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実録「上から書店員」06:表紙を捨てろ?

「いらっしゃいませ」
書店員のお仕事の中で、お客さんもよくご存じなのが「書店の表紙カバーをつける」お仕事です。
この実録ルポの表紙画像も、書店の表紙カバーを加工して作ったモノ。内緒だけど、見たらピンとくる人は多いも思います(バレませんように(笑))。

書店の顔となる表紙カバーは書店特製なので大量に印刷→入荷してサイズごとに書棚の下にある引き出しに格納されています。
その時はまだ1枚の紙です。書店名やイラストが印刷されたただの紙です。
それを書店員が書籍サイズごとに折って、書店の顔に作り上げるのです。

慢性的に人手不足で、毎日仕事の多いなか、カバーを折る仕事は接客の合間にちょこちょこ励みます。紙の上下(天地)を折ったモノは重ねて、レジカウンター下に積まれているのです。

そして有象無象書店ホルス無双店でも、皆さんお馴染みの本を買う時のレジでのシーンになります。
「カバーおかけしますか?」
「お願いします」

慣れない頃は、お客さんの前でカバーをかけるの緊張するんだよね〜。もう「見ないでー! どっか行っててー!」とか心の中で大汗かいてますのよ。おほほほほ♪

一番多く出るサイズはやはり何といっても文庫本サイズ。だいたい統一サイズなので、折っておいたものでピッタリ入ります。たまに、ものすごくぶ厚い文庫本もありますが天地サイズが合っていればギリギリ入ります。

文庫本なのに統一規格外で、折っておいた文庫本サイズのカバーに絶対に入らない文庫本レーベルが1種類だけあります。ほんの1センチ弱程度なのですが、どうしてもサイズ違いになります。

それは……ハヤカワSF文庫

伝統の文庫本レーベルです。魚住もお世話になりました。大好きですよ。
でも、編集者であり小説書きでもあり書店員でもある魚住がそこで諦めてはいけません。多忙の合間をかいくぐり、「ハヤカワSF文庫」用の書店カバーを折っておけば良いのです。ほーら、こんなに簡単なこと! 面倒くさがってはいけません。これでSF好きもひと安心です。魚住は(自発的に)いつも10冊分ぐらいは用意していました。マニアらしきお客さんが買いに来るとついニコニコしてしまいます(笑)。

でも、たまにA4判ぐらいの写真集を買うお客様から「カバーをつけてください」と頼まれると、予想外の要望にアタフタしてしまいますが(笑)。
「この人の写真集を買うことが恥ずかしいことなのかな?」

「カバーをかける」「カバーをつける」ことの意味は、どういうことなのでしょう?
①「表紙が汚れないように」…保護。
②「何を読んで(見て)いるか知られたくない」…隠す。
③「書店の表紙カバーが好き。集めている」…コレクション。
おおむね、①か②の理由が多いと思うのですよ。

もちろん、「いりません」「結構です」「大丈夫です」という答えも圧倒的に多いわけです。それでも全然かまいません。

余談。
2011年に書店員デビューして接客し始めた時に驚いたことがある。「ポイントカード登録のおすすめ」や「カバーおかけしますか?」と声をかけると大人はだいたい断る時「いいです」「いりません」「結構です」という答えが中心だった。でも、中学・高校生は100%が「大丈夫です」と答えるのだ。全員よ全員! 最初聞いた時に「何が大丈夫なんだろう? 文法的におかしかねぇか?」と思ったもんだ。「カバーはかけなくても大丈夫です」と全部言ってみてもなんか違和感を感じる。なんで「大丈夫」なのかな? 「大丈夫」って、「元気ないけど大丈夫?」とか「風邪ひいちゃった」「熱は?」「大丈夫だよ」とかの会話で使いそうなもんだけど。で、魚住は考えてみた。もしかして、普段から会話の中で「強い否定」をすると人間関係に支障が出るのではないか、と。友達同士、学校での会話など、「いらない」「行かない」「やりたくない」など、バシッと断ると嫌われる、はたまたイジめられるきっかけになってしまう…なんて考えて、それが無意識的に普通の会話の中に取り入れられている……のか?と。個人的見解に過ぎないのだけれど、そうだったら何か不自由で可哀想だな。でも、それから数年であっという間に、ひとを傷つけない否定=「大丈夫です」は全国的にデフォルトになっていった。今では普通の会話だよね。

