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連載 ボクっ娘のなれの果て、還暦を迎える。第7回:昭和の濃度

最近、お仕事で心に余裕がなくて、このエッセイもちょっとお久しぶりになってしまった。不定期でもゆるゆると続けますのでお付き合いください。それとぶっちゃけ「スキ」くださいな。登録しなくても♡をポチすればお気持ちいただけるので♪

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さて今回は、最近は都市伝説として括られてしまうのかもしれないが、めっきり見かけなくなった昭和の風景のお話。

それは例えば、「傷痍軍人(しょういぐんじん)」。
みんな、知ってる?
「そんなのインターネットで検索すれば画像も動画も見られるよ」
と言われるだろう。ホント便利な世の中です。
「軍事」利用のために開発され一般にまで発展した情報通信網が、「戦争」被害者を調べて指し示す。皮肉なもんです。

傷痍軍人とは、戦争で傷を負い、身体に障害を受け、その人生に大きな影響を受けた人たちのこと。東京の大きな駅の駅前などでよく見かけたが、1990年代に入ってからはほとんど見なくなってしまった。
こちらが画像https://bit.ly/3nxknEU
1980年代までは、傷痍軍人というと、ボロボロになった軍服姿で楽器を弾いたり、音楽を流して、寄付を募るというものだった。音楽というと楽しそうに感じるかもしれないが、音楽は切ない曲調が多かったし、ほとんどの傷痍軍人は手や脚を失っており、見ると辛くなるので目を伏せて通り過ぎる。傷痍軍人によっては、ずっと跪いたまま、土下座したままで、見るに堪えない…いや、見てはいけないと足早に通り過ぎたものだ。
ウィキペディアによると日本傷痍軍人会は2013年に解散しているようだが、戦争なんて簡単には終わらないものなんだなと痛感する。

それではみんなは「私の詩集、買ってください」って知ってる?
「あ!知ってる!最近、新宿西口で首からプラカードみたいなの下げて立ってる女性見たことある!」という方、それは「詩集」ではなく「志集」で、世代も全然違う人だと思う。
多分これだよね(画像)→https://bit.ly/2Fe6mup

私が「私の詩集、買ってください」を見たのは1980年代前半で、場所も渋谷駅前だった。場所はいろいろ移動していたのかもしれないが私がよく見かけたのは渋谷だった。若い女性だったが、何歳なのかまったくよめない。それを探るほどジロジロ見てはいけないような気がした。暗い目、暗い雰囲気、伏し目がちで、棒立ち。膝まで丈の長いスカート。色もデザインもまったく垢抜けない。
「普段、どうやって暮らしているのだろう?」と思っていた。

多分、声をかけたらちゃんと詩集を売ってくれたのだと思う。でも、その詩集に興味が持てない。とにかく怖ろしかったのだ。
つげ義春が描く世界みたいだ」とも思っていた。
暗く、隠微なものを感じた。
『「春」を「詩集」に置き換えているんじゃないのか』と思えてきてならなかった19歳の春だ。
想像だが、駅前という場所柄から酔っ払いのおっさんに絡まれることも多かったと考えられる。絶対にいやらしい目的で「売ってくれるんだろ? 買うよ、買うよ」と酒臭い息を吹きかけるおっさんもいたはずだ。あー、気持ちわりー!

最近、急に「私の詩集、買ってください」を思い出して、いつもの制作会社のオタク部長と話していた。部長は神奈川県出身で私より7歳ぐらい下なので、リアルタイムで「私の詩集、買ってください」を見ていたかどうか不明だ。

私「ちょっと怖かったんですよ。あんなんで買う人いるんですかね?」
部長「形は変わってるけど、やってること今と同じじゃないですか」
私「へ?……あ!」

同人誌即売会……!
そうだ!
コミケ、コミティア、文学フリマだ!

