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【掌編小説】無意味な人生と色鉛筆

 鳥になって空を飛びたいとか、魚になって海を泳ぎたいとか、そんなキレイな夢を見なくなってから数十年が経った。
 今の願いはただただ、休みがほしい。
 三連休……いや、二連休でも良いからゆっくり体を休めたい。
 そんな事は夢のまた夢で、定年退職する年齢まで、まだまだ時間がある。
 年々時間が早く感じるようになったとは言え、定年退職は遥か彼方だ。そもそも定年退職出来るだろうか? そして、その後の生活は大丈夫なんだろうか?
 悩みの種は尽きない。やり甲斐も使命感も無い日常を、死に向かってがむしゃらに過ごしている。
 死ぬために死にものぐるいで働くなんて馬鹿げているが、そうするしか無い。
 本当は生きるために仕事をしたかった。誰かのために仕事をしたかった。
 しかし、私には家族もいなければ友達もいない。おまけに趣味もない。
 毎日、ただ生きるために仕事をし、食事を取り、眠る。無意味な人生。
 幼い頃は、大人になったらキラキラした世界で幸せに暮らすものだと思っていた。
 母は近所の人と楽しそうに会話をし、父は生き生きと仕事に出かける。私もそうなると思っていた。
 実際は、話したくもない相手とつまらない会話を繰り広げ、やりたくもない仕事を淡々とこなしていたようだ。

 それに気づいたのは中学生くらいだったと思う。
 両親が「子どもってなんでこんなにお金がかかるの」と愚痴っていたとき、ああ、嫌だったんだと思った。
 ご近所付き合いや仕事はやりたくてやっている訳では無いのだ、と初めて理解した。
 私は、迷惑をかけるだけの存在だったのだ(まぁ、産んだのはそっちでしょ、と言いたくなる気持ちもあるけど)。
 私はそれから極力お金を使わないように、それだけを心掛けて生きてきた。
 学校も一番学費が少ないところを選んだし、友達と遊ぶなんてしなかった。彼氏なんて、憧れやチャンスはあったものの、無駄遣いをしたくないと言う理由だけで全て無視した。
 両親が仲良く一緒に他界した今、私に残ったものは一人で生きていけるだけの収入がある仕事と家だけだった。
 せっかく貯めたお金は両親の葬式代やお墓代で消えた。
 無責任な親戚が、「一人娘で、たくさん愛情をかけてもらったんだから、最後くらい豪華にしなくちゃ!」と既にある墓を無意味に新しくし、参列者もそんなにいないのに、やたら広い葬儀場で虚しい式をするはめになった。
 しかし、仕事と家があるだけでも有り難い事なのかもしれない。
 仕事も家も無い人だって世界規模で見たらたくさんいるだろう……。
 ただ日本では、結婚して子供を産んで、家を建てて、孫に囲まれて死ぬことが、幸せに溢れた理想の人生とされている節がある。
 日本で生まれ育った私としては、仕事と家があっても惨めさを感じてしまうのだ。あり得ない幸せな人生を求めてやまない。こんな年齢でも夢を見てしまう。

 鳥にも魚にもなれなくていいから、地を這う愚かな私にも、キラキラした世界を与えてほしい。

 

「お姉さん」

 帰宅ラッシュに揺られ、ボロボロの私に声をかけてきたのは、見知らぬ女性だった。
 幸の薄そうな、吹けば飛んでいきそうな感じが私に似ている。

「お姉さん、絵画とかお好きですか?」
「あぁ、結構です」

 そんな物買うお金は無い。あったとしても、私の性格上買わない。
 立ち去ろうとしたが、ふと彼女の手元に目が行った。
 どこにでも売ってるようなスケッチブックと色鉛筆を持っている。

「……まさか、あなたが描くの? その道具で?」
「あ、はい……。言われたものは何でも描きます。如何ですか?」
「何でも?」
「何でも」

 彼女は薄っすら口角を上げた。変な人だと思った。今にも消えそうで、透けてないのに透けているような気がしてくる。

「おいくらですか」
「お代はいりません。まだ修行中の身ですから」

 美大生なのだろうか?
 私はタダならいいか、と彼女にお願いした。

「私の人生が幸せだったら……どんな感じか見てみたい」
「わかりました」

 彼女は街灯の下に移動すると、しゃがんで何かを描き始めた。
 ものの数分で描き終わり、彼女はスケッチブックから切り離した一枚の絵を私に手渡した。

「また縁がありましたら、よろしくお願いします」

 彼女は見かけによらず、しっかりした足取りで去って行った。

「これが幸せな、私……」

 そこには、微笑む私の姿があった。隣には、見知らぬ男性が同じように微笑んでいる。

「あれ? もしかして……」

と、声がして振り向く。立ち尽くしていた私のすぐ横に、絵の中の男性が立っていた。

「やっぱり! 全然変わってない! 久しぶりだなぁ。卒業式以来か?」

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