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なぜフォロワー(clouts)が増えると嬉しいのか?

フォロワー

今日日、あらゆるSNSにおいて、その機能を搭載していないものはほとんどない。

フォロワーの数が、自分の心の支えになっている人もいるだろう。逆にそんなに気にしていない人もいるかもしれない。しかし、そうだとしても、あなたのフォロワー数が「0」になったら、いやなった”だけで”、あなたはせんかたもないような不安・焦燥感に襲われるかもしれない。

なんで

どうして

変な事書いたかな・・・!?

という風に、数字に踊らされるかもしれないのである。


第一章で指摘したように、「選択的関係」が主流化する社会では、承認の獲得が重要な問題となる。人々は、自らの存在を認めてくれる関係を、自己充足的に準備しなければならない。〔中略〕コミュニケーション・コンテンツに実装された承認測定機能は、人々を当該端末、当該コンテンツにしばりつけ、新たな行為様式を確立してゆく。(石田光規、2018、244-245)

まず先に述べておきたいことが、現代はその「空間」が前近代とは大きくことなるということ。(まぁ”前”近代と言っている時点で、変化を前提としているのだけど)

現代(近代)以前は、地縁としてのつながりが強かった、家や共同体、地域という区分が明確に存在しているわけではなく、線引きが緩かったといえる。

しかし、近代的な空間が、資本主義経済の確立と共に形成されていく。

生産の場が、「家」ではなくなり、資本の集中する都市部などの一部の地域に限定される。「仕事場」「工場」という空間は、非常に特殊なものなのだろう。

地縁というしがらみから解放された人々は、自由を獲得する。つまり自分の望むように人間関係を構築することができるということ。逆を言えば、孤立する恐れが大きくなるということだ。

ここで人々は、自分を承認してくれる集団の形成に迫られた。人間は完全に孤立しては生きてはいけない。

携帯電話

時を同じくして、「携帯電話」というものが現れた!

この携帯電話の発達に伴う、コミュニケーションツールの台頭は、人々の選択関係をより加速させることになる。

引用にもある通り、コミュニケーション・コンテンツには、承認を測定(可視化)する機能がある。文の冒頭、フォロワーのその実、同じような類であろう。

なぜ、フォロワーが増えると嬉しいのか?

それは、フォロワーが減るとなぜ不安になるのか、という疑問の裏返しに他ならない。

現代が、自分を認めてくれる集団を”作る”必要があると先ほども書いた。

つまりこのフォロワーも、自分を認めてくれる一種の集団なのである。

故に、正確に言えば、「なぜフォロワーが増えると嬉しいのか?」ではなく、

フォロワーが増えると、なぜそれが一時的に不安を解消してくれるのか?

の方が適切であろう。

刹那ともいえる、「安心」という感情が「嬉しい」という感情を殻をかぶっているかもしれない・・・。

「フォロワー」も「スキ」も、選択関係の一種ともいえよう。自分を認めてくれる、自分を承認してくれる、SNSを使っている人は、少なからずその希求をどこかで持っているに違いない。

そうでないとするならば、フォロワー数も、イイねの数も、コメントも、記事のビュー数も表示されず、ただ自分がコンテンツを画面上に表示させるだけのコミュニケーション?・コンテンツをだれが使うのだろう?

そんなやつはまぁいないだろう。

フォロワー数の増加を見て感じる幸福感(擬き)は、自分の不安の大きさをそのまま反映しているのかもしれない。

そうして、フォロワー数がどんどん増えていって、自分の根本的な不安・孤立感が消えていないことに気づく。

フォロワー数が、本当にただの数字にしか見えなくなった時、SNSを不安解消ツールに使うことの潮時だろう

真の意味での承認を得るためには、やはり人との関りをもつほかにない

今日も大学生は惟っている。

🔵メインブログ🔵



石田光規. (2018). 孤立不安社会 つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖. 勁草書房


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