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「わたし」

歳をとって若い頃よりも左脳機能が衰えてきたら
「わたし」ではなくなってしまうのだろうか??

そんなことはないですよね。

あれ、、、??? じゃあ、、、


「わたし」ってなんだろう?


どうも、、、思考が「わたし」じゃないらしい…

目の前にあるその名前を忘れてしまっても、
目の前の「桜」をカラダで感じて、
その美しさや気持ちよさをかんじている「わたし」

まだ「さくら」や「じぶん」という名前も知らない
「赤ちゃん」が桜吹雪に興奮して笑っているそこにも

「わたし」はいました。


シアワセに「知識」は必要なかった。

シアワセをかんじるのに
「知識」も「名前」も必要なかった。


それは「 知識よりも前 」に起きていた


シアワセをかんじることは
知識がなくても起きていたこと
その事実「そうだった」ことを思い出してみる

だから、ほら、、、

「じぶん」の「なまえ」すら知らないのに
とてもシアワセそうに笑っています

いまここにある美しさと共にあります

むしろ、知識や考えることに寄っていって
「かんじる」ことと疎遠になっていたから
「シアワセも…」感じられなかった

思考が消えてもシアワセは感じられる

でも、、、かんかく・感性が消えて、
賢い思考だけがそこに残っても
シアワセは「感じられない」

そこにあるシアワセは「シアワセ」という「記号」


ウェルカムレイン☆サヤカ https://lit.link/wrsayaka


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