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「私設公共」から始める地方創生の自分ごと化とヒト・企業・地域の成長|地域視考

記事を書くごとに文章が長くなる。目下の課題である。直近書いた中で最も文章量が多くなった記事といえば、前回の「地域視考」の記事である。

書籍の感想と気仙沼市に落とし込んだ場合の考えの両方を1記事にまとめたものだが、結果的に9,000字を超えてしまった。もっとも無料部分に限れば文章量はそうでもないが、そうは言ったとてといった心情である。

無論、短い記事が良いわけでない。またどれだけ文章量が多かろうと質が伴っていれば良いのである。一方で、タイムパフォーマンスを求める声が増えつつある昨今、字数を見ただけで敬遠される可能性がある。

字数だけ見て敬遠されてしまっては、記事の質も何もあったものでない。というわけで、今回はコンパクトな記事を提供しようと思う。「地域視考」は長くなりがちなので、たまには良いのでなかろうかと思いもする。


『私設公共』は弱り続ける地方にとって必要な取り組みであり考え方である

少し前にほんのりと話題になったようななっていないようなテーマである『私設公共』について語られた記事がある。

本棚オーナー制度と呼ばれるビジネスモデルを提供した土肥氏を取材した記事である。本棚オーナー制度とは、文字通り本棚のオーナーになる制度だ。1ヶ月2,000円で本棚のオーナーになり、自分の本を貸す仕組みである。本棚に並んでいる本は、利用者が借りて読めるので、結果的にちょっとした図書館ができあがる。いわゆる私設図書館と呼ばれるものだ。

手軽に生み出せて交流を創造できる私設図書館

一般的に自治体が提供する公共サービスである図書館を私設で提供する。本棚オーナー制度によって築かれた本棚には、オーナーの色が出るため、本を通じてオーナーの人となりが知れ、借主とのそこはかとないコミュニケーションが生まれるのだ。

本棚オーナー制度は月単位の契約となるため、月ごとに本棚が変化していく可能性がある。だから毎月違った本が読める可能性が生まれるし、何より一般的な図書館よりも新鮮な気分で利用できる。ちなみにオーナーからすれば、自分を知ってもらえる機会になるので、未知の人脈ができる面白みがある。

いわば、人脈とコミュニケーションを生み出す図書館である。それが一般的な図書館を作るよりも遥かに低コストで開設でき、本を通じたコミュニケーションによりちょっとした賑わいや交流活動を生み出せる。つまり公共サービスそれ自体の私設さえできる仕組みと言えるのだ。

私設公共は公共の公的維持が難しくなる時代に大切な視点

先に伝えておくと、私は図書館を好ましく思っている一方で、無料貸本屋を快く思っていない。昨今の書籍が無料で読める機会を通じて賑わいを生み出すといった催し、図書館の機能については、著作者に適切に金が支払われる法令を作るべきだと考えている。

書籍は無から生まれるものではない。著作者があって初めて生み出されるものであり、権益者に対して適正な報酬が支払われない仕組みを正当化してはならないと考えている。つまり、本記事にあるような本棚オーナー制度についても快くは思っていない。著作者にフリーライドするビジネスが認められてはならないと考える。

一方で、公共サービスとして提供されている様々なサービスを私設・私営の形で提供し、それを通じて賑わいや交流を生み出すといった考え方・動きについては大いに賛同したい。この先、地方の多くの自治体が、財源の関係上公共サービスを維持していけなくなると見られる。

過疎地に住んでいる人々が一夜にして都市部へと転居できれば何ら問題ないが、現実には不可能である。だから自治体の規模が小さくなっていくのに合わせて公共サービスの提供規模・提供形態をミニマライズしていくよりない。

だが、住んでいる人々にとって、ミニマライズされて良いものと困るものがある。それこそ図書館が人口1,000人以下の自治体で提供不能になったとして、その自治体に住む人々の中には提供されず困る人々がいるのだ(現実には図書館の規模を縮小する、自治体を合併して対処する、などが取られるだろうが)。

そんな未来を想定したとき、私設公共の考え方は重要になってくる。なければ作れば良いの精神である。それこそ図書館の機能自体は、住民が本を持ち寄っても提供可能だ。そこに維持に必要な金の動きを設計できれば、自治体に頼らず公共サービスを維持できる。

もちろん、そうした状況は末期的であり、とても褒められたものでない。しかしながら、そもそも自治体が提供しなくて良いような公共サービスは無数に存在し、その中には考え方によって民営で行えるだけの収益を得られるようなもの、その方が品質を向上させられて良くなるものが存在する。

そんな公共サービスを切り出して私設公共化し、住民が自分ごととして運営していく。運営する中でより良いものにしていく。そのような道は、決して末期的な状況とは言えず、むしろ発展的で好ましいのでなかろうか。とくに住民が自分ごととして取り組める点は、まさに現在の地方にとって良い点である。

地方創生・地域活性化が失敗する理由を取り除く一助になる私設公共

地方創生、地域活性化といった施策が打たれ初めて10年近くになるが目立った成果は出ていない。その間も地方は弱り続け、地方に資金提供を行わなければならない国も東京都も成長機会を逃し続けている。残ったのは国難とも言える課題ばかりだ。

なぜ地方創生や地域活性化が失敗するかと言えば、そもそも成功可能性が存在していない地域がほとんどであるため、と言わざるを得ないが、それはそれとしても住民一人一人が自分ごととして捉えられていない問題が大きい。

