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名所に見所なし~様に依りて葫蘆を画く

先日、友人と会うのに「蜜ではないところがいい」ということを考えると、彼女と私の住居の中間地点である新宿は外さざるを得ず。ランチだけでなく、その他散策とかお茶も楽しめる場所がいいなと考えるものの、これといったところが思い浮かばず。他の友人にその話をしたなら、ここがいいのでは?とおススメしてくれたところが紀尾井町ガーデンテラス。そんなわけで赤坂クラシックハウスでランチをして、その後色々見れるところがあるのかと思ったのですが、ランチしてちょっと回ったなら、それで終わってしまう広さでした。クラシックハウスは素敵でしたし、都会のオアシス的な庭もとても素晴らしかったんですけどね。

ショッピングモールのような色々あるところをイメージしていたのですが、ようするにオフィスメインの商業施設ビルというだけで、そのビルや周辺の人たちが食事して、ちょっとした買い物をして、仕事の合間に憩うための場所。夕方までゆっくりと考えた時に行く場所ではありませんでした。その後どうしようかということになった時、風が強いこともあって、屋内で行動できる場所をと思ったけど、とくに思いつかない。仕方ないから、カフェでひたすらおしゃべりです。

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思うに、丸ビルとかオアゾとか六本木ヒルズにしても同じで、何処もかしこも似たり寄ったりなわけです。飲食店とちょっとしたショップしかなくて、まあ、わざわざ行く場所ではない。ランチしたら、それで終わり。しかも、何処も同じブランド、チェーン店ばかりで独自性なんてまったくない。こうなると、もうわざわざその場所に行かなけれはならない理由なんてない。違うのは利便性と駅名。自分の家から近いか近くないか、それだけ。そこでしかないものもあるのかも知れないけど、わざわざそのために行く人もいるのでょうが、目当てのものを手に入れたら、それで終わり。

昔は街ごとに個性があった気がします。その街(町)独自の雰囲気、昔ながらの街並み、老舗のショップ、飲食店。今はもう、淘汰されてしまったのか、そういうところは少なくなりました。時代が新しくなり、年月が進むにつれ、変わりゆくのは仕方がないけれど、その街らしさを感じさせるオリジナリティのある場所であって欲しいなとも思ったりします。本当に今はどこもかしこも同じような街並みばかりになって、東京って、実につまらない街になったなあ、とつくづく。

防災に強い街づくりとか、そういうのは大切だと思うけど。多様性が失われていくのはとても残念なことだと思います。そんな都市計画の中でも日本橋コレドなんかはかつての江戸たる「日本橋らしさ」が残っているから、まだマシなのかなって思うのですけどね。

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そして、そればかりではなく、とにもかくにも何処もかしこも若者をターゲットとした場所ばかりで、私のような中高年以上(エルダー以上シニア)の年齢層の人が楽しめる場所がどこにもないということです。一日中あれやこれや過ごせる場所なら尚更ない。ショッピングモールは若者向けだし、レジャー施設にしてもせいぜいファミリー層までが対象。デパートはそもそも買い物ありきな場所ですし、半日過ごして楽しめる場所かというと決してそうではありません(ウィンドーショッピングだけ、永遠と楽しめる人もいますけど)。言えてることはデパートなんかで売ってるものは、どれもこれもイマドキの庶民には相変わらず高すぎるってことかな。

お祖母ちゃんの原宿と言われる巣鴨商店街はエルダーには早すぎます。20年位前までは味のある商店街でしたが、今は昔ながらの商店はほとんど全滅で、観光客向けの店しか残ってません。(※ちなみに私は駒込に9年、巣鴨に4年住んでましたから、地元民としての買い物はよく行きました) 巣鴨に集まってくるシニア世代も別に巣鴨が楽しいから行くというのではなく、他に年寄りが行くような街が近隣に無いから行くと皆さん仰います。後は浅草位なもので。

街の造りも、人の歩くスピードも、置いてあるものもショップ自体も、接客サービスの仕方も店員の観念も言葉遣いも何もかもが、すべて現役世代の若者を対象としていますから。バリアフリーではない建物は相変わらず多いし、早く歩けず、動体視力も衰えて、白内障や緑内障のため視界が狭く、身体の動作がスローになっていっている世代にはまったくもってついて行けないのです。だから、シニア以上は巣鴨・浅草に行くしかない。せかせかとした街はまさに未開のジャングルで、渋谷の地下なんて、グローバルスタンダードの表示があっても、理解できない迷宮です。疲れに行く場所。