さて、話を戻して、表紙カバーについて。
表紙にかける書店カバーひとつ取ってもそんないろんな考えが渦巻く書店員・魚住であるが、今度は編集者・魚住の脳天を鈍器で殴打するような出来事が起こった。

「いらっしゃいませ」「カバーおかけしますか?」
「いらん! それより、表紙も取って捨てておけ!

はあああぁーーーーーーーー!?

じじい、今何と言った? 何と言いやがった!?
本の顔である表紙カバーを取って、書店員に捨てさせようと言うのか?

本の表紙は大事なんだぞ。出版社が書籍制作を編集プロダクションやフリーランスに丸投げして出版編集機能を半ば放棄しようとも表紙の制作だけは決して離さないものなんだ。表紙には本の内容を表すマーケティングのすべてが詰められているモノなんだよ。本屋に来て本を選ぶ時に何を見る? 表紙だろう? 長年文章を書く仕事をさせてもらってはいるが、書店に来て平積みにしてある本を見てインスピレーションを感じるのは、購買意欲がそそられるのは長い文章じゃない。イラストや写真、装丁、デザインなのだ。

そう! ビジュアルなのよ! 音楽のレコードやCDを買う時に「ジャケ買い」っていうように本にも「表紙買い」ってあるワケよ。「タイトルが素敵」とか「タイトルが気になって」とかもあるけど、それも「表紙が良いな♡」っていう気持ちに入っているのよ。そこにはね、制作側の血と汗と涙と残業と徹夜と休日出勤と「えー、お父さん!今度の日曜日、遊園地連れてってくれるって言ったのにひどーい!」「編集長! 子供が熱が出て迎えに来いって保育園から電話があったので、この仕事は自宅作業して明日までにデータをメールします!」なんて、クリエイターたちの嘆きと叫びが詰まっているのよ。

すべてのクリエイター、編集者、イラストレーター、絵師、写真家、装丁家、デザイナー、小説家、ライターたちを代表して、不肖・魚住陽向が声を大にして言わせていただきます。

じじい! 本の表紙カバーを捨てろだとーーーっ!!!

だいたい、自分が会社員だった頃どれだけ偉かったか知らんが、見ず知らずの者にその鬼軍曹みたいな命令口調はなんなんだ?
常連でも年長者でも許さないぞ!
毎度毎度、表紙カバーを捨てさせやがって!
もし、本当に表紙カバーがいらないにしても、書店員に捨てさせるなんて卑怯だ! 自分で持ち帰って、自分ちに捨てやがれ!
そして、出先で入った公衆トイレどこでも紙がない事態に一生陥るがいい!この、罰当たりがーーーーっ!!!

「はい、かしこまりました」

はっ!!!
またも嵐大好き先輩のクールな接客で我に返った魚住。
先輩は冷静で頼りがいがある書店員。
魚住はカッとしやすくて(頭の中で)口が悪くて、接客業には向いてない性格(口には出さなくても顔に出ちゃう)。ホントだめだなぁ〜。

でも、やっぱりこれはどうしても承服できないのよ……。

だって、魚住は長年編集者やってきて、可愛い可愛い書籍ちゃんや雑誌記事くんを作ってきた人間なんだもん。それに一応、小説書きなんだもん。

いや、何より……本やマンガに生命を救われてきた人間なんだもん。
どんな本でも、表紙カバーだけでも……捨てるなんてできないよ。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


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