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<ゴッホの手紙 上中下、硲 伊之助訳、岩波文庫> 素描にびっくり、 ゴッホの油彩は線描(素描)そのものだ! 点描延長説への疑問と私見 崩れたゴッホ像(その1)

はじめに

ゴッホと私

 ゴッホについて云えば、noteを始めた頃の記事の中で私の小学生の時のエピソードを書きました。

 それは、小学校の写生会でいつもオーソドックスな塗りの写生画を描いていたのが、あるときゴッホの画集を見て感激し、ゴッホばりのタッチで塗って先生に見せたところ、誉めてもらえるだろうとの期待に反し、逆にひどく叱られてしまったという内容です。

 それ以来、ショックで絵を描くのが嫌いになり、線スケッチを始めたのは定年間近になってからです。(詳しくは、下記の自己紹介記事をご覧ください)

なぜこの本を選んだのか

 描かなくなったとはいえ、絵を見ることは好きで、中学生か高校生からなのか忘れましたが展覧会があれば出かけて原画を直接見て鑑賞することを続けていました。
 今から50年以上前でも、日本では大手新聞社の主催で、日本人に大人気の印象派やゴッホ、ゴーガンなどポスト印象派の画家たちの美術展が毎年のように開催されていたのです。

 実際実物を見ると、小学生の時見た印刷物ではとても得られない迫力を感じ、ゴッホの絵のすばらしさを再確認しました。以後お決まりの流れで、ポスト印象派、象徴主義、フォービズム、キュビズム、抽象画、シュルレアリスム、現代絵画と西洋美術史をなぞるように西洋絵画が好きになっていきます。

岩波文庫「ゴッホの手紙」との出会い

 さて時が流れ、還暦前に「線スケッチ」に出会うことになります。「線スケッチ」を始めてみると、西洋絵画よりも東洋絵画、特に日本絵画に関心が移りました。ただ以前から日本美術の作品も好きで見ていたので、正確に言えば再発見です。
 ですから西洋絵画の作家の本を読むことは最近ほとんど無くなったのです。
 ところが、先日行きつけの図書館の文庫本の棚で何気なく「ゴッホ手紙」上巻を手に取りパラパラとめくった時に衝撃が走りました。

 なんと手紙の文章ばかりと思っていたのに数多くの素描が挿入されていたのです。しかも、それは通常の鉛筆や木炭による素描ではなく、小気味よいほどに迷いがない、スピード感あふれる線の「ペン画」だったのです。

 まさに「線スケッチ」だ!と。

 「ゴッホの手紙」は、「アルル」が日本の風土と同じだと思い込むほどの日本愛と、弟テオとの強い兄弟愛についての文章が、美術の教科書や(記憶違いでなければ)国語の教科書にも取り上げられるなど、日本人のほとんどが、その内容を知っていると思われます。正確に言えば、そのエピソードしか頭に残っていないのではないかと思います。

 私も教科書の知識でこの本は読んだ気になっていました。実は素描が挿入されているとはつゆとも思いません。
 ところがしばらく立ち読みして、それは私の勝手な思い込みで根本的に間違いだったことに気づきました。
 まず、上巻の自分宛ての手紙を編集したエミール・ベルナール自身が、序文の中で、手紙に添えられた素描も、世の中に出す動機になったと書いているのです。
 「素描の重要性など教科書では書いてなかったぞ」、「実は全く知らないことがいろいろ書かれているのではないか」とさっそく三巻全部借りて熟読することにしました。

「ゴッホの手紙」における素描とアルル以降の「謎」

  私はゴッホの研究者でも評論家でもないので、これから述べることはすでに専門家の間では常識になっている内容かもしれません。
 しかし、私が記憶する限りこれまでに習った教科書や読んだ書物では見たことがないと思います。少なくとも「線スケッチ」の立場で見た見方はないはずです。
 そこで自分自身あるいは線スケッチを学ぶ方に有用ではないかと思い書いてみることにします。