つまり、自分たちの住んでいる地域が明日滅ぶとも知れないのに、他人ごとのように目を背け続ける結果、自治体が何をしたところで芳しい成果を出せないのが問題が大きい。

最たるものが企業支援及び起業支援である。結局のところ、地方創生・地域活性化を達成するには、地場企業が飛躍的な成長を遂げ、大金を稼ぎ出せるようにならなければならない。そうでなければ、地場企業を軒並み潰す覚悟で外資や内資の大手企業を呼び込む以外に、地方の再生は達成し得ない。

それにもかかわらず、地場企業は支援を上手く活用した成長を達成できず、それどころか目立った動き一つ取ろうとしない。起業支援にしても、住民が自分たちの住んでいる地域をどうにかしようと立ち上がり、成長企業を創り出そうという動きがあまりない。

結果として、いつまでも低い賃金と法令違反かくやな悲惨な労働環境・労働条件が罷り通り、未来ある若者たちは地元を捨て、適正な報酬を得られ、適切な環境・条件で働ける企業が存在する東京都近郊へと足を向けるのである。

その背景にあるのは、繰り返しになるが、地方の問題を自分ごとにできていない住民の存在である。地方の問題は自分の問題だと理解できるようになれば、考え方・動き方が変わり、課題解消へと前進できるようになる。

だから、まずは公共を身近な存在として捉えて自分ごとにできるようにするところから始める必要がある。そこで役立つのが、自分の一部を公共サービス化できる私設公共なのだ。

気仙沼市で行われている活動を例に『私設公共』とは何かを知る

紹介した記事では、私設公共の事例として本棚オーダー制度の取り組み以外は載っていない。Google検索で”私設公共”を検索しても結果は同様で、他の事例があまり見られないため、”私設公共=本棚オーナー制度”の図式がイメージされてしまう。

しかしながら、私設(民営)による公共サービスといった視点で考えれば、私設公共の事例は、世の中に数多く存在している。身近な事例として、気仙沼市での事例を挙げると、本noteで度々取り上げている「アジアカフェ&nihongo cafe」はまさに一例になると考えられる。

本取り組みは、民間団体である地球ラボと佐藤氏による取り組みで、民間企業であるくるくる喫茶うつみが場所を提供する形で協力している。内容は、気仙沼市内で働く外国人技能実習生に地域の人々との交流機会や生きている日本語と触れる機会を創出する取り組みとなっている。

大抵の場合、地域に住む外国人の住みやすさ、生活しやすさの支援は、自治体が提供する。とりわけ多様性への理解促進が掲げられる昨今においては、事業として外国人との共生に資する取り組みを実施している自治体もある。だが、事業として提供される取り組みは、どこか形式張ったものになりやすい。

一方で、「アジアカフェ&nihongo cafe」は明確な提供サービスを打ち出さずに、あくまで開催時間内に自然な触れ合いを提供している。成り行きに任せながら、柔軟な対応をすることで、生きた触れ合いや日本語交流を提供し、温かなコミュニティを形成しているのだ。

これが自治体の取り組みとなると、恐らく予めスケジュールと参加者が決められ、当日はスケジュール通りの企画を淡々とこなしていくだけになり、形成されるコミュニティは機械的なものになってしまう。また、どこか仕事めいた感覚が生じるため、参加の気安さに欠ける。

「アジアカフェ&nihongo cafe」は民間だからこその自然さ、柔軟さが生きたコミュニティ形成を生み出せているのである。もちろん民営だからこその課題や難しさもあると思われるが、私設公共だからこその良さは確実に提供できていると思われる。

このような取り組みが増えていく程に、コミュニティは拡大し、その繋がりは密になっていく。同時に、住民の中には自身も公共サービスを担っている意識が生まれていくものと思われる。つまり、自身の力が地域を支える力になっている自覚ができていく。

自身の役割を認識できた人間の行動は、その役割を果たす方向に行きやすい。そう、「地域を支えるために自分は何をすれば良いか?」「もっと地域のためにできることがあるのでないか?」そんな地域のためを考えた行動に意識が向きやすくなるのである。会社も同様だ。

地域を自分ごととして捉えられたとき、人も企業も成長に向けて進めるようになる

先日、地域のお役に立つと会社が成長するといった話を伝えた。それはまさに、会社が地域にとってどんな役割を担っているかを自覚した先に、地域のための在り方を模索し、成長に向けて舵を切れるようになるためである。企業が成長すれば、地域はどんどん蘇っていく。良い循環が生まれるのだ。

起業にしても同様である。多くの場合、起業の根底にあるのは課題である。そして、地方とは課題先進地であり、課題には困らない。その課題は、特定の地域だけが持っているものではなく、多くの地域が持っているものであり、解決方法を欲している地域は多い。

つまり、地域における自身の役割を自覚し、地域の課題解決に意識が向いた先にある起業は、自身が住んでいる地域だけでなく、他の地域も救うことができ、それに合わせて事業として大きな成長を果たせる可能性がある。折しも日本の地方・地域が抱える課題が他の先進諸国にも見られ始めている。グローバルで成長できる可能性があるのだ。

こうした地域ベースの大いなる成長は、いかに自分ごととして地域を捉えられるかにかかっている。その足がかりとして、私設公共がもたらす価値は高い。気仙沼市は、人々のやってみたいを後押しする文化を持っている。そんな気仙沼市で私設公共が増えていく未来を願ってやまない。


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