「どうでもいいか」という視点
今の職場には、一応という名前のついた専属調理師さんはいるけど、所長はいない。
責任者は相変わらず不在。
応援として、会社の人が入れ替わり立ち代り出入りするのは、私が休職する前と変わらないようだ。
前はその状況に、どう対応するのがいいのか分からなかった。
応援をあてにしていいのか、しちゃだめなのか。
そこに応援としているなら、所長がいなくて、人手が全然足りない今、パートの業務でも手伝ってほしい。
たかがパートの業務って下に見るかもしれないけど、もしパートがいなければ、食堂は回らない。営業できない。なぜなら準備も、提供も、片付けも、掃除も全部パートの仕事だから。調理こそしないけど。
応援っていうなら、応援の仕事してほしい。
と私は思っていたけど、応援の社員さんは、そういう気は、誰も持たないものらしい。
提供の時だけふらっと現れて、ちょっとだけ手伝い、時間になったらピークだろうと、ラッシュだろうと関係なく、事務所に戻って事務仕事をして、営業所からも帰宅する。
そういうものか。なんかがっかりだ。
応援なんていう名前がつくから、期待しちゃう。
でも考え方を変えて、分かってみれば、めちゃくちゃ単純明快な仕組みだった。
社員さんには、基本やるべき仕事というのが、別にある。応援だから仕方なくその営業所の提供には参加しなきゃなとは思う(らしい)けど、他はやらない。それ以外は、自分の仕事じゃないから。
なるほど。
それはあんまりだ、とか、人の心はないのか! とか前の私は思っていたけど、仕事でないものをやれと言われても無理だし、やろうとも思わないだろうし、やらないのは当たり前なのだ。
冷たい言い方をすれば、現場の私は応援の人をいないものとして振る舞え、ということ。
そんなものなんだな。そんな応援の人の応援なんて、どうでもいいか。
そう思えたら、なんか心がすっきりした。
やってくれない相手に、どうして? なんで? と思い続けるのは苦しい。
そういうものだと思うこと。
事実を見ること。
自分の理屈と、感情に振り回されすぎないこと。
諦めるわけじゃない。
相手の都合に合わせるわけでもない。
一歩下がって、ふうん。と眺める。
見える景色がまた違う。
そういう視点も必要だ。
私も少し変われたかな。
そういうことなんでしょう、と事実のみを見るのは、痛くもないし、むしろ腹落ちする。
あんぽんたんマネージャーのやり方も、まあ、ありがた迷惑だわな。と思いながら、怒っても仕方ないと思えば、辛くもない。
真正面どんとこい、だけがやり方じゃない。
【今日の英作文】
ビーフシチューが食べたくてたまりません。問題は牛肉が高すぎることです。
I'm dying for beef stew. The problem is that beef is too expensive.
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