掲載された素描を分類してみました

 最初に、エミール・ベルナール宛の上巻に掲載されていた素描のいくつかを下に示します。中下巻も含め、掲載された素描は下記の三つのタイプに分類されるように見えます。

1)見取り図・・・今描いている絵、またはこれから描こうとしている絵の構想を説明するため、手紙文の中に埋め込んだ絵。サイズは小さい。
2)完成した油彩の説明図・・・油彩と同じ内容をペンで描き、使用した色の名前を書き込んでいる。元の油彩を線描でほぼ再現している。
3)油彩を描く前の現場スケッチ・・・油彩の作品を描く前に、その場所、あるいは関連するモティーフを入念に線描している本格的な素描作品。

 以下に分類別に、上巻に掲載された作品で例を紹介します。(上記分類の説明と見比べてみてください)

1)見取り図

出典:共にwikimedia commons, public domain

2)完成した油彩の説明図

出典:共にwikimedia commons, public domain

3)油彩を描く前の現場スケッチ

出典:共にwikimedia commons, public domain
出典:共にwikimedia commons, public domain

「ゴッホの謎」に対する解答がこの本にある

 さて「ゴッホの謎」とは何か? 実は私が勝手に考えた謎です。それは主に以下の三つの疑問からなります。

  1. 油彩のタッチは、本当に点描の延長なのか?

  2. なぜ2年半の間にこれほど多くの油彩作品を描くことができたのか?

  3. パリ時代以前の鉛筆、木炭による素描から、なぜペンによる素描になったのか? なぜ陰影を描かなくなったのか? 油彩画と関係があるのか?

 なぜ私が謎だと考えたのか、その背景を説明します。

1.油彩のタッチは、本当に点描の延長なのか?
 数年前、NHKの日曜美術館を見ていた時に、ゴッホの専門家が、油彩におけるゴッホ特有の筆のタッチは、スーラやシニャックらの点描による色彩分割に賛同したゴッホが、点描ではなく短く伸ばした細長い点で表したものだという説明をしました。
 そのときは、ゴッホが印象派や点描派に傾倒したことは知っていたので、そういう解釈があるのかと一旦納得しましたが、完全には納得していなかったのです。そこで私の「謎」に加えました。

2.なぜ2年半の間にこれほど多くの油彩作品を描くことができたのか?
 一般に多作と言われる人がいるので一概には言えませんが、それでもアルルに移ってから亡くなるまでの2年半の作品を数えると、ゴッホの制作数は尋常ではありません。
 通常の作家なら仕上げるまでに時間がかかる油彩作品の制作数を月ごとに確認すると、1988年は158点(月平均13点)、耳切り事件を起こした1989年でも139点(月平均12点)、さらに自殺する1990年に至っては僅か7か月で110点(月平均16点)にもなります。 なくなる直前の6月には42点、7月には23点と精力的に制作活動を行っており、とても自殺をする人の精神状態とは思えません(油彩以外に素描や版画など他の作品も作成していることを考慮すると超人的です)。

3.パリ時代以前の鉛筆、木炭による素描から、なぜペンによる素描になったのか? なぜ陰影を描かなくなったのか? 油彩画と関係があるのか?
 一般にゴッホの素描というと、オランダやパリ時代までの素描がよく思いおこされます。実際、展覧会でもこの時代の素描が展示されることが多いと思います。それらは鉛筆と木炭による素描で、陰影を描く欧米の伝統的な描法で描かれています。
 しかしアルル以降は、突然上に示した葦ペンによる線描に変化します。しかしアルル以降の絵については、あまりにも油彩の傑作が多すぎて、日本で開催される展覧会では油彩の展示がメインで素描についてはほとんど取り上げられていない気がします(あくまで私個人の感想です)。
 今回「ゴッホの手紙」の素描を見て、あまりの見事な線描に驚きましたので、全巻を通じて手紙の文章と照らし合わせながら読み込んでみました。

最後に

 以上、本記事の前置き部分だけで長くなりましたので、ここで(その1)を終えることにします。次回(その2)では、この記事で紹介した三つの謎に対する解を、「線スケッチ」の観点で述べることにします。

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