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福祉を福祉のまま届ける時代じゃない

昨日の話のちょっと続きみたいな感じなんですが。
 
 
福祉って社会の中に存在しているものだと思うんです。ある種の社会の鑑みたいなものなんじゃないかと。
なので本来は社会と隣り合わせて進んでいかないといけないものな気がするし、社会のあり方に合わせて進んでいくものなんじゃないかと思うワケなんですが、なーんとなく福祉ってまるで社会とちょっと切り離された「福祉」というジャンルとして変に独立した存在になってしまっているような気がするんですね。
 
 
よくよく考えてみるとちょっと歪じゃないですか?
 
 
僕らと同じ社会の中に生きている人に向けて提供されるものなのに、社会から、日常から切り離されて施設の中で提供されていたりして、その中で例えば社会生活を送るための支援や就労するための支援が行われているんです。
 
 
もちろんそれを不要と思っているわけじゃないんですが、そうやってなんとなく当たり前の日常や社会からちょっと離れたところで提供されるもの、イコール福祉、みたいになると僕は途端に違和感を覚えてしまいます。
 
 
特に今、実際の地域とか社会を舞台に、当事者の方の日常を舞台にしたソーシャルアクションを行っているとその違和感を余計に感じます。
 
 
自然じゃない、というか。
 
 
ちょっとニュアンス的な表現なんですが、福祉って「福祉」として届けるのはちょっと違う気がするんです。
実際の社会や、それぞれの日常から切り取らずにむしろそこに忍ばせていく、というか笑、融け込んでいる方が自然だと思いませんか?
 
 
僕は今「福祉×◯◯」というアクションをよく行っています。
それは社会と福祉との間にある分断を埋めていくためのアクションなんですが、改めてコレじゃないかな、と思うんです。
 
 
もう少し言うと「福祉×◯◯」というよりも「◯◯×福祉」の方がしっくりきているんですが。
 
 
福祉を福祉として届けていくことだけじゃなく、これから必要な福祉ってその「◯◯」といかに掛け合わせて、いわゆる既存の意味合いの福祉から少しずつ意味を変えていくことが大事なんじゃないでしょうか。
 
 
福祉のために何かをする、というよりも何かを行う中に福祉的な視点や要素が当たり前に盛り込まれている、という感じです。
 
 
福祉が「福祉」として社会とちょっと離れたところにあるんじゃなくて、社会の中に融け込んで、紛れ込んで、福祉と気づかないくらいに馴染んでいくような、そんなベクトルを持っておくことが現代の福祉にとって必要なんじゃないか、と考えています。
 
 
それが婚活支援というアクションだったり、ダイニングバーという舞台をあえて使って当事者や支援者さん向けにイベントをする、というような表現にも繋がっているんだと思います。
 
 
そんな話です。


 
 

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