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私的音楽リスナー遍歴No2.-小学生後半- (歌における言葉の強さを知る)

自分の音楽リスナー遍歴を振り返るシリーズ第二回、初回の記事はこちら。小学生後半になって感情というものに自覚的になったり、死生観というものが芽生えたりしてきた中で、聴く音楽も歌詞の内容だったりに注目し始めた記憶がある。相変わらずポップスの範囲の中やけど、音楽の“聴き方”が変化し始めた時期。

・ポップスの中でもバンドの音楽を聴くようになる

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(当時使っていたMDプレーヤー...多分これ...懐かしい...)

初回の最後の記事で、初めて買ったCDはCraig Armstrongという、子供らしからぬ嗜好を発揮させたものの、それ以外は割とベタな音楽趣味をしていた。お年玉で購入した、(今の世代の若者には存在したことさえ知られてないであろう笑)MDプレイヤーが自分のリスナー生活を促進させた◎

はっきり聴いていた覚えがあるのはMr.Children・スピッツ・ポルノグラフティ・L'Arc~en~cielあたり。基本内気で人とうまく話せず、勉強もスポーツも特に良くも悪くもなく、真面目だけが取り柄の特徴のない子供だったので、聴く音楽もアーティストイメージ的に言えば穏やかなものが多かった。

なので、この中だとラルクを聴くときだけは「少しイケナイことをしてる気持ち」になった(不良的なニュアンス)(この感覚伝わる人は仲間)

・歌における言葉の強さを教えてくれたミスチル

小5〜6くらいで邦楽のCDを初めて買ったのが、Mr.Children“シフクノオト”スピッツ“色々衣”。ほぼ同時期のリリースで、自分としては当時の私的2大巨頭な感覚だった。基本ベスト盤で有名曲しか聴いてこなかったので、オリジナルアルバムならではの楽しみ方もここで知った。

初回に書いたようなメランコリー嗜好はこの頃しっかり強まっていたので、それまで聴いていたミスチルの曲より遥かに深くハマったのがこの曲。今聴けばMassive AttackがやりそうなダウナーなトラックにJ-POPとして通用するエモーショナルなメロディやコード進行をあてはめているというミスチルのソングライティング術に驚愕する。

“夢見てるから儚くて 探すから見つからなくて
欲しがるから手に入らなくて 途方に暮れる”

“一つにならなくていいよ 認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の 暗闇を優しく散らして
光を降らして 与えて暮れる”

子供心ながらに「優等生なことを歌ってる」イメージがあったミスチル、ところがこの歌詞がシリアスなことと、その上で前を向こうとしてるニュアンスが伝わった。大人になればなるほど、この曲の歌詞の意味が理解できて沁みていった。とても生々しく強い力を持つ言葉並びだ。

“掌”をシングルとした“シフクノオト”は、製作段階で脳梗塞と戦い自身の人生を見つめ直すことになったであろうボーカル桜井和寿氏の表現したいものが詰め込まれたシリアスな内容の曲が多い。

自分が一番好きな“Pink~奇妙な夢~”という曲はグランジテイストだし、“タガタメ”という平和を問う曲は超大作だし、かなり濃い内容。その上で歌われる明るい曲にも説得力がある。このアルバムがやはり今でも一番好きなミスチルの作品。

・恋という感情と目覚めたばかりの死生観を意識させてくれたスピッツ

かたやスピッツは、父親が数少なく聴くポップスということもあって、それなりにイメージは固まっていた。綺麗な歌声と、子供ながらにノスタルジックな感覚を味わえるところが好みだった。

家にあった“RECYCLE”というシングルヒット集は入門にうってつけ。そしてそこに並んだ少し物悲しかったり懐かしい気持ちになれる名曲たちにのめり込んだ。中でもやはり、これ。

当時、自分ははっきりと初恋を経験した記憶がある。「この感情が、好き、恋情というやつなんだな」と自覚した。いや、よくわからなかった感情をスピッツが歌う曲によって「恋」というものと教えられた気がした。

ショートカットの少しおふざけが好きな子だったけど、好きな音楽は宇多田ヒカルで、卒業文集を見たらとても大人な内容で、人前では見せないようにしてる影があって、勉強ができて、声が綺麗で、はっきりとどんな子だったか覚えてる。

瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聞こえる?

席が隣になった時、口下手な自分だったけどその子とは楽しく話せた記憶があった。中学は別のところへ行くと知っていたけれど、結局ウブだったし、自分に自信がなかったから告白もしないまま、初恋は幕を下ろした。あの時、ダメ元でも告白してぶつかるということを経験しておけば、その後の人生だいぶ違った気がしてる。

そんな当時の気持ちや後々振り返る時にこの楓という曲の、恐ろしいまでの沁みっぷりを意識する。当時読んでいた小説の内容にもリンクしたりして。誰にとっても別れの歌という点で名曲なのは共感してもらえるやろと思う。

スピッツは当時、スターゲイザーという曲がシングルヒットしていて、その曲を含めたアルバムが“色々衣”だった。意気揚々と買ったものの、実はこのアルバム、過去のアルバムに入らなかった曲たちによる実験的内容だったと後年知ったときに腑に落ちるくらい、少しマニアックな内容でハマるのに時間がかかった。

ただ、早い段階からこの“魚”という曲の空虚な雰囲気に強く惹かれた。夏の海辺、水面に乱反射する光のように、ギターの音が泳いでる。どこか死の匂いを感じさせながら淡々と紡がれる歌は、冷めることで痛みを隠してるような切なさを感じた。そこに並ぶ言葉はこうだ。

“繰り返す波の声 冷たい陽とさまよう
ふるえる肩を抱いて どこにも戻らない”

“この海は僕らの海さ
隠された世界とつなぐ”

抽象的な言い回しだけど、音や声も重なって風景や感情を浮かべるには十分すぎた。当時読書にも凝り始めていたけど、その時に読んだ乙一の“はじめ”などの世界観ともリンクして、勝手な解釈ではあるけど「これは死んでしまって、もう会えない誰かを想ってるのかな」と感じた。今でも夏が来るたびに、この世界の中に浸りたくてよく聴く。

・言葉だけでは伝えきれないことを、音楽は言葉との組み合わせで伝えることができる力があると知った

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ミスチルとスピッツを沢山聴いて、上記の音楽の力を知ることができた。言葉だけでは伝わらない、けれどメロディや演奏の掛け合わせで見える景色や感情がある。その力を知ってより音楽にのめり込んだ。

この頃、自分には既に「死ぬということ」に対しての自意識が芽生えていた。とある漫画に「死ぬ」という概念を考えさせられるきっかけがあったり(またいつか別記事にて記す)、祖父が亡くなり、初めて身近な人が逝くのを見送ったり。

スピッツの曲を聴く以前にも、初回の記事の時点で述べた、竹内まりやの“天使のため息”の件にも現れてるように、自分にとって死生観は早いうちから大きなテーマだったんだと思う。音楽の力はその表現の上でとても大きな役割を果たしていた。

というわけで第二回はこの辺で!次回は中学生、ロックの目覚め編!(多分長くなるから2回ぐらいに分ける笑)