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「一人になりたい」を隠すために、嘘をつき続けているという話。

私は、嘘をつくのが子供の頃から得意だ。
自慢にもならないが、私が全力でついた嘘は滅多に他人にバレない。薄々バレているのかもしれないが、少なくとも指摘されたことはない。

好きな訳ではないので、極力嘘をつかない努力はしている。完璧に矛盾なく嘘をつき通すのは、真実を語るよりもずっとずっと大変だからである。

だが、私は今もかなり日常的に嘘をつきながら生きている。
例えば、「眠いので寝ますー おやすみなさい!」と言ってネットゲームをログオフしたのに、その後2時間起き続けているとか。
例えば、「もうゲームとyoutubeの話は終わりにして、別の話にしてちょうだい」と息子を黙らせたけれど、本音は「頼むから今は黙っていてくれ、話しかけないでくれ」であるとか。(なお実際、息子が今度は学校の話をし始めたりして、引き続き話を聞く羽目になることもよくある)

とはいえ、よくよく考えてみると、これらを「嘘」だと思う必要はあまりないのかもしれない。単に言葉の綾とか、「方便」の範囲で済むことのような気もする。
だが、これらの台詞を日々発しながら、私は毎回かなりの罪悪感を感じている。

私には、一人になれる時間が非常に多く必要だ。例えば夜眠る前、最低でも1,2時間は「誰ともコミュニケーションを取らない」必要がある。クールタイムがないまま眠るのは、死ぬほど肉体疲労があれば可能は可能なのだが、そうでないと大抵布団の中で同じ時間だけ寝付けない事になり、下手をすると余計な事を考え始めてしまって頭が非常に疲れるので、「寝る前に、完全に一人でぼーっと過ごす」のがベストなのである。

だが一方で、私には物心つく前から母に刷り込まれた「他人とのコミュニケーションを拒んではいけない」という鉄の掟が存在し、「一人にして欲しい・話しかけないでほしい」と相手を拒絶することが出来ない。ごく親しい家族や友人相手には、それを伝えても構わないのだろうとは薄々分かっているし、実際それを出来ないが故に、過去の恋愛を含めて現在に至るまで色々な不都合が存在するのだが、どうも出来ない。
「一人にして欲しい」という要求は「私に二度と話しかけるな」とか「お前が嫌いだ、目障りだ」という意味ではなく、ただ純粋に「今から1時間ほど一人にして欲しい」という意味である――という説明を正しく出来る自信が、全く持てないのだ。

だが、一人になれる時間を必要とする私は、何とかして他人を遮断できる時間を確保する必要がある。それも、ほぼ毎日。
そこで嘘をつくことになる。

「眠い、もう寝る」という嘘、「別の話をして欲しい」という嘘、あるいは「ちょっと今日は頭が痛くて」などの嘘。
「今日はここまでにして、私をしばらく一人にさせて」という意味で使うこれらの嘘には、恐らく大した罪はない、はずではある。

と、ここまで書いてふと思った。
この問題は多分、私自身がこれらの発言を「相手への気遣いとして、そういう発言を選択している」と思うことが出来ず、「嘘をついて騙している」と自分で認識しているせいではなかろうか。

相手を拒絶したい感情を隠すために嘘をついている――というのが私の認識だが、「一人になりたいという要求を、真偽はともかくマイルドに伝えるために、表現を試行錯誤してこうなっている」と考えれば、罪悪感は減るだろうか。減る気がする。これはいけそうである。

私が気が重く感じるのは、罪悪感のせいだ。
相手を拒絶したいと思う欲求と、嫌いではない相手を拒絶したいと思う事への罪悪感。しかしそれを伝えられないという抑圧。解決する手段として嘘をついている、そのことへの罪悪感。

一方で、「一人になりたい」という欲求自体は、ある意味自然な事でもあり、私の場合は特に(恐らくHSP的な)仕様であって、別に罪ではないのでは?と思えるようにもなってきている。noteのお陰である。

いついかなる時も、母とのコミュニケーションを拒否してはいけないという掟――母が私に話したい時には、何時間でも話を聞き続けなくてはならず、それを拒否したいと思うこと自体が罪であるというのは、明らかに私の毒親育ちの毒の部分である。

例えば私の息子は、話しかけると時々「今忙しいんだぽよ!」と拒否することがあり、特に私の側に急ぐ事情がなければ「あらそう」で終わりにしている。無論「忙しいとか言ってyoutube見てないで、19時だからお風呂に入りなさい」などと会話を継続することも多いが、まぁこれは多分普通だろう。
となれば、息子の中では「自分に事情があって会話をしたくない時は、そう発言する」という仕組みになっているはずで、それは自然なコミュニケーションで、望ましい。私が息子に「コミュニケーションを拒絶された」と思う必要があるのは、その内息子が「うるせぇんだよクソババア、俺に話しかけんな!」などと言い出したときで十分なはずだ。

そう考えれば、例えば私が「寝るね、おやすみー」と、他人とのその日のコミュニケーションを終わりにした後に1時間起きているとして、それは別に嘘でもなく、単に私の「寝る準備」が長くかかっているだけ、ともいえる。
もしその内、そのタイムラグに気付く人がいて(ポケモンスリープの功罪である)、「寝るって言ったのに起きてるじゃん」的なツッコミを受けた場合には、「寝る前に一人の時間が必要で」と説明をすれば足りる気がしてきた。そうだな、そうすれば良さそうである。

嘘は、なるべくつかない方が生きやすい。
だが嘘をつかないためには、「嘘をつかねばならない」と私が思う場面に対する、私自身の思い込みの方を改善する必要がある。同時に、私の現在の言い訳について「別に嘘ではない」と解釈できるものは、していっても良さそうだ。
千里の解毒も一歩から。一つ一つ、罪悪感を減らす思考にしていきたい。

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