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はい。エルダーやシニアを対象とした施設って、後はデイサービスか介護施設か病院かって位、見事に無いんです。いやさ無いというと誤解を生みますねっっ

さて、確かに東京は便利な街です。田舎や地方にはもう住めないと思うくらいに、病院も商業施設も飲食店も何もかも揃っていてる街です。日本中、世界中の美味しいものも食べることが出来ますし、コンサートやライブや芝居、美術館や博物館、講演会やワークショップ、ありとあらゆるものが堪能できます。そういう部分的なものをその日の気分でちょっとつまみながら楽しむなら、最適な街かも知れません。けれど、基本は若者を対象とした消費とカルチャーが中心な街なんですね。それとオフィス。オフィスで働く人ありきの街作り。

そんなわけで、シニア含めて中高年以上がゆっくり滞在出来る場所、無いです。単体の店とかならありますけど、街や施設というものはない。年寄りは疲れやすいから、ちょっと歩いたら休憩でカフェをするわけですが、その間に何かを見て回る居心地の良い場所ってなかなかない。浅草とかはその昔は東京見学コースというわけで観光客にはいいかもですが、都民にとってはしょっちゅう行きたい場所ではないし、食べ歩きを楽しめる胃袋年齢ではないですしね。

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だったら、郊外へ行けとか、神社仏閣でも回ってろとか、築地や豊洲市場で食べ歩きしたり、新宿御苑とか明治神宮とか小石川植物園とかで光合成でもしてろって話かもですけどね。花粉症の時期や冬は屋外は辛いし、雨や風の強い日はまず無理な話。まあ、一日時間を潰せる複合施設に行きたいなら、お台場があると言えばありますが。遠すぎますよ、お台場。わざわざ電車で行くようなところではないし、これまたエルダー以上の庶民が行って楽しい場所じゃない。

そういえば、最近はジムに通うお年寄りが増えたとのことでした。昔は病院の待合室にたむろっているのが、お約束でしたが。あとは今は死語になりつつあるゲートボールとか。皆さんがジムに通う理由は、健康増進や維持のためもあるでしょうが、ほとんどの方が「仲間」が出来るから、とのこと。そこで知り合った人たち、同世代の人々とおしゃべりをするのが楽しみで通われるって、そういう人が多いそうです。

都市部には都市部在住の中高年以上シニア層が楽しめる街がないから、山とかハイキング行くジジババが多くなるのかもですねww。旅行参加もその一つではあるものの。今は飲み食いで大勢集まることが無理ではありますが。

子供たちにとっても、屋外で遊ぶ場所や子供向けのテレビ番組が無くなってしまった昨今ですが、エルダー以上にとっても見ても楽しいテレビ番組や遊び場所が無くなってしまっている。なんで世の中っていずこも若者主体なんですかね?? 年を取ってから、そうした壁に多くぶつかるようになりました。ホント、子供を夢中にさせてテレビっ子にさせるようなテレビ番組がないのに、テレビ離れも何もないもんです。子供の頃からテレビを面白いと思えない子たちが、どうして若者や大人になったからってその後テレビを見ると思うのでしょうかね?? 家に在宅していることの多い世代向けの番組だってほとんど創られてないしね。

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以前にもblogで呟きましたが、サービスの仕方にしても商品もそうです。人間は一人ひとり違うのにも関わらず、一人ひとりのニーズに合わせた多様性のあるサービスや商品が失われつつあり、どれも一本化されつつあります。

何よりも人間味のある、体温のあるサービスが絶滅しつつあります。とくにそれはこのコロナ禍の中、加速化されています。

例えば、セルフレジ。若い世代には問題はないのでしょう。お札を触らなくて済むとか、お釣りの受け渡しのトラブルが防げるとか、衛生面や金銭トラブル防止の観点からは解決されるべき点が多い画期的なものなのでしょう。ですが、白内障や緑内障で視野が狭くなっている世代にとっては、とても不親切なものです。だって、手元しか見えない人にとっては、お金を入れるところもお釣りを受け取るところもボタンも視界の外にあって見えないのですから。開発に携わる人やメーカーは、日本が高齢化社会であるってこと、そういうのはたぶん全く視野にないのでしょうね。

