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平易であればいいのか、わかりやすければ価値があるのか

はろーこんばんわ。

最近は

・誰にでもわかる

ということが、
いろいろなことにおいて
よいとされています。

なぜそうなのかというと

・たくさんのひとがよい
 と思えることが
 圧倒的に
 お金を稼げるようになったから

Youtubeを見ればわかるように、
たくさんのひとがよいと思える、
理解ができるものこそが
よいものとされています。

これは大衆的な価値観が
強く力を持ったとも言えます。 

しかしそれは、
よいことなのでしょうか?

素人がパッとみて
理解ができるもののみが、
良くなってしまうとも
考えられます。

つまり、
見た目だけでいい。

もしくは、
見た目しかない。

大衆はしょせん大衆であって、
高度な知識や専門性を
有するものは理解できません。

平易でわかりやすいもの以外は、
そうであると喧伝するものがいなければ
まったく理解されません。

その喧伝が、
ウソか本当か判別がつかなくとも。

平易であれば、
わかりやすければよい。

そうでないものは悪しきもの。

そんな、
大衆的な価値観は

・専門家の極端な神格化

これを生み出します。

つまり理解できないことは
どんなレベル、
たとえその専門性の中ではレベルが低い
価値の低かったものですら
理解できないからこそ、
極端な神格化をされる。

テレビに出てくる、
ただ大学教授というだけで
コメンテーターとしての地位を得ている
アレがいい例でしょう。

そして、
更に同時に

・専門性の陳腐化

一方では持て囃すくせに、
理解ができなければ価値がない。

なんでそんなことをするのか、
ということが理解されないければ
専門性を軽視し始めます。

テレビでどれだけ立派か、
解説されない大学教授は
税金で雇われていることを、
無駄だと思うようなことです。

演出によりなんだかすごいと
理解されるものには、
極端な神格化をして
そうでないものは陳腐化されていく。

そして大衆は過去に学ばず、
無知であることを誇りに思い、
YouTubeやTiktokで得たくだらない知識で
世の専門性があることに対して
YahooやXで怒りを表す。

演出だけに踊らされている、
そんなことも気づかずに。

ちょっと悲しいですが、
そんな彼らが力を持つようになったのは
より悲しいとわたしは思います。

まあ、
それによって
民主主義となり得るんですけどね

それではまた。




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