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利他の惑星

情けは人の為ならず
わたしの仕事はわたしのものだが、仕事とは他者に向かってするものだ

そこに相手がいなければ仕事は成り立たない。
空腹の子供にパンを差し出すように、仕事の成果を他者に分け与える。
そこに見返りは本来必要ない。相手がいてくれたことでわたしは仕事をすることができる。自分の能力を発揮することができる。運が良ければ次の仕事すらもらえる。

金銭的な報酬は流動的で使ったらすぐに消えてしまうけれど、仕事の成果は消えることがない。更新されることはあってもそこで仕事をしたという事実と、仕事をしたことで得られた能力は消えることがない。それらを金銭をチラつかせて奪い取ろうとする連中から、わたしはわたしの仕事を守らなくてはならない。

わたしにとってそれは決してそうではないけれど、一般的には無償で仕事をしていると思う人もいるようだ。
百害あって一利なし。そういう人にとってわたしの仕事はさぞ気味が悪いことだろう。笑顔で見返りもなく必死に働く。しなくてもいいことをしようとする。そしてそれが自分の為だと言う。
なるほど確かに、資本と通貨の価値を信じる人たちからすればそれはまるで別の惑星から来た異邦人のように見えるのだろう。

地上から数センチでも浮いている地球人にはなかなか出会えない

でも、人間誰しもが外宇宙から来て出会うようなものだ。育った環境がたまたま同じ地球だっただけで、教育も環境も価値観も微妙に異なる。
全く同じように育てた双子ですら全く同じく育つことはないように、わたしたちは微妙に異なっている。地球か、それ以外の惑星か、わたしと誰かの違いはたったそれだけだ。

ありがとう皆さん。わたしは地球という惑星から来ました。
ええ、その惑星では残された人々が必死に生きようとしています。
既に過去からの遺産は食いつぶし、わたしたちが生きるのに必要な大気は汚れ果て、安全な場所を奪い合いながら生きています。
でもそんなことは大した問題ではありません。わたしたちはせいぜい120年しか生きられませんから、あとは子供たちが何とかしてくれるんです。
わたしですか?わたしは、わたしは。

隣人が異邦人であったとしたら、何をしたら喜んでくれるかを考える。
きっとわたしにはない良いところがたくさんあるだろう。
語りつくせない辛い過去がたくさんあるだろう。
わたしはそれを食べて生きている。
食べ過ぎておなかを壊すこともあるが、ひとつひとつは悪いものじゃない。
ただ知りたい。もっと教えてくれ。その喜びを、その悲しみを。

誰かの心のために仕事をする。
いつの日か彼らが新たな宇宙の彼方に旅立つときに、わたしの仕事を思い出してもらえたらうれしい。

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