そんなわけで、私はセブンイレブンと東急ハンズとミスタードーナツとユニクロ、もう利用できません。腰をかがめるのもしんどい年寄りや腰に支障のある人にはあれは拷問です。手渡しをしてくれないと、見えない人もいるんですよ。私はまだ50代ですけどね。マルエツのは視界の範囲に収まるから、なんとか使えるし、手渡ししてくれるレジも残してくれているので、目の調子が悪いときにはそちらを使えばいいから助かります。そんな風に選択肢を残してくれているのはありがたいです。

でも、ほとんどのところのサービスはその選択肢がありません。世の中には若者と健常者しか存在していないような、一本化されたサービスしかなくなりつつあるんですよね。

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前から喚いていますけど、代表的なのがスマホ。私は失明こそしていませんけど、左目は白内障、右目は白内障と網膜剥離の手術をして治りはしましたが、見えるものは歪んだままで正常にものを視ることが出来ません。視界もとても狭いです。またドライアイが酷いので、眼鏡をかけていても時刻表すら見れません。老眼もありますが、老眼そのものが問題ではないので。外出用とPC用で眼鏡を分けないといけなくて、手元は眼鏡をかけていると見えないし、屋外用の眼鏡をかけていると1m以内は見えません。ですので、スマホが使えません。画面と文字が小さすぎるのと、色の組み合わせが致命的なんです。あの画面では文字を認識出来ないんですよ。

なのでガラケーが命綱です。でも、腹が立つことに世の中はガラケーを無くそうとしている。世の中のすべての人間がスマホを持っているのがさも当たり前で使えない人はいるわけないだろうというように、ほとんどのサービスがスマホに移行している。盲目の人とか、私みたいに視覚障碍者とは言わないまでも、スマホの画面では文字や形を認識することができない人間もいるのにね。そして緑内障の人間は4人に一人いて、60過ぎたらほとんどの人が白内障に掛かり、PCやスマホの利用によりドライアイに悩まされる人が増えていて、ドライアイによる眼球損傷から視力の衰えがみんな進んでいるというのに…

今は少子化で、年寄りがどんどん増えている高齢化社会であるのに、中高年以上の層はいつも蚊帳の外。すべての人がいつまでも衰えのない健康的な肉体を維持できるわけではなく、すべての人が同等な身体能力を持っているわけではないというのに…世の中は健全な人中心で、若くて自由自在に自らの身体機能を使える人たちばかりを基準し、その世代をターゲットとした商品開発やサービスや技術提供ばかり。それらを開発している人たち自身もいつかは年を取るのにね。みんな、今の目線でしか考えてない。

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ちなみに都営三田線巣鴨駅の商店街側のエスカレーターとか、池袋東武のエスカレーターはとてもゆっくりなんですけど、普通の人にはとろくてイラつきますが、年寄りにはちょうどいいわけです。それと足に支障のある人にとってはね。友人が怪我で松葉杖だったとき、普通のエスカレーターだと早すぎてタイミングが掴めなかったとのこと。そんな風にちょっとしたことなんですけど、平均以下の体力の人には標準のものを利用することが負担というか苦労することがあるんです。この辺りは介護職の人や介護用品とか福祉用住環境の専門家の人なら、理解できる話だと思うけど。

別に年寄りに合わせろってわけではないんです。世の中には一つの世代しか存在しているわけではなく、様々な身体能力の人たちがいるってことをもう少し考えた世の中であって欲しいなって思ったりするわけです。多数派が優勢になるのは当然だし、商業主義すなわちマーケティングの観点から行ったら消費金額の多い購買層をターゲットにしているのは仕方ないんですが。それでも、そこから零れ落ちたマイノリティな世代や人々がいることは忘れないで欲しいなって思ったりするのです。まぁ、これからも右肩上がりに高齢者が増えるのは確定した未来なんですがね。

そして70代以上のパソコンもスマホも使えない情報難民の世代もまだまだいます。これからその世代に向かっている人にしても、どんどん身体機能は衰えるばかりです。これまで難なく出来ていたことが、少しずつ出来なくなっていくんです。本当にそれはあっという間です。

ちなみに私が通常より早く白内障に掛かったり、網膜剥離やドライアイになったのは、PCの液晶画面を長く見続けたことも大きな原因のひとつなんですね。たぶんスマホが原因の眼病はもっと増えると思いますよ。

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さて、中国の人から聞いた話ですが、中国の都市部では政策によりスマホによる電子決済が進んでいて、現金による支払いやサービスが無くなりつつあり、それらを使えないとか所持していない世代は買い物難民になっているとのことです。家族の中の若い世代の人に頼むしかないとかで、それ以外の人はとても困っているとのこと。

