目の視力に合わせたメガネを作るので、そうすれば読めるようになるとは思うのですが、手術から間もないので、状況が落ち着くまで、一か月くらいはメガネを作るのは待っている状態。
そういう、状態、です。以前と同じように本は読めないのだと思うと、今までのことを整理したくなり、書きました。今も本は読んでいます。ただ、でも、これはと思える本しか読めない。疲れちゃうから、読むと。量は減る。それは必然。自分は、この文章を、自分が何を失ったのかを確かめるために書きました。
どうか私の代わりに本をたくさん読んでねという文章ではなく、これは、私は本を読まないことよって何を失うかの自分に対する解説書です。もちろんメガネを作り直せば問題なく本を読むことができるようになるのかもしれませんが、まだ分からないので、分からないですね。未来は常に不安をはらみます。不安に神経はひるがえります。
幸い、過去にまとめて読書しておいて良かったなと視力を失って思うし、反面これからはあまり読書から情報を供給できないんだなと思うし、一方では老化するということ、加齢というものを早いうちに体感できて良かったなと思います。もっと、本の文字を大きくしてくれないか、とか。もっと、ディスプレイの文字を大きく表示してくれないか、とか。
とまれその時その場所でしかできないこと、できることは変わってくるし。人間様はわがままですから、まあ気楽に、苦しゅうない。
生き延びるための力はいくつかあるかと思われますが、その一つに、どうも「どんな悪環境でも楽しみを見い出すことができる人間は、どこでも生き延びられる」というものがあります。例えば捕虜収容所で、その地面で、蟻が這いまわっている様子に夢中になれる人間というのは、生き残る力は強いのだそうです。どんなものにも生きがいを発見できるから。ただそれで得た生に価値などあるか?
(Kに)

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