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名もなきフランツと沈黙ロドリゴの狭間で苦悩した私の中のキチジロー

1970年代から2010年までわずか4本しか撮らなかったテレンス・マリック監督が、ここ最近はほぼ毎年一本のペースで撮り続けている。         

シン・レッド・ライン」でドハマりした新参者からすると大変よろこばしい出来事だったが、「ツリー・オブ・ライフ」「トゥ・ザ・ワンダー」以降の「聖杯たちの騎士」「ボヤージュ・オブ・タイム」「ソング・トゥ・ソング」の三作品は、前売りチケットまで買って封切日に喜び勇んで足を運んだものの、見事に船を漕ぐ失態を演じている。
さらに特にこの三作品は、静止画神経衰弱が出来るほど酷似している。

シン・レッド・ライン
ツリー・オブ・ライフ
トゥ・ザ・ワンダー
聖杯たちの騎士
ボヤージュ・オブ・タイム
ソング・トゥ・ソング


さて今作は、第二次世界大戦時オーストリアの実在する若い農夫フランツがナチスの指示や命令に従わず、最期まで自分の信念を貫く様を描いたテレンス監督初となる実話をもとにした内容になっている。

開始早々、ポエティックなナレーションで幕を開けるいつものテレンス節は、アニメ界のナルポエマーこと新海誠を彷彿とさせる。

心地よいナレーションで聴覚に幸せが運ばれてくると、超広角レンズで切り撮られた美しい風景は、自然光によって独特の深みを増し、一瞬にして視覚を奪いテレンスワールドへと誘っていく。

ローアングルから浮遊感漂う独特なカメラワークとテレンスらしいお約束のカット割りは、酔いそうで酔わない上質な果実から作られたワインのような味わいで味覚に悦びを与える。

閑話休題、主人公のフランツが自分の信念・正義を曲げることが出来ず、引くに引けなくなってそのままの姿勢を貫くことで己の存在意義に繋げる姿勢にイライラさせられ続け、最後まで共感できなかった。

「正義感が強い人」「最期まで信念を貫く人」といえば聞こえはいいが、身内はたまったもんじゃない。

申し訳ないが単なる身勝手な厨二病野郎にしか見えなかった。

だからといって主人公フランツの生き方が悪いわけでも間違っているわけでもない。

最期まで自らの正義や信念に基づいて生きただけであって、それ以上でもそれ以下でもないからだ。

鑑賞中、何度も遠藤周作の「沈黙」に登場するロドリゴを思い出していた。

沈黙-サイレンス-

私は、自己中なフランツよりロドリゴが自らの信仰や信念を棄て、踏み絵を踏んでいく姿に共感を覚える。

なぜフランツではなくロドリゴの生き様に共感するのか・・・。
きっと自分が「弱い人間」だからだ。

私はフランツのような「善」や「信念」や「正義」を貫いていく「強さ」を持っていない。
だからロドリゴに共感し、フランツに嫌悪感を抱くのだろう。

しかし、私はフランツがこの世に不要な間違った人間だとは思わない。
それは映画のラストで紹介されるジョージ・エリオットの言葉に託されている。

「歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく。
名もなき生涯を送りーー
今は訪れる人もない墓にて眠る人々のお蔭で、物事がさほど悪くはならないのだ。」

結局のところ「名もなき生涯」でも「沈黙」でも、主人公の力で世の中を変えることはできなかった。

家族への「愛」を犠牲にして「正義と信念」を全うする「強さ」ゆえに死んでいった「名もなきフランツ」と、迫害を受けている信者への「愛」を選択して「信仰と信念」を棄てる「弱さ」ゆえに生き延びていった「沈黙ロドリゴ」。

両者に共通しているのは、苦悩しながらも己の人生に責任をもって死んだ(生きた)ということだ。

それゆえ私は二人の対照的な生き方(死に方)に共感し嫌悪する。

倫理的実存の段階で終わったフランツの「絶望」と宗教的実存の段階までのぼりつめたロドリゴの「絶望」とが、単独者になることを恐れ、美的実存の段階に留まり続ける私のなかの「キチジロー」を揺さぶり続ける。

これまで観てきた「考えるな感じろ」テレンス作品とは真逆のテイストだった作品に、私はおそれおののいた。

★★★★☆


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