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親じゃない大人たち

叔母からメールがきた。「出産が迫る妹にお祝いをあげたいけれど、若菜ちゃんのときって何をあげたっけ?」とのこと。「本人に聞いてごめんねー。ばあちゃんだから忘れちゃって」軽快な文章が、叔母の声で再生される。

実家の親は、メールになると途端に「ど、ど、どうしましたか」とこちらが感じてしまうかしこまった文面になってしまうので、叔母の「そのまんま」な感じが楽しい。


叔母は社交的で朗らか。それでいて細やかさがある人だ。ガサツ感もあるのだけれど、人を不快にさせることはほとんどないのではないかなと思う。見せないところで気を遣い、ラインを守れる人だなと、姪として感じている。なお、叔父のコミュニケーション能力も高い。わたしは彼らが大好きだ。

妹の結婚披露宴で、わたしたち一家と叔母夫婦が同じテーブルだったのだけれど、わたしたちの挙式以来2度目に会った夫は、「ほんとおばさんたちいいわあ」と絶賛していた。夫は人の好き嫌いがある方らしいので、本当に好感を持っているんだなあと感じた。


10代から20代のはじめ、結婚するくらいまで、わたしは叔母が話したいときに話せる程度の距離に住んでいたらよかったのになと思うことが多かった。(わたしは大阪、叔母は名古屋だ)

親が嫌という話ではなく、親だからダメなことはある。特に、わたしは親に心配させちゃダメだという気持ちが強い子どもだったため、尚更だったのだろう。

悩みを抱えたとき、親だから言えない。だけど、大人に話を聞いてもらいたい。そうした気持ちになったときに親ではない大人が身近にいてくれることは、きっと子どもにとって大きなことだ。


家庭は狭い。親は子どもにとって絶対君主になってしまいがちだ。たとえ親がそうありたくないと意識していたとしても、どうしたって親の影響力は良くも悪くも大きい。

わたしの母は子どもの意思を尊重することに重きを置いてくれていたけれど、それでもわたしは親の影響を多分に受けていたと感じている。

子どもには子どもの人格があるから、いつか親の世界と相入れなくなって軋み始める日がくる。そうしたときに、「こんな世界もあるよ」「そこだけが常識じゃないよ」と差し出せる大人がいてくれることは、救いにつながるのではないかな。


……とかなんとか書き進めたところで、「あ、だからわたしが書く児童文学には、家族以外の大人が出てくるのか」と気づいた。(本当に、今、まさに)

願わくば、息子たちにとって、いい「大人との出会い」がありますように。そして、わたしも誰かに「あんな大人もいるんだな」と思えるひとりになれたらいい。そのためには、わたしがわたしを生きることなのだけれどね。


ちなみに、その後叔母からはLINEがきた。やっぱり文面は愉快だ。また、叔母に会いに行こう。


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