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中学と一致団結的なもの

中学と一致団結的なものは親和性が高いのか。
問題。

私個人の話として、人と団体で、同じことをするのは、別に苦じゃない。

でも、強要されると話は別で、どうにも気持ちが悪い。居心地が悪い。

中学の頃の合唱などが良い例で、歌は好きなので、合唱は楽しかったけど、みんなでひとつになって、団結して云々となると、もう嫌だった。

やる気を失うとまではいかないけど、「団結なんか嫌です。歌なんかうたいません」そして、そっぽ向きます。となる子の気持ちがよくわかった。私は、臆病で、揉めるのが嫌だったので、適当にうたっていた。

でも、口の大きさが小さいとかで、かなりつけつけ言われた。音を外すよりいいと思うけど。。。一応前も向いてうたってるし。

私の中学は、何かに取り憑かれたようになんでも「団結」とか、「心をひとつ」とか「伝統」とかを、スローガンに掲げていた。今思っても異様な感じがする。

合唱も、体育祭も、掃除(清掃)活動も、帰りのホームルームの時間の黙考も。

一人で考えるための「黙考」(一種の瞑想みたいなもの。目を閉じて、内省する)の時間も、その後考えたことのシェアリングが必要で、ノートに書いて提出が求められた。

気持ち悪。

いつだったか、実家に帰ったとき、中学の今の生徒さんが、中学の校風アピールみたいなチラシを地域に配っており、「一致団結」とかなんとかを伝統にして、私たちは輝きます! みたいなことが書いてあった。

まだそんなことやってるんだ。。。

この活動が楽しい人って、どんな人なんだろう。

当時も、今も、不可解。謎。

でも、私が卒業してからうん年経っても、私の時代とそう変わり映えしない感じの文面を見ると、相変わらずそういうことが楽しくて、そういうことを良しとする先生がいて、煽る人がいて、そういうことに乗っかってリーダーズする生徒の子がいるということだ。

わけがわからん。

その中学は、田舎の公立学校。市内では大きい学校だけど、少子化の今、どれくらい子供がいるのか、また減ってしまったのか、分からない。

人数が多いと、上から押さえつけるような全体主義みたいなものが、効率よく生徒を指導できる方法らしいというのは知っている。

言い方は悪いけど、「隣り組制度」みたいな、グループ連帯責任みたいな。

でも全てに勝ち負けをつけてやる気を出させ、いちいちに一致団結を呼びかけなきゃ、行事や活動ができないって逆にどうなの。

やり方が悪いからできないのであって、いつまでも「伝統」にしがみついて、同じことをしてる方が変なんじゃないか。

中学は全国どこもみんな、一致団結がスローガンなんだろうか。

そんなわけがないと思いたいし、そんなわけがあったら、どうしようと思う。

でも中学の頃の年齢って、確かに難しくて、一致団結で煽った方が、やりやすい(先生が)のは、事実だろうし、だから親和性も高いのだろうな。

やだな。

【今日の英作文】
「週末にかけて晴れるようだ。」
"It seems sunny over the weekend.''

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