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アスリートがアルバイトをしているのか?それともフリーターが世界大会に出ているのか?

当アカウントでは、スポーツに関係する様々な仕組みを多様な角度やアナロジーから見てきている。今回は、アスリートのキャリアや副業についてである。このテーマは昔からいろいろな方向で取り上げられてきている。

アスリートがアルバイトをしているのか?それともフリーターが世界大会に出ているのか?

スポーツをトップレベルで取り組むために、アルバイトをしているアスリートは多い。しかし、これは見方を変えると、普段はアルバイトをしているいわゆるフリーターが世界大会に出ている、という見方も出来るのではないだろうか?

人間初めて見た状態を基準に考える

人間は初めて見た状態を基準に考えるようである。

多くの場合世界大会に出ているアスリートは、メディアに取り上げられて、初めて一般に認知される。その選手の第一印象は、日の丸をつけて試合に出ているものが基準になる。その選手が、競技が大変でお金が無いからアルバイトをしている、というと「大変だ!」「かわいそうに」という認知になりがちである。

一方で、これならどうだろうか?

大学を中退しフリーターとしてずっと働いている。でも実はあるスポーツで日本代表として世界大会に出ている。その遠征費やトレーニング費を稼ぐためにシフトに入る日程を増やしている。この場合、「え?フリーターでお金がないのに世界大会出てるの?なんで?そんな無理しなくてもいいのに。」「まず、普通に働いたら?」などと捉えられないだろうか?

他の人から見たらスポーツ選手じゃなくて、ただのフリーターなんですよ。


あれと同じである。不良が宿題を提出するだけで評価がアップする。優等生が帰り道にゲーセンに行っただけで最近悪い方向に行くと思われるやつ。

キャバ嬢が昼間は大学に通っているというと「将来のことを考えていて偉い!」となる一方で、「女子大生がキャバクラでアルバイトしている」というと、なんとも道を踏み外したようにとらえられがちである。どちらの場合も行動は全く変わっていない。

これに近いだろう。詳細な現象名があれば、お教えいただきたい。

https://nlab.itmedia.co.jp/hc/articles/1703/08/news020.html

表現方法が違うだけ

「アスリートがアルバイトをしているのか?それともフリーターが世界大会に出ているのか?」の答えは、上記の通り、表現方法が違うだけである。プロ選手も本当にごく一部を除き、分野外に出ると、分野外の人にとっては、よく分からないスキルが突出して高いだけの人になりがちである。対応するのは一発屋芸人だろうか。むしろ使えるのはアルバイトの経験が主になる。

セカンドキャリアとの関係:引退するとスポーツ以外のものが、主な活動になる

さて、そんな二面性があったアスリートも、引退をすると、本当にごく一部のコメンテーターなどを除き、スポーツ以外の活動が主の活動になる。アルバイトをしていたアスリートからアスリートを取り除くと、どうなるだろうか?言い方を変えれば、スポーツ選手からスポーツを取り除くと何になるだろうか?もちろんおそらく多くの場合、アルバイトが残る。専業のアルバイトといえばフリーターである。30代で引退すれば30代フリーター。40代で引退すれば40代フリーターである。

ギャップ—というより、元の世界に戻ったという感覚が近いかな

スポーツ選手の突破力や集中力を生かせる素地はあるが、生かすには、ある程度の知能が大切になる。放棄している人も多いので、このルートは厳しいことが多い。

人間社会は知能で規定されている側面が強い。要するに、頭がいい方が有利な社会である。身体能力ではない。人間の一生は、アスリートにとって重要な身体能力が衰える30年前後ではなく、100年近くまで寿命が延びている。そして多くの人が希望する監督やコメンテーターはほぼ枠がない。統計的に見て外れ値中の外れ値である。宝くじより当たらない可能性も高い。

