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「謝らないけど論破もしない」訓練が要る、という話。

先日、「ごめん」をやめる訓練をしている、という話を書いた。

これをやること自体は、私の自尊心の回復として一旦良いと思う。
――が。
私が心の中で勝手に「解毒道の師匠」と仰いでいるノゾムさんの、こちらの記事を読んで、私の手段というか方法というか、特に息子に対する対応に難アリなのでは?と気付いた。

こちらの記事では、「尊重する」ということの難しさと大切さについて書かれているが、正直に言って私は今一つ、行動としての「尊重する・しない」も、状態としての「尊重されている・されていない」も、どういうことなのかピンと来ていない所がある。

いや、概念としては一応分かっているつもりである。
私は幸運なことに、学校や職場など、社会生活ではかなり尊重してもらってきた。なのでオフィシャルな場で、一定以上の距離の他人との「互いに尊重する」は分かる……つもりでいる。たぶん。きっと。

が、家庭内、特に親子関係では、尊重されたとは全く言えない状態で育ったし、夫婦関係としても支配-被支配にしか見えない家庭であったため、「互いを尊重し合う家族の状態」がさっぱり分かっていない。

で、何が問題かというと、私は「謝らない訓練」をするにあたって、息子に対して過剰に攻撃的になっていなかったか?という点である。

私が謝らなければ、それだけで訓練の目的は達成できたはずだ。
だが、私は「息子が私を謝らせようとした」というのを出発地点にした上で、「息子の発言やそこに至る思考を全面的に拒絶し、完全論破する」という思考、リアクションをしていたのではないだろうか?

先日の記事に書いた私と息子のやり取りを一つ抜き出すと、

「今日学校にリコーダー持っていくの忘れちゃったぽよー!ママなんで教えてくれなかったぽよ!?」
「そんなのママは知りません。自分で準備するの忘れたんでしょ?明日は忘れないで持っていきなさいよ」

となる。
私の脳内の思考は一旦置いておくとして、息子から見るとこの会話は「ぐうの音も出ないほどやり込められた」「自分の発言・感情を全く取り合ってもらえなかった」体験に当たるのではないか?と思い当たったのである。
他のやり取りも同様だ。

無論、この程度のやり取りは一般的に「あるある」レベルだとも思う。強く叱ったり怒鳴ったりした訳でもないし、有害だとまでは言えないだろう。
だが、息子を「尊重」できていたか?そして、正しい意味で自分自身を尊重したと言える挙動だったか?と考えると、そうではなかったように感じる。

ならば、模範解答はどうなるだろうか。
「私が謝らなかった」は良いとして、もう一歩、私と息子を双方ともに否定せずに、どちらも尊重する対応とは、どういったものなのか。

家の外では尊重されてきたと思っている私は、家の中と比較して、何故「外では尊重された」と感じているのか。
「感情や思考を持つこと、発言する・主張すること、それ自体は他人から咎められない」という安心感ではなかっただろうか?

であれば、息子の「ママなんで教えてくれなかったぽよ!?」という思考や発言自体は許容した上で、「それはママが教えてあげなきゃいけない事じゃないでしょ?」というような反論や、「ママのせいって言われると、ママ納得いかないし、悲しいんだけどなー」というような私自身の感想を述べるにとどめ、それ以上息子を論破まではしないリアクションを取った方が正解に近かった……のではないだろうか。

兎角、育児は難しい。
私からすると、息子の「母親に我儘や八つ当たりを言いたい気持ち」からして全く理解が出来ないし、記憶を漁っても該当するものは出てこない。
多分、物心つくよりも前に「そんなことをしたら危険だ」とインプットされてしまったからだろう。息子が何でそんなことを言うのか、そして親としてどう対応するのが望ましいのか、本当に想像すら出来ないのだ。

いや、もっと正直に言うと、「私の母に対して我儘を言い、それを許容されていた年下の従姉妹に対して、めちゃくちゃに敵対心を感じていた幼少期の記憶」がある。
このエピソードはまた別のタイミングで書こうと思うが、そのあたりで押し殺した「我儘を言う子供に対する怒りの記憶」が息子に転嫁されていないか?と思うぐらい、私は以前から息子が我儘を言う度に、非常に強い不快感を覚えてしまっていた。

これに関しては、毒親育ちを自覚してから大分薄まったし、頭ごなしに叱りつけたりしないようにできる範囲に収められるようになった……とは思う。だが「子供は我儘を言うものだ」と頭では分かっていても、感情的には今も納得できていないし、「また我儘言っちゃって~うふふ」で済むような心境には程遠い。
これもまた明らかに毒の連鎖だ。子供時代に我儘を言えて、適切に対応してもらえた経験がない――というのは何とも恐ろしいことである。

だが、参考になる話はある。
以前、トリさんのこちらの記事を読んでから、私は「息子が我儘を言っているな」と思った時、この記事の最後で述べられていた「要求の拒絶」と「感情の受容」を心がけてきた。

