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9月5日の手紙 営繕かるかや怪異譚

拝啓

今日も暑かったですね。

今日は、
今年の夏、1番よく読んだ小説について、書こうと思います。

風呂に半分蓋をして、その上で、本を読んでいます。
褒められた行動でないのは十分承知です。
しかしこうしないと、それなりの時間、身体を湯に沈めることができません。
何もない浴室の壁をじっと眺めて15分なんていう事は絶対に無理です。
串カツにソースをつける速度で上がる羽目になります。
湯船に浸かるためには、面白くて面白くて読むのがやめられない本が必要なのです。

さて、
そうして、お風呂のお供になった本は
「営繕かるかや怪異譚」小野不由美
です。

この本は5つの短編が納められています。
怪異譚と名付けられているように、怖い話を集めてあるのですが、ただ恐ろしいというだけでは、読み終わると生活していくことについて思いを馳せてしまう本です。

著者の小野不由美氏は、もともと端正に石を積んだような文章を紡ぐ作家だと思います。
書くべきことをひとつひとつ書き連ねた結果、読む者の目の前に、確固とした世界を描き出せる作家なのです。風景、建物、そして、感情も、著者の過不足ない文章で、表現されます。
文章に、妙なセンチメンタルさや甘ったるさはありません。
怪異の描写も淡々としています。
奇をてらった表現はなく、登場人物が見たもの、感じたことが、わかりやすく簡潔に描写されています。

ただ、
それが、とても、怖いのです。

短編に1人ずつ登場人物がいます。
家を引き継いだ女性、実家で三世代同居する男性、七宝焼の作家、引っ越ししてきた女子中学生、夫と2人で暮らす女性、親戚の家を借りたシングルマザーの5人です。
それぞれが、恐ろしい体験をして、困っているところに、営繕屋(家の建築や修繕をする)の尾端(おばな)という青年がやってくる…というのが、おおまかなストーリーです。
慣れてくると、営繕屋が出てくるとホッとすると思います。

以前、必要に迫られて、
ネット上の怪談をひたすら読んでいたことがあります。
新しい怪談、これまで聞いたことないタイプの怪談を探さねばならず、
ネット掲示板のまとめサイトを巡回しまくっていたのです。
怪談を片っ端から読んでいるうちに、あることに気づきました。
怪談にはある種のパターンがあるのです。
例えば1番、わかりやすいものは夏休みに祖父母宅に帰省して、触れてはならぬもの、入ってはいけないところ、見てはいけないものに遭遇し、地元の人が手配した宗教者に助けられる、というパターンです。
その次に多いのは、10代の若者が数人集まって、肝試しに行き、そこで起きたこと、やってしまったことのせいで、語り手以外の誰かが酷い目に遭う(精神が破綻する、行方不明になる)パターンです。

これらは、似た話を何度か読んでいくと怖くなくなっていく怖い話です。
何故かというと「怖いことが起きる理屈がはっきりしている」からです。
ひとつめであれば、「〇〇家の血筋(より限定的に長男なども有り)が●●に関わる(触る、入る、見る」と起きるという理屈があります。
ふたつめであれば、「肝試しをする」という行動がきっかけになるという理屈があります。
そして、その理屈がわかれば、かなりの場合、「自分には関係ない」と思うことが可能なのです。
例えば「〇〇の血筋では絶対にない」「長男でない」「肝試しはしていない」という事実があれば、安心できます。
怖い話が起きる「理屈」があれば、「理屈」から外れるのも比較的容易いのです。
一方、何度読んでもゾッとする、怖い話も確かに存在するということに気づきました。
それらの怖い話は大抵の場合、短く、理屈が成り立っていないか、解明できない理不尽なストーリーです。
稚拙な場面スケッチのような話が最も怖いのです。
理屈が解明できないものには対策のしようがないし、「自分には関係ない」と思うことができません。つまり逃げ場がないのです。

それは、「営繕かるかや怪異譚」も当てはまります。

この本は、稚拙ではありません。とても緻密にかかれています。
また、舞台は、とある地方都市(大分県中津市がモデルらしいです)と地域も限定されています。

「いわくつき」と言われるようなものがかかわることもあります。

それでも、この小説で起きる怪異の理屈は、パターン化された怪談のようには、解明されません。
何となくの「こうではないか」という説明はされるものもありますが、ほとんど説明されないものもあります。
そしてその怪異はいずれも、もしかするとどこかで知らないうちに、「行き合って」しまいそうな理不尽さが匂い立っています。
「理屈では回避できないほうの、怖い話」なのです。

ここまで書くと「どんなに恐ろしい小説か、とっても読めない」と思われそうですが、
先に書いたように、営繕屋の尾端(おばた)が出てくるまでの辛抱です。
どうかこらえて読んでみてほしいと思います。

大祓えの祝詞も、お経も、塩も聖水も使わず、
どうやって、尾端(おばな)が様々な怪異に対処するのか、
それがこの本のカタルシスと言えるでしょう。
ここは、変な説明を読むより、本編をぜひ読んでいただきたいです。

尾端の登場場面は短いのですが、鮮烈な印象を残します。
そして、尾端(おばな)の仲間?も。
尾端の過去が、明かされるお話を読んでみたいような、今のまま、何も知らないでいたいような、両方の気持ちがあります。
…やはり、後者の気持ちの方が少し強いかもしれません。

実は「営繕かるかや怪異譚」三巻まで出ています。


一巻であるこの本で、1番読んだのは「雨の鈴」です。
本当に怖い、そして切ないお話です。
雨の日に読むことをお勧めします。


面白くて面白くて、風呂にじっくり浸かることがでから本、どうぞ、一度お読みください。

それでは、また。


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