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記号過程、システム、意味

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人間と自然、人間と機械、人間とAI 対立するふたつのもの それらはなぜ対立するふたつのものになったのか? その答えを「記号過程」という用語を手がかりに考える
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#レンマ学

デジタル新石器人と電子書籍と公園の雉

ある知人からこのようなご指摘をいただいた。 前にも別の友人から同じことを言われたような気がする。 確かに、自分でも長いかなと思っている。 実は、こう見えて、企業SNSの運用アドバイザなども手がけておりまして、140文字のテキストの中に動詞は基本二つだけとして、第一動詞の主語が”弊社”、第二動詞の主語が”顧客”になるように組むことで購買や問い合わせのコンバージョンを(以下企業秘密)…というような商売をさせていただいていることもあり「短い」言葉の威力はよ〜くわかっているつもりで

シンボルとシグナルの間でハビトゥス(あるいは言語アラヤ識)を建立する 【2021年の読書まとめ】

2021年に印象に残った文献(の一部)をご紹介します。 『梵文和訳 華厳経入法界品』 まずこちら『梵文和訳 華厳経入法界品』三冊である。 梵文から和訳されたものを文庫本で読めるというのであるから、たいへんなことである。 例えば、「深く法性を洞察し、生存の海から超出して、如来の虚空の如き境界にあり、人を束縛する煩悩とその習慣性を抑止し、その拠り所や住居に執着することなく、虚空の如き静寂に住まい…」((上),p.38)であるとか、「牟尼たちは、法界の無区別の極みに安住して

"相互包摂"であらゆる「項」を両義的で中間的で媒介的にする ー 『今日のアニミズム』を読む

奥野克巳氏と清水高志氏の共著『今日のアニミズム』を読む。 (本記事について、twitterにて著者の清水先生に言及いただきました。 ありがとうございます。) アニミズムアニミズムと総称されるさまざまな思考においては、たとえば「人間」対「動物」であるとか、「人間」対「植物」、あるいは「人間」対「自然(鉱物から気候や天体」、さらには「現世に生きる人間なるもの」対「それ以外のもの(人間や他のさまざまなものの霊など)」といった二者の対立関係を立てた上で、一方が他方に変身したり、こ

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意味分節理論とは(6) 発生しつつある意味分節システムとしての「構造」 -レヴィ=ストロースの”構造"とは? 『今日のトーテミズム』を"読む"

◇ 『意識と本質』は井筒俊彦氏の主著の一つとも目される一冊である。 文庫本で約400ページにわたる『意識と本質』の最後には「対話と非対話」と題する論考が収められている。そこには次のようにある。 言語には第一に意味分節機能があり、第二に伝達機能がある。そしてこの二つの機能のうち真に重点が置かれるべきは意味分節機能の方である。しかし、そうであるにも関わらず、現代のコミュニケーションにおいては逆に伝達機能の方に「不相応な」重点が置かれてしまっている、という。 言語の「伝達機

「何も生まない空」と「生産性を持った空」ー中沢新一著『レンマ学』を精読する(13)

(このnoteは有料に設定していますが、全文無料で公開しています) ◇ 中沢新一氏の『レンマ学』を精読する連続note。本編に続く「付録」を読んでみる。付録と言っても100ページくらいある。 第一の付録「物と心の統一」に次の一節がある。 「言語学をモデルとしてつくられた構造主義が、そのことによって文化的なものと自然過程に属するものとを分離してしまい、物質過程とこころ過程の統一的理解を、逆に阻んでしまっているように思われた。」(中沢新一『レンマ学』p.340) 言語と

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あんがい過酷な「文化的」であること− ジョセフ・ヘンリック著『文化がヒトを進化させた』を読む(2)

ジョセフ・ヘンリック氏の『文化がヒトを進化させた』を引き続き読む。 ヘンリック氏によれば「文化」と「遺伝子」は共進化するという。 文化と遺伝子の共進化共進化とは、文化と遺伝子、どちらかが一方的に他方を生み出す原因であるとは考えず、相互作用を通じてそれぞれ変化、進化していく、という考え方である。 遺伝子の進化の選択圧となる環境としての文化文化は、遺伝子の進化を方向づける「環境」になる。 ここでヘンリック氏がいう文化とは、特に「社会規範」である。何かの「タブー」であるとか

一項・二項・三項・四項関係を発生・増殖させる -安藤礼二著『列島祝祭論』を読んで考える

安藤礼二氏の『列島祝祭論』を読む。 日本列島各地で繰り広げられたさまざまな祝祭。そこに時空を超えて繰り返し登場するモチーフの根底にある思考について、安藤礼二氏は次のように書く。 始まりは「二」である。 聖と俗 山と平地 無限と有限 人間と神 死と生 これらのペアは、互いに他方とは相容れず、反発しあい、分離しようとする対立関係にある。 人間が生きている限り、日常の至る所にこうした互いに相容れない二項の対立関係を見出すことになる。子供と大人、昼と夜、太陽と月、女と男、夏