が、「謝らない訓練」を行うに当たって、私の頭からはこの「要求の拒絶と感情の受容」がすっぽ抜けてしまっていた。
それ以外のシーンでは一応心がけられていた……と思うのだが、「謝らずに済ませるためには、相手の主張を誤りだと断じ、完全に論破せねばならない」という思い込みが先行したが故に、この訓練の場では置き去りにしてしまったのだと思う。

謝らずに済ませるためには、相手が「私に謝るよう働きかけてきた」こと自体を間違いだと認めさせなくてはならない――息子の例で言えば「ママなんで教えてくれなかったぽよ?」の部分の思考や発言を否定せねばならない、と私はナチュラルにそう考えてしまっている。
他責思考は、大人になるまでには直せた方が息子にとって良い可能性は高いと思うが、今すぐにその思考を叩き潰す必要は恐らくない。息子が成長して、いつか自発的に気付いて直っていくことを祈るスタンスでいたいと、日頃の私は考えている。そのためには私が脊髄反射で謝るのも良くないが、即座に完全否定するのもいけないはずだ。

「謝らない」ことと、「相手を論破する」ことの間には本来、そのどちらでもない状態があるはずなのに、私の思考ではそこが存在していない。
強いて言うなら「謝らず、でも話を受け流して終わりにした」という点で、夫への対応がそれに当たるが、私はそこを意識してやってはいなかった。咄嗟に論破できなかったからしなかっただけで、できていたら多分していただろう。

恐らくは、ここが問題だ。
「相手を論破できない限り、謝らないことは許されない」という私自身の思い込みを、手放す必要がある。

そう。私は今もきっと、怯えている。
自分の不手際を指摘されたり注意を受けたりした時、納得していようがいまいが可及的速やかに謝らなければ、私は昔、危険だった。
そしてある程度成長して、自分の正当性を主張できるようになってからも、指摘に対して謝らずに済ませようとするならば、どの角度から見ても隙がないように完璧に論破しなければ、やはり危険だった。
そこに実際に危険があったかどうかは分からないが、「相手の主張を丸呑みしないならば完全論破する」という母のコミュニケーションの型を、私は当然だと思い込んでいて、そうでなければならないと感じている。

だから、今も「謝らない」ことが怖い。
謝らない――相手に服従しないならば、その代わりに論破して優位に立たないと自分を守れない、脅かされる、と固く信じているのだろう。

だが夫や息子を相手に、今怯える必要はないはずである。
夫との関係性に問題がないとは言えないが、モラハラやDVをするタイプではない、という意味での信頼はできる。仮にしてくるようならば、キッチリと問題解決を図らねばならない話であって、ひたすら謝って共依存に適応している場合ではない。
まして息子に至っては、まだ「ぎゅー」が必要なレベルの小学生である。私が謝らなかったからといって、私の生存を脅かす可能性もなければ、心底拒絶するという話にもならないだろう。
その意味においては、私は息子を信頼して良いはずなのだ。

私の「謝らない」訓練は、例えるならば「鎧を着こんで土下座するのを止める」訓練のようなものである。
だが、「鎧を着こんで土下座するのを止める」代わりに、相手を論破する――「刀を突き付けて逆に相手を土下座させる」を行ってしまっているのが、現状の私だと言える。

冒頭でも引用させて頂いたノゾムさんの、こちらの記事でいう「終戦を知らずジャングルに潜む兵士」のような完全武装&戦闘態勢なのだろう、と思う。

「ここは安全な場所だ」あるいは「戦争は終わった」と私が心底思えるようになるには、どうすれば良いか。

非常に難しい命題だと思う。今すぐには結論が出せそうにない。

だが、ひとまず「全ての武装を解除し、自分が土下座しない代わりに相手にも土下座させない」、つまり「謝らないけれど論破もしない」訓練は出来るだろう。

尊重する・される、という感覚を身に着けるには、何が要るのか。
どんな概念があれば、何を見出せば、私は安心できるのか。
これを探し出す必要がある。

とはいえ、息子への対応は喫緊の課題だ。現在進行形で、息子の概念の中には私のリアクションが蓄積されているはずである。
私の、半ば無意識の論破の餌食にせずに済むように、当面は形をなぞるだけになってしまうけれど、できるだけ「尊重する」に該当するであろう挙動を――私の「謝らないけれど論破もしない」訓練を、改めて行っていこうと思う。
「尊重し合う」とは何か、を実感できるように探しながら。



ここ数か月自分の思考を書いてきて、本当に、自分一人では絶対にここまで考えようともしなかったし、考えられていなかったなぁと思います。
色んな記事を公開してくださったり、スキやコメントを下さるnoteの皆様のお陰です。ありがとうございます。
解毒の工程はまだまだ始まったばかりで、これからも迷走することも多いと思いますが、引き続き見守って頂けると嬉しいです…!!


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