私が文学フリマに出店してやってることって「私の詩集、買ってください」だったんだー!
ちょっと目から鱗……。

いや、でも待てよ。
ちょっと違う方向から見てみよう。

例えば、みんなは「妖怪」って好き?
「妖怪」ってマンガ、小説、アニメ、ゲームなど様々なメディアでキャラクター化されて、どんな世代からも人気があると思う。
妖怪って、世代によって感じ方がいろいろ変化すると思う。
子どもにとって妖怪は「可愛い」とか「友達」とか「おもしろい」キャラクターだ。
大人になると、妖怪の背景を考え、悲しいとか可哀想とか、自分と照らし合わせたりする。もちろん、子どもの頃のままの感想を持つ人もいる。

昭和の以前より「妖怪」は存在するが、柳田国男や水木しげるのお陰で妖怪に興味を持ったり好きになった人は多いと思う。
で、昭和中期。「妖怪」に接した当時は子どもでありながら、大人の感想を引き出されることが往々にしてあった。つまり「可愛い」「友達」よりは「怖ろしい」か「可哀想」というイメージを強いられる。

子どもの頃はアニメ「妖怪人間ベム」(1968〜1969年)が怖くて怖くて震えていた。でも、観たいから障子から半分だけ目を出して観る。毎回ビビりながら観ていた記憶がある。見た目の怖ろしさというより、子どもながらに、おどろおどろしさや人間のむき出しの差別感情が「怖ろしさの形」に見えたのだと思う。
で、実写化ドラマになった時に驚いた。
女優の杏さんは大好きなので配役に全く問題はないが、やはりそこは現代版。全体的に洗練されているのだ。

そう、先ほどから何が言いたいかというと「洗練」されるとキレイにはなって、おどろおどろしさは感じられなくなるが、昭和に育った世代からすると魅力が半減してしまうのだ。難しいところだね(笑)。

あなたが好きと感じる昭和は、存在しない昭和なのだ!

昭和というと、下町好きやレトロ好きな人からすると「味わいがあって、古くさくてダサいところが可愛い」ってな感じだろうか? 私も好きですよ、すごく。
でも、昭和中期生まれの私からすると、本当の「昭和」とは、すえた匂い、煮染めた色、ホコリっぽくって、カビ臭くて、人間の感情むき出しで、洗練されてなくて、暴力的で、猥雑で、隠微で、暗くて、怖いものなのだ。
でも、それがたまらなく懐かしかったり愛おしかったりする
現代のレトロ好きな子たちは「レトロだからダサ可愛い」のかもしれないが、当時私たちが触れていたり見ていた時はレトロでも何でもない。新品だったからレトロ好きからしたら価値はゼロだ。新品なのにすえた匂いがしてホコリっぽいってどういうこっちゃ(笑)。

私は昭和中期に生まれて良かったと考える。
すでに洗練されてしまった物、大人たちが隠したかった汚い物、そんなむき出しでおどろおどろしい物が子どもの頃に見られて(または、自分で見る見ないが選択できて)本当に良かったと思う。その頃に培った感覚は今でも自分の個性になっていると思う。

現代では「いろんなアイデアや物が出尽くした感」がある。昭和のあの頃は混沌としていて、黎明期のわくわく感があったのだ。洗練されてないから自分で磨くこともできた。新たな物を生み出す喜びもあった。

でも、もう戻れないし、戻りたいワケでもない。

私自身は子どもの頃、裸足で森(湿地帯)の中を歩くのが気持ち悪くてできなかった。今でもだ。「森はおそろしい〜♪」(ニコルさんのマネで読んでみよう(笑))。

まだ幼稚園児の時に、テレビで放映されていた怪奇映画「マタンゴ」を観てしまったからだ。
「マタンゴ」がもたらしたトラウマは「眠れない」「トイレに行けない」「ホラー嫌い」以外にもまだある。
いまだに、なめ茸が食べられない(他のキノコ類は大丈夫)。
女優の水野久美さんが出演されているドラマ(どんなホームドラマでも)が怖くて観られなかった。

結局は昭和時代の感覚は、映画「マタンゴ」に集約されているような気がする。

だからね、「私の詩集、買ってください」と、同人誌即売会に出店してる女の子は微妙に違うんだということが言いたかったのですよ(なんじゃ、そりゃ)。
私が言いたかったこと、わかる?

それでは、また次回。
―330日:還暦カウント

BGM  by  GLIM SPANKY 「焦燥」


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