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まだどこかで信じている

仕事でちょっと目を離した隙に、各方面からSOSを知らせる通知や面倒そうな案件、どうでもいいお知らせが山のように入っていた。
一つ一つに目を通す時間も惜しいくらい、今の私には時間がない。

自慢だった記憶力の良さでさえ鈍りが見え始めていて、空で言えていた予定がすっぽりと抜け落ちている。今日、いまこの瞬間以外のことにもやがかかって思い出したいのに思い出せない。
もどかしくてしばらく戦ってみたが、諦めてスケジュール帳を開いた。
初めからこうしていればよかった。

実家のこと、父の体調。
祖母のこと、引越し先のこと。
そして自分の仕事や友人関係。

手放してしまえば楽になるんだと思う。
私には無理だと言えば、済む話なのかもしれない。
相談した人の中には、自分なら抱えきれないと言っていた人もいた。

そういった人のことを薄情だとは思わない。
でも、私は一つも手放すことができなかった。

優しいねと言われることもあるけれど、それもなんだかしっくりこない。
私は別に優しくない。
自分がしてほしかったことを誰かにすることで、自分自身を満たしている部分も多いにあると自覚している。それがよくないことだとわかっていても、何もしないよりましな気がした。

自分で蒔いた種なのだ。
撒きすぎた種が育てきれないくらいになって、途方に暮れている。
それでもまだ、どうにかやれる、頑張れるとおまじないように唱えている自分がいる。

滑稽にみえるかもしれない。
それでもまだ諦められないのだ。
もう少しだけ、あと少しもがいたら光が見えるような気がして。
途方に暮れつつも、どこかで未来を信じている自分もいる。


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