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【大正の少女雑誌から】#6 続・乙女の恋歌


大正期の少女雑誌の投稿欄から、美しい恋歌の数々をピックアップした前回の続きです。

「エス」という言葉で広く知られるように、当時の女学生たちには、友達以上の想いを互いに向け合うことが多くありました。とはいえ、それは本当に淡く初々しい、ごくプラトニックなものだと思っていたのですが──

快き絹の詩集の手ざはりに頬を思ひぬみ手を思ひぬ
名古屋 美惠子

『少女画報』十五巻三号〜五号・大正十五年

手ざわりという、肉体的な感覚を通して相手を思い出す。こんな、ドキッとするような官能的な歌が、実はいくつもあったのです。

懐かしやコーヒー茶碗の緣にあかく君が殘せし口紅のあと
鎌倉 蘭子

水仙の甘き香りによき人の幻を追ふ春の宵かも
岡山 南條澪子

春の夜の甘きなやみは君が縫ふ紅ゆうぜんのなまめける色
山口 三角與紫子

『少女画報』十五巻三号〜五号・大正十五年

こちらは3首とも、かの人のセンシュアルな部分に想いをはせている歌です。唇、香り、そして素肌に沿う衣(きぬ)──紅友禅というのは、長襦袢に使われる生地だそう。
前回並べた歌と比べると、まるで大人の女性のような成熟ぶりに驚いてしまいますが、確かに彼女たちは少女であっても子どもではなかったのだと、改めて気づかされます。

抱いても頬ずりしてもまだ足らぬ一そ思ひきり泣かせて見たいの
むさしの 愛しづか

にくしみの心に瞳光らせてむやみに花をむしりてゐたり
大阪 紅芙蓉

のがさじと君の心を紫の水晶の箱に入れておきたし
筑紫 中津隈文子

『少女画報』十五巻三号〜五号・大正十五年

はじめはただ、そばにいられればそれでよかった。けれど、もっと知りたくなって、夢中で求め合ううちに傷つけ合っていた。そんな愛の終着点までたどり着いてしまった子も、なかにはいたのかもしれません。
そうでなくとも少女たちの関係は、おそらく少女時代の終わりとともに、自然と消えていったのでしょう。

さようならそれ言ふ爲に知り合ふた二人であつたと泣いた貴女よ
白河の畔 波瑠繪

何もかもさだめのまゝに生きてゆくあなたの指の蒼いつめたさ
富山 ゆくゑ

若き日の乙女心にかぎ掛けてひめておきたきかづかづのこと
大阪 瑠璃草

『少女画報』十五巻三号〜五号・大正十五年

一度なりと恋を経験した人ならば、「いっそ誰も好きにならず、恋を知らずにいられれば、そのほうがよほど幸せだった」と思ったことがあるのではないでしょうか。そう、妬んだり憎んだりする心も、きっと持たずにいられた。けれど、逃れることなどできなかった──

愛すること、傷つくこと。心が動くことは、すべて生きている証。
あの日々は美しかった、人生を豊かに輝かせてくれたと、心からそう思える日がいつか訪れることでしょう。

悲しみよなやみよ愛よわきかへれそのまつたゝ゛中に死なんと思ふ
但馬 よねだ・はるゑ

『少女画報』十五巻三号〜五号・大正十五年


※引用についてのお願いです。


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