日本も高齢化社会なわけですが、核家族どころか結婚しない単身者もものすごく増えています。私の住む新宿区ではそれを見越した単身者用のマンションがものすごい勢いで建築されていたりもします。

共に住む家族で若い世代の人がいればいいのですが、そうでない一人暮らしの年寄りはこの先、社会がそうなってしまった時にどうなるのでしょうね。なんか考えると憂鬱になってきます。

スマホを所持していないことでは、イヤな想いをさせられることも多いです。好きで使えないわけではないのに、ガラケー排除なサービス対応にも毎回不愉快な思いをさせられています。Amazonでも本人認証はスマホのみとのことで、ガラケーの人には対応していないのでと利用を断られました。東京ドームのポイントカードもそう。

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そんな風に世の中グローバル化だの何だの言われていますけども、多様化していると言いつつ、多様性は失われているし、愛のあるサービスが失われつつあります。人間を人間として扱う、体温のあるやり取り、コミュニケーションが本当に減りました。それはコロナ禍のせいばかりではないように思います。むしろ、そのような時代だからこそ、人と人の繋がり、人を人として扱う姿勢や対応が、世の中には大切でもっとも必要とされているところだろうと痛感します。社会から失われたものがたくさんあるが故の、昨今の若者や女性の自殺率の増加ではないかとも。これは福祉制度とか教育の問題ではないように思いますし。

さてさて街の個性が無くなるというのは、同時に街から色や「人間味」が無くなっていくということを意味しているのかも知れません。

街づくりっていうのは国や地域にとっては実に大切で、防災や地域経済ばかりではなく、住む人や集う人、そしてそのようにそこに集まる、人と人の繋がりを生むコミュニティの土台を形成する役割も担っているものだと思います。今のニーズだけで考えて先々の将来の需要をちゃんと考えないことには、失敗したあちこちのニュータウンやゴーストタウン化した某所の二の舞になってもしまいますしね。

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街の景観も住む人の心理状況に影響を与えるので、そこもちゃんと考えないといけない。近未来的な造りや無機質な建物ばかりの街は住む人に不安を与え、孤独と閉塞感を植え付けて、鬱病患者が多い街になるから。ニューヨークの地下鉄や町中の落書きを減らしたら犯罪率が減って、若者の心理状態が落ち着いたというデータが表しているように街の清潔さや景観ってものがいかに人の心理に影響するのかって、そこももっと考えられるべきかと思うし。

そしてチェーン店と同じブランドばかりのデパートとモール。大手が潰してきた地場産業と大型店舗が作ってきたシャッター街。大手企業ばかりが優遇され中小以下の企業や自営業が冷遇されてきたことからの、それらの衰退。非道な金融改革によって個人事業主として自由な生き方や派遣社員や契約社員として自分にあったスタイルでの働き方が出来なくなったこと。あれやこれや大風呂敷広げての話になってしまうからアレですが、コロナ禍によって皆が打撃受けるような社会が創られた構造は、色々なことの積み重ねのような気がします。

話をそろそろ戻さないと、ですね。

スカイツリーが出来た時、下町であるなら、下町らしい複合施設が出来ればいいなあと思ったものですが、結局、ヒルズにも丸ビルにもお台場にもある場所が出来ちゃいましたよね。同じものがまた一つ増えた、みたいな。なんでわざわざここまで来て、他と同じものを見たり食べたり買わないといけないのだろうと思いましたよ。近いというだけで決して浅草ではない場所だけど、江戸や下町っぽい時代劇テーマパークのような、観光客も地元民も楽しめる場所になればいいのになって思ったりもしましたがね。素人の浅知恵ですけども。

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私はネズミが嫌いだし、既にディズニーランドとかシーとか楽しめる年齢ではないのですが、あの場所が多くの人に人気なのは、非現実を体験できる場所だからですよね。日常を離れて夢を見られる楽しいところだから。大人でも、エルダーシニアでもあの場所が好きな人はいるでしょう。けれど、それは一部の人のこと。

そんなわけで、エルダーシニア世代、そして国民年金生活の庶民であっても、一日楽しめる場所。ゆっくりのんびり過ごせる場所。自分たちを対象とした商品もちゃんとあって、ショッピングもランチもティータイムも、その他の娯楽も楽しめるような複合商業施設。あって欲しいなあ。切にそう願います。

本当にこれ以上は年寄りやマイノリティを無視した都市計画や街作り、商業ビルは勘弁して欲しいものです。

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