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「軽率な読書」のすゝめ

はじめに

わたしの趣味は読書です。

ここ最近は読んだ本をTwitterでつぶやいたり

オススメ本紹介したり

と、ただ読むだけじゃなくて記録に残したり発信したりとかしてるのですが

その中で「読書」という行為そのものについていろいろ思うところがあったので書こうかなと。

読書について私が思うこと、ここで主張したいこと。

それは

みんなもっと雑に読書しようぜ?

ということです。

私の読書の実態

ところで芦田愛菜ちゃんとか読書家で有名ですね。

適当にググったら彼女は年間180冊よむという記事がでてきました。

言っておきますが、

ぼくはそのレベルじゃないです。

芦田愛菜ちゃんレベルの人が雑に読書しようぜとか言っても

「はっはっは、抜かしおるわ」

となるでしょう?

なので、ここではまず私がどのくらいのペースで、どんな本を読むのか、を書いていきます。

読書のペースですが、

平日は毎朝30分くらい読書の時間をつくって読書しています。

本の続き気になるなぁとか思ったら夜にも読みます。

休日は読んだり読まなかったりです。

このような感じで本を読んでいるので、ペースとしては週に平均1冊、月平均で3、4冊。

年間だと最大でも50冊くらいかなぁ、といった感じです。

続いて読むジャンルですが、

圧倒的に小説が多いです。

特にファンタジーやSF、歴史ミステリー(ダヴィンチコードみたいな)とかが多いです。

最近よんでないですけどライトノベルも大好きです。

空想の世界に入り浸るのが大好きなのですよ。

そのために読書しているといっても過言ではないです。

また、ビジネス書や一般向け学術書もたまに嗜みます。

最近は哲学がブームきていますね。幸せになりたい。

で、以上まとめますと、わたしは

・週1冊程度のペースで本を読む

・読む本はもっぱら文学(ラノベ含む)

となり、まったく読まないような人よりは読んでるんじゃない? くらいかなと思います。

といっても読書のペースだの量だのなんてものは、無意味な指標です。

あくまで私の読書の実態を知ってもらうためだけのために書いたにすぎませんから、ふーん、と流してください。

読書という行為にまつわる勘違い

読書が趣味というと真面目そうとか頭良さそうとかってたまに言われます。

ちょっとツッコミいれたいのですけど、

読書したって別に偉くないぞ?

なんか勉強とかしていると勘違いされてる感があります。

また、たまに読書を勧める記事なんかもあります。

読んでみるとみると読書はよいことだしこんな相関が~、とか書いてるのですけど、

うるせえぞ。。。

という感想を抱きます(短気ですまん)

言っておきますが、

読書は娯楽です。

そう、娯楽。テレビやYouTubeみたいなもんです。

たまに勘違いして読書していることそれ自体を誇る方がいらっしゃいます。

そういった人はなんだかハナにつくし、読書が高尚なものみたいなイメージをつけてしまって読書離れを加速させてるんじゃないかなぁ、とか勝手に思ってます(圧倒的主観)

なぜ本を読むのか。

それは楽しんだり満足感を得るためです。

したがって読書とは娯楽であり、読む本が文学だろうとビジネス書、学術だろうと例外はありません。

と私は考えます。

いやいや、私は読書することで教養を得てそれで~、と思う人もいるかもしれません。

でも冷静に考えてみましょう。

それは本当に読書によってもたらされたことですか?

上記の教養を例にとって考えてみましょう。

実際、多くの読書をしよう、とする人の目的に、教養をつけるため、というのがある気がします。

まず本は情報が書かれていますので、それを読むことによって雑多な知識をインプットできる、これは事実としてあると思います。

でもそれで教養をつけたことになるのでしょうか?

教養をみにつけた、とするには、インプットに加えて自分で説明できる程度に理解する必要があると考えます。

そのためには、おそらく本1冊では無理でしょう。

何冊か読む必要があるでしょうし、読書以外にも、例えば美術に関する教養なら美術館に出かけるとか、そういった+αのアクションが必要じゃないかと考えます。

教養が身についた、という人は、単純に読書をきっかけとしてそこまでのアクションを起こしたから身についたのではないですか?

本が何かのきっかけになる、というのはよくあることです。

私も経験あります。

ですがこれは読書でなくともありうる話ですね。

なにかきっかけを与えてくれるものは周りにいくらでもあります。人でもテレビでもSNSでも漫画でも、なんでも。

情報に関しても、本に限らず別のメディアからでも十分に得られるの可能性高いです。

つまり、本はメディアの一つであり、それに接する読書という行為はそれほど特別なことではないのです。

もし読書によって何かを得たいのならば、読書 + αが必要である。

このことは忘れてはいけないと思います。

『軽率な読書』のすゝめ

さて読書は別に高尚なものではないぞ、ただの娯楽だぞ、ということを書きました(伝わったかどうかは知らない)。

その上で私が言いたいのが、

みなさんもっと軽率に(雑に)読書しましょうよ

ということです。

タイトルにある通り、『軽率な読書』を提案し、勧めます。

読書は良いものです。

文学は自分の知らない世界を見せてくれます。

現実逃避に最適です(オイ

まぁストレス発散できるし癒されたりします。

ビジネス書なら目からうろこの情報を得られたり、あるいは自己啓発的に読むとポジティブなやる気がむっくり出現するかもしれない。

上記の通り読書は気楽に雑に始めるものです。

まずは本を選びましょう。

本屋で見かけたなんか気になるタイトルの本、SNSでだれかが勧めていた本、なんでもよいです。

適当に読んでみましょう。

読み始めたら最後まで、なんてルールもありません。

飽きたらやめましょう

時間の無駄です。

わたしはもうしょっちゅう読むのをやめてます。

面白いなぁと思ったらしめたものです。最後まで読んでみましょう。

読んだ後、自分の中に何か熱のようなものを感じます?

それはハマったってことです。

では、次の本を探しましょう。

同じ作者の本を読む? 同じジャンル? それとも参考文献あたってみる?

見つけたら、読む。

冷めたらやめる。

以下繰り返し。

軽率な読書、とはこういうことです。

もっとゆるくて雑でよい。

読書はそんな高尚なものじゃありません。

なのでここまで軽率な読書を勧めてきましたが、本なんかよりYoutubeのほうが面白い、というならそれもありです。

本好きとして提案しただけで、強制はしません。

本を読む、という行為に対して少しでもハードルが下がって、本を読む人が増えたなら、

私がうれしい(かもしれない)

だからこんな記事を書いただけにすぎません。

最後に

ながながと読書について書いてきました。

とりとめのない文章で申し訳ない。

読書してるけどこのありさまよ。

まぁでも、これも読書のハードルを下げたのではないかなぁと思ったり。

あなたが何か気になる本を見つけたとして、迷いなく気楽にその本を読み始める手助けとなれたなら。

それは幸いですね。

以上です。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

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