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#216 寿司のお話し

こんにちは、皆さん。今回の記事では。日本の伝統的な食べ物でもある「SUSHI」の世界についてのお話になります。いまや世界中で愛される食べ物である「寿司」について、その歴史を紐解いていきたいとおもいます。寿司とは一体、どのようにして現代の姿になったのか、その軌跡をたどりながら、美味しさの秘密に迫ります。
#SUSHI

寿司は、日本を代表する料理の一つとして知られていますが、その歴史は古代中国にまで遡ります。日本の寿司文化は、古代中国から伝えられたものが、時代とともに独自の発展を遂げた結果、現代に至るまで愛され続けています。
#寿司のルーツ

古代中国からの伝承


寿司の歴史を探る旅に出発しましょう。実は、寿司のルーツははるか昔まで遡ります。古代中国には「鮨」という文字が現れ、それは魚の塩辛を指す言葉でした。さらに、「鮓」という別の表記も登場し、魚と塩と米を組み合わせた発酵食品を指していました。これが寿司の原点と言えそうです。
#鮨と鮓

日本への伝来


寿司の歴史が日本へ伝わり、8世紀の飛鳥時代には既に存在していたことが考えられます。木簡に刻まれた「鮨」「鮓」という文字がその証拠です。現代の寿司につながる「なれずし」の原型がここで生まれました。魚を塩漬けにし、発酵させてつくる「鮒ずし」がその代表例です。
#琵琶湖

時代の変遷


室町時代から安土桃山時代にかけて、「なれずし」は変化しました。発酵期間を短縮する「生なれずし」が登場し、魚とご飯を一緒に食べるようになりました。関西では「いずし」や「鮎なれずし」が誕生し、寿司の形も多様化していきました。
江戸時代に入ると、食文化が発展し、寿司も進化の時期を迎えました。特に江戸時代後期には、関西と関東で寿司のスタイルが分かれ、寿司の多様性が広がりました。江戸では「握りずし」が生まれ、屋台で振る舞われるファーストフードとして愛されました。この時期には、特にコハダの握りずしは大変人気で、一口の大きさはおにぎりくらいでした。その元祖は、文政(1818〜1830年)の半ば頃、両国にあった「興兵衛ずし」の華屋興兵衛という説がよく知られています。「握りずし」は、江戸でたちまち人気になり、明治〜大正になる頃には「関西は箱ずし、関東は握り」と言われるようになります。
#寿司はファーストフード

寿司の多様性


時代が進むと、冷蔵・冷凍技術の発展により、生の寿司ネタが増え、世界中からさまざまなネタが取り寄せられるようになりました。これにより、寿司の提供スタイルも多様化し、「高級寿司」「回転寿司」「パック寿司」といった様々な業態が誕生しました。さらに、海外でも寿司が広まり、新しい寿司の形が生まれました。寿司は世界の文化とも融合してグローバルな食べ物となっていきます。「カリフォルニアロール」に代表されるロール寿司のように、様々な寿司の形が誕生していきます。
#世界のSUSHI

寿司の本質


寿司の歴史を振り返りながら、その本質を考えてみると、寿司は「魚」と「シャリ」の絶妙な組み合わせで構成される料理と言えると思います。酢めしである「シャリ」が、寿司の特徴的な酸味とご飯の一体感を生み出します。この独特の組み合わせが、寿司の魅力の一因なのかもしれません。時代を通して共通している要素を書き出すと、主に魚が使われること、そして「塩」「酸味」「ご飯」あたりになります。このうち「塩」「酸味」「ご飯」は、現代では酢めしである「シャリ」に集約されています。つまり、寿司は【「魚」+「シャリ」で構成される料理】とまとめられるのではないでしょうか。
#食文化

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