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「聖地」の三元論と"深層意味論"-中沢新一著 『アースダイバー神社編』を読む

本記事は有料に設定していますが、最後まで無料で公開中です。 中沢新一氏の『アースダイバー神社編』を読む。 『アースダイバー神社編』は三部構成になっており、第一部「聖地の三つの層」、第二部「縄文系神神社」、第三部「海民系神社」に分かれている。 * 「縄文系神神社」と「海民系神社」では、諏訪大社や出雲大社、大神神社、対馬神道などなどを例に、その聖地の深層構造が解き明かされる。 ここで「縄文」と対比されるのが弥生ではなく「海民」であるというのがおもしろい。弥生という言葉が

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言葉から出て行こうとする言葉 -小田龍哉著『ニニフニ』を読む

しばらく前から安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を読んでいる。 今回はこの熊楠繋がりで、小田龍哉氏の『ニニフニ 南方熊楠と土宜法龍の複数論理思考』を読む。 カタカナ四文字が並ぶ不思議なタイトル「ニニフニ」は、漢字で書くと「二而不二」である。 二而不二、ニニフニ「漢字で書けるなら、どうして漢字で書かず、わざわざカタカナにしたのだろう?」と問いたくなる方もいるのではないかと思われるが、著者の小田氏は、まさにわざわざカタカナにしているものと思われる。なぜなら、二而不二もまた言葉

南方熊楠『燕石考』の4項モデル あるいは人類ができる思考の極み  ー 安藤礼二著『熊楠 生命と霊性』を手がかりに考える

安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を引き続き読んでいる。 (前回の記事はこちら↓ですが、今回の記事だけでもお楽しみいただけます) 南方熊楠の世界を垣間見ていると、思わずこんな思いつきがあたまをよぎる。ときどき目にする「猿でもできる」とか「猫でもわかる」とか「わたしにも写せる」とか、そういう言葉に「おいおい」「いやいや」とおもわず微笑んでしまうのが粋な読み手ということかなと思うのだけれど、もしかすると神仏の世界では『人類でもできる○○』のような本がロングセラーだったりするので

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相即相入の思想が「多」であることを肯定する -梅原猛 著『空海の思想について』を読む

(このnoteは有料に設定していますが、全文無料で公開しています) ◇ 相即相入ということについて思いをめぐらせようというとき、梅原猛氏の『空海の思想について』も強力な導きの糸になる。 相即相入とは、他と区別されたある一つの物事の中に、それとは異なるものとして区別されたはずの他の全ての事物が入り込み、関係しているということである。 例えば、「自己」の中に無数の「他者」がつながっていること、今現に生きている他者から遠い過去を行きた他者まで、ありとあらゆる他者がつながって

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科学と意味分節理論 -ある自己組織化するシステムを、他の自己組織化するシステムで"記述"する

1991年に刊行された中沢新一氏の著書『東方的』を読む。 現在は講談社学術文庫で読むことができる。 単行本も古書で多く流通しているようである。 さて、この『東方的』の単行本195ページには「脳とマンダラ」という論考を解説する不思議な図が掲載されている。 この図は、人間の心を含む生命体のシステムが「オートポイエーシス」のシステムとして「自己組織化」していく様を表している(『東方的』p.189)。 この図の中に記された〔 〕で囲まれた文字で表される「項」と、これらの項

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分節システムの中に分節以前を浮かび上がらせる -安藤礼二著『熊楠 -生命と霊性』を読む

(このnoteは有料に設定していますが、全文無料で公開しています) ◇ さて、下記の記事の続きである。 (前回を読んでいなくても、今回だけでお楽しみいただけます) * 私たちの日常の目醒めた明晰な意識は、身体感覚に基づく基く分節に、言語的な象徴たちのペアのペアを最小単位とする意味分節システムが重畳することで出来上がっている。 象徴たちのペアのペアというのが何のことであるかについては下記の記事に書いていますので参考にしてください。 * 原初の分化の動きが動き始め

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多元論か一元論か、それとも「一-多未分」

(このnoteは有料に設定していますが、全文無料で公開しています) ◇ 安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』を引き続き読んでいる。 『熊楠 生命と霊性』は南方熊楠の思想と、彼と同世代の鈴木大拙の思想とを並行して眺めつつ「一元論」の思考の系譜の中で紐解いていく試みである。 ここでいう一元論というのは、私たちが日常素朴に互いに対立していると思っている二つの事柄をめぐって、その二項の対立関係を端的に所与のものとみなさず、未だ二項が区別されず、対立するようになる以前の未分・無分節

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