スポーツだけに全振りするということは、ある日を境に暴落する株のようなものであったり、宝くじに全財産を掛ける状態であったりするのと仕組み上酷似している。

現代のスポーツ大会の仕組みは古代ローマのコロッセオとほぼ変わっていない。当時は殺し合いを行っていた剣闘士は戦争捕虜や奴隷であった。弱い選手は試合で負けて戦死したり、処刑されていた一方で、スター剣闘士は35歳ほどまで戦って富を得て引退したようである。(当時の平均寿命40歳)。

この状態であれば、キャリアは一つの事だけをやっていれば良いというのはうなづけるだろう。しかし現代ではそうもいかない。

納得感が重要

なお、フリーターも幾多ある職業形態の中で不利になりがちな傾向があるというだけで、本人が納得しているのであれば、全く問題ない。ただ多くの場合「こんなはずではなかった」と、周りから見ても納得出来ていない状態が見受けられる。「夢は正社員!」なんていう広告も一時期話題になった。

「サラリーマンにもなれない」という表現もある。ここで言っているサラリーマンは正社員の事であろう。

ただ、現状のスポーツ業界の仕組みを考えると、プロ選手も契約選手も日本代表の派遣もそうだが、一部の年俸が高い場合があるだけで、一般企業で言う契約社員・非正規雇用と同じような立ち位置である。

非正規から正規への転職は一般企業でも難しいようである。そう考えると、スポーツをしなくなった選手は、高齢のアルバイトが正社員になりづらいのと同様に、正社員になりづらいというのは、仕組みとしては不思議なことはない。

なぜこんなことが起きるかというと、おそらく人間の社会性いわゆるプライドの問題である。比較として人間ではないが、スポーツ大会と似たような仕組みの運営構造を持つものに「猿回し」がある。あまり猿回しのセカンドキャリアは問題になっていない。むしろ猿的には、引退をすると、猿回しの演技をやらなくなっただけ楽になった、とか思っているかもしれない。

一度スポットライトが当たって、一部は日本を代表する選手となっているため、自他ともにその分野ではトップレベルになっている。しかしそのスポーツの宣伝役の人数は非常に限られているし、競技だけ出来てもメディア受けという別ファクターまで関係ある。さらにスポーツはプロセスに価値が出づらい。見方によっては、スポーツの語源であるデポルターレの意味通りに、真剣に暇つぶしをしている人、真剣に遊んでいる人にしか見えないだろう。トップレベルにも行けなかった場合には猶更である。

それでもメディアによりスポットライトが当たってしまったために、自分には非常に価値があると錯覚してしまいがちな現状が、この仕組みにはある。現にスポットライトが当たっている間は、広告業界の仕組みとの兼ね合いもあり、さらに高年俸になる傾向もある。

さらに身体能力は先述のように30歳前後で、遅くとも40歳では急激に衰えて、続けることも難しくなる。言ってみれば、スポーツのような人間の身体能力に経済価値を見出す方法は、近々確実に暴落することが分かっている粉飾決算の株みたいな仕組みになっている。

そして人間は一度上がった、金銭感覚水準も、自己校転換の水準も、下げるのは難しく、港区女子が婚期を逃すことと似通った仕組みになる。

このような仕組みは非常に強固で、一朝一夕には変わることはない。現にコロッセオも問題視されてから中止までに何度か戦争を起こし、実際の中止までに1000年ほどかかっているようである。

そして現状のスポーツの構造では、次から次へとひたすら出てくる選手を全盛期の一部選手だけを取り上げ、とっかえひっかえを続けるのが最適になっている。

それでも「納得のいくキャリア形成」に対して、最も有効な方法は、スポーツ以外も真の意味で、デュアルキャリアを築くことである。納得感のあるキャリア形成にもつながりやすいだろう。なるべく若いうち、小中学校の頃からこの意識は持つようにしたいところである。

もっとも、当連盟がサポートしている知名度のないスポーツでは、そもそも本業なんて存在しない。元から真剣な趣味である。先進的を目指していたら一周回って、スポーツは暇つぶし・余暇生活という原点に戻ってしまった。

スポーツはもっとカジュアルで真剣な遊びの域を出ないくらいの方が、健全性が保てるのかもしれない。

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