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新幹線ラプソディー

仕事終わり、無性に母に会いたくなり最終の新幹線で実家へと向かう。品川駅でコーヒーを飲みながら、二年前の出来事に思いを馳せる。人生で起こる出来事なんて大抵予想外で、「なにもそこまで...」と思うことが圧倒的に多いように思う。「あのときがあってこその今」なんていう考え方は私には到底できないし、出来ることなら幸せの最寄り駅に永住したい。
そんなことをぼんやり考えていたら、イヤホンからAwesome City Clubの「涙の上海ナイト」が流れ始めて我にかえる。閉じていた世界にネオンの光が射し込み、さっきまでの物思いが嘘のように、リズムにのって心地好くホームへ向かう。

金曜夜の新幹線を待つ列。
みんなはどこへ行くのだろう。
だれとどこへ帰るのだろう。

ランダム再生にしていた音楽アプリから、LOVE PSYCHEDELICOが流れてくる。「Sally」だ。

なぜかは分からないけれど、他のどんな乗り物より、新幹線に乗っている時間が一番感傷的になる。わけもなく目頭が熱を持ち始め、行先も帰ってくる日も、会いたい人も決まっている時ですら、その感傷は静かに襲ってくる。目的地に着く前から東京へ戻ってくるときの寂しさを考えてしまう。欲張りなのだろうか。どこにもやれないやるせなさから逃げるように、膝の上に置いたままだった『江戸川乱歩名作集』を開く。読みかけだった『人でなしの恋』。ページが進まないまま2駅過ぎ、諦めて本を閉じる。溜め息と同時に外していたイヤホンを耳に戻す。

窓の外の、何度も往復したであろう景色に目を向ける。何の根拠もないけれど、金曜夜に新幹線に乗ることが多かったように思う。もともと計画性がない性格で、突発的に旅することが多いからというのもあるだろう。でも、それよりも、金曜夜にどうしようもなく会いたくなる人がいた。遠い街に住んでいたその人に、会いたくて会いたくて、仕事終わり新幹線に飛び乗った。明日の着替えも持たないまま、会社のトイレで「これから向かう」と電話した。
あれ、よく考えればそんな風にして新幹線に飛び乗ったのはたった1回だけかもしれない。会いたさに蓋をした回数の方が圧倒的に多いんじゃないか。記憶はいつだってそうして美化されて、事実を瘡蓋のように覆っていく。でも、あの日の感覚だけは少しの脚色もなく鮮明に思い出せる。金曜夜に乗った新幹線の回数を間違えるほど、あの日は感情が溢れ出していた。
美化した分だけ盛り上がった瘡蓋をはがしていたら、懐かしい、あのボーカルの声がイヤホンから流れてきた。あぁそうだ。あの日もそうだ、後悔したくなかったから新幹線に乗ったんだ。目を瞑るのと同時に、地元の駅に近付くアナウンスが流れ始める。

“もしあのとき”、そう想像できるのは、自分の中で諦めと割りきりが済んだことだけなのかもしれない。有り得ない、起こらないことだと澄ました笑いを携えることができるから、“もしも”を想像できるのではないだろうか。本当にその“もし”を望んでしまったら、その瞬間を想像することすらできない。永遠に届かないifに耐えられないはずだ。
「あぁするしかなかった」何度自分にそう言い聞かせただろうか。私の中に残ったのは願望のパラレルワールドでも手放しきった後悔の塊でもなく、感情を抑え込む術だけだ。だから言えない、“もしあのとき”の一言を。だから想像できない、“もしあのとき”の一瞬を。贈り合った本を読みきることもできないままだ。

目を開くのと同時に流れてきたのは、「大切な日に贈りたい」と父が言っていたチューリップの「青春の影」。
幸せの最寄り駅は、どこにあるのだろうか。

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