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日本国が「目指したもの」2~我が国の歴史から『差別』について考える~(前編)ー日本人のための『和の国・日本国』講座54ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。

2月の終わりから、2年ぶりに
『和の国・日本国講座』を再開して、はや2か月が経とうとしています。

その間にも、刻々と我が国を取り巻く状況が悪化していき、
ひしひしと焦りを感じ、様々な分野に手を出しています。

私事ですが、今年度も6年生を担当させていただき、
特に、社会科では、我が国の政治。
まずは、日本国憲法について学習しています。

いやあ。。。
やっぱり好きなことを子供の考えを聞きながら学び合うことができる環境を作ることができ、この仕事をしていてよかったなあと感じます。

何より、今年度も初回から
「社会が毎日6時間あればいいのに~」と
子供たちが社会科という教科に興味を持ってもらい、
自主学習で、日本国憲法の条文の意味を調べてきたり、
歴代天皇の偉業をまとめてきたり、
「先生、僕はこう思うんだけど、どう思う?」と政治に関する自分の考えを伝えに来たり、、、
4月早々、なかなかに飛ばしているなあと感じます。(笑)

そんな充実した毎日を過ごしていますが、
だからこそ、日本を担う私たちがまずは我が国のよさ、伝統文化、日本史観の歴史を知り、それを土台に国づくりを進めていくことの重要性を日々考えるのです。

今回は、

わが国の歴史を『差別』という視点から考えていきたいと思います。

本日もお付き合いいただければ、
ありがたく存じます。









1)『差別』って何だろう?





突然ですが、「差別」について考えたことはありますか?

よく「差別はいけないことだ」という人がいます。

「区別はいいが差別はいけない」という人がいます。

「人種差別」や「女性差別」など、ほとんどすべての人がしていはいけないに決まっている差別があります。

それなのに、そういう差別はなかなかなくなりません。


どうしてでしょうか?


「人間にはもともと『人を差別したい気持ちがある』からだ」
という人もいます。


本当にそうでしょうか?


僕はそうは思いたくありません。


いや、「そんなことはない」と思っています。


人間は、もともと「よいことをするのが好き」にできている

と思うからです。





それなら、なぜいろいろな差別がなくならないのでしょうか?

人々はよく、「いわれなき差別」とか「あってはならない差別」などと言います。

そして、

「ある種の差別はしてはならないことは誰の目から見ても明らかなことだ!」

などと言います。

それなのに「そういう差別をする人が絶えない」ということになると、

「やはり人間というものは、人を差別することを好む気持ちがあるのだ」

ということになってしまいそうです。


しかし、僕はそうは考えません。


「多くの人々は『差別はいけない』と言いながら、


本当は、

『どういう差別がどうしていけないのか』ということをよく知らないからではないか?」

と思うのです。


ただ単に「知識が不足しているだけだ」と考えています。



2)これって『差別』?~入試制度~





差別の中にも、「いわれなき差別」と「あってはならない差別」などと言われるものがあります。


では、


「入学試験をして、できない人を落第させて、できる人だけを合格させる」

というのは


「いわれなき差別」でしょうか?「いわれある差別」でしょうか?

「あってはならない差別」でしょうか?「あってもよい差別」でしょうか?


このような問題に絶対に正しい答えはあるのでしょうか?

人々の意見は必ずしも同じにはなりません。

どうしてでしょうか?


僕はこう考えます。


もしも、
その人が「本当に勉強したくて上のレベルの学校に入りたい!」というのなら、
「一定の学力さえあれば、誰でも入れてあげるのが当然だ」と思います。

そんなこと言うと、
「学校にだって施設の都合がある。みんな入れてしまっては、風紀が乱れるかもしれないし、そもそもそんなにたくさんの人を入れるのは無理だ!」という人が出てくるでしょう。

それなら、なぜ入学試験その他でできる人だけを入れるのでしょうか?

「できる人は、その学校に入学しなくても、できない人よりも自分一人でも勉強できる能力がある」と考えると、

「できない人を優先的に入学させるのが当たり前だ」ということにならないでしょうか?


しかし、大多数の人はそうは考えません。

そして、「みんなが入りたい学校には入学試験があって当たり前」と考え、
『入学差別』は、いわれのない差別でもないし、あってはならない差別ではないと考えているのです。




明治期の日本の入学試験は、あきらかに「いわれある差別」でした。

例えば、

日本に最初にできた東京大学は、長い間、入学する学生が不足して困っていました。

大学の関係者たちは「大学の卒業生をうんと増やして、その人々に先進国の文化をどんどん吸収してほしい」と思っていました。

そこで、たくさんの国費を使って外国からすぐれた先生を呼んできて、大学を設けたのです。

だから、明治20年ころまでの大学の大部分は外国人でした。

そこで、その授業は英語やドイツ語で行われていました。「先生の話す英語やドイツ語は何を言っているのかさっぱりわからない」という学生を
大学に入学させても、無意味でした。

それで、学生を増やしたくても、なかなか増やすことができなかったのです。

高い国費を費やして外国からすぐれた先生を呼んできても、

その先生について学ぶ学生は、ほんの2、3人というのではもったいなさすぎると思いませんか?

