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変わるべきは個人か、社会か、はたまたその両方か
私は以前の投稿で、「福島出身」であることを心から誇れない自分がいることの生きづらさから、一人一人が自分らしく生きられる社会を実現したいと述べました。
それについて、深掘りしている中で私はふと、障害をテーマに扱う授業で出た、個人モデルと社会モデルの話を思い出しました。
【個人モデル】
…障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、克服するのはその人(とその家族)の責任だとする考え
語る事の重要性-ラーゲリに愛を込めてを観て感じたこと-
現在全国の映画館で公開されている、“ラーゲリに愛を込めて”。
1945年の太平洋戦争終戦後、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に移送され、過酷な重労働を強いられながらも『ダモイ(帰国)できる』と信じ生きたシベリア抑留兵の山本幡男さんと妻のモジミさんの11年に及ぶ愛の物語を描いた実話です。
私はこの映画を見て、どんな逆境や困難があっても絶望するのではなく、わずかでも希望をもち、自分の信念を曲げず行
宿命論的認識について考えてみた話。
宿命論的認識について知る前に、私が思っていた考えは、
”200人の大組織であれば、200通りの考えがあって、それでも一つの目的・目標に対して時には誰かが妥協し、許容し、反発するハミダシ者は理解されず、それは仕方のないこと。だって組織において協調性を図ることは大切だから。”
この背景として、銀行型教育が主流の義務教育で学び、育ってきた日本社会の一員である私たち一人一人が、同調圧力に対して耐性がつ