実際、1887年(明治20年)の東京大学理学部の卒業生は全学部合わせても、わずが4人だったそうです。


そこで、大学や文部省はどうしたでしょう?
大学では、英語やドイツ語で中学・高校程度の教育をする予備校を作りました。

しかも、文部省自身が「大学予備門」という予備校を作って、大学に入ってもついてこられる学生を確保するように努力したのです。

ところが、それでもまだ入学資格者が少なくて困ってしまいます。

そこで、高等中学校では、2年制の本科の前に3年制の「予科」も設けて、学生の確保を図りました。

しかし、それでも学生が不足したので、その「予科」の前にさらに1,2年制の「予備補充科」を設けて、予科・本科に進学しうる学力を養成することまで始めたのです。

だから、昔は日本だって、入学試験は「落とすためのもの」ではなくて、
学力さえあれば「できるだけ入学させるもの」であったのです。

実際、高等中学校の卒業生はみな大学に入学できました。

しかし、やがて学校制度が整ってくると、大学でも「ある特定の学科への入学志望者」が増えて困ることも多く起きるようになってきました。

その時、大学ではやむなく、はじめて競争試験を実施して、成績の良い学生を入学させることにしました。

そして、「定員超過で希望の学科に進学できなかった学生は、翌年に優先的に入学させる」ということにしました。


つまり、昔の日本では、入学試験は「当然やるべきもの」ではなく、「どうしようもなくなってやるもの」と考えられていたこともあったのです。

しかし、いつしか「入学試験はやるのが当たり前」と考えられるようになったのです。




3)これって『差別』?~男女平等~





ほかにも、「女性差別」というものにしても非常に複雑です。

敗戦後、長い間「女性に深夜労働をさせてはいけない」ということになっていました。

皆さんは、これは女性を「差別」するために言われていたと考えますか?

僕は、このようなことが言われた理由について「女性を不当に差別するために考えられたものではなく、女性の健康に配慮しての保護、気遣いであった」と思います。

しかし、「そういう保護があると、女性の仕事が減ることになる」ということも言えます。

そこで、いまでは、そういう配慮も「不当な差別」と考えられるようになってしまいました。



4)これって『差別』?~未成年の飲酒と喫煙~






ほかにも、「子供差別」というものもあります。

いまの日本では、20歳まではたばこもお酒も禁止されています。

学校では、先生の服装は自由でも、生徒は制服を着ることが義務付けられています。

大人と子供は何かといって差別されるのです。

「子供は大人と違うから、そういう区別は当たり前で、そんなのは差別とは言わない」という人がいます。

しかし、そんなに子供と大人は明確に区別できるのでしょうか?

たばこやお酒は「身体に害があるから」ということで禁止されているのですが、大人にだって害はあります。

「たばこを吸ったり、酒を飲む権利」が重要か?


「たばこや酒を禁止すべきか?」という問題一つとっても、誰もが一致する正解はないのです。

「何歳までを未成年にするか?」ということも日本では、いまのところ20歳を区切りにしていますが、世界では、18歳を区切りにしている国が多いようです。

そうなると、「18歳から20歳の子どもは、日本では不当な差別を受けている」と言えるのではないでしょうか?


何が「不当な差別」で、何が「正当な差別」であるかということは、そう簡単ではないのです。



5)これって本当にあったの?



私は、日本人が自分の国の事をもっと知ってほしい。誇りに思ってほしい。

そして、

誇りに思うことで、せっかくそんなすてきな国に生まれたのだから、

自分にも価値があるし、周りの人にできることをしていこう!という人が増える。

一人一人が自他のよさに着目し、喜びあふれる楽しい国にしていく。そう願って活動しています。

そのために、国史(日本国の歴史)を中心に研究しているのですが、
どの教科書にも疑問に思う記述ばかりあります。

その一つに、江戸時代の「身分差別」があります。

ある教科書には次のようなことが書かれています。





さらに、




などという記述さえあります。


これらを教科書で学んだ子供たちは、我が国がこれほどの差別や弾圧を行ってきたのか、と暗い気持ちになるでしょう。

それでは、教育基本法に書かれている教育の目標である「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という態度は育つはずもありません。

もちろん、これが我が国の歴史を正確に記述したものでならば、それも仕方のないことですが、これらの記述は、史実の明るい面は無視して、暗い一面のみを取り上げ、断罪したものです。





日本は「和の国」と言われています。


「和」とは、和やか、和らぐなどと使われるように、
日本国では、人を大切にし、助け合いながら皆がよさを活かし合い、
2000年以上もの歴史を歩んできました。

そこには、「身分」という差別を乗り越え、和合を心がけてきた先人たちの苦闘の歴史が見つかります。


次回から、

江戸時代のいわゆる「身分差別」に着目して、

日本国が目指したものについて考えていきたいと思います。



自分や自分の家族の幸せだけを願っていた僕が、この日本国に生まれ、日本人として生きることができ、本当に幸せだな。誇りに思うことができるようになりました。


だから、あなたにも知ってほしいのです。


私たちが生まれた日本国が本当に目指していたものを。日本国が本当に素敵な国だということを。


そして、今日まで、私たちが豊かな暮らしを営むことができるこのすてきな国が続いているのは、日本国を、私たちを命がけで守ってくださった先人たちのおかげであるということを。


先人たちが大切にしてきた精神性。

僕たちの心の中に眠っている精神性。

『和の精神』を呼び覚まし、再び日本を皆がよろこびあふれる豊かな国にしたい。

自分を、自分の国を堂々と語り、誇りに思ってほしい。

子どもたちが希望を感じ、いきいきと輝くことができる国にしたい。


それが今、我が国に生きる僕たち大人の役割だと思うのです。


一緒に、日本を学びませんか?


最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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