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ロックな二人のロックを借りる
今日は嫌なことがあった。
そういう日は好物を買い占めて、むさぼり食う。
もしくは、寝る。それも1日中。
でも、時にはそれでも収まらないこともある。
最近はしばらくもやもやしていた。
何が悪いのかはわからないが、もやもやしていた。
なれない仕事をし、苦手なことも頑張った。
苦手な人とも話をし、なれない役目も果たした。
だからなのか。わからないけど、もやもやしてた。
でもね、いまはもうそんなこと
うまくできなかった。その理由。
その原因は、23年生きて分かった。
自分に素直じゃなかったんだ。
うまくできるようになれる人が羨ましくて、
自分らしさがある人が羨ましくて、
少しでも自分もそうなれるように、できるふりをして、
できもしないのに。
そこに目を背け続けた私に、最大限の優しさをくれたのが、
あの人たちだった。
小・中・高の先生、そして大学の教授。
それから誰よりも母と父、そして妹。
できるようになりたい。何でも
僕の中に強烈にやりたいことや意志はない。
僕の中に強烈にやりたいことや意志はない。ただあるのは、人の話を聞くことと、それを書き留める力にすぎない。とはいえそういう性格と一方で、凝り固まった価値感はともに存在している。脱過剰消費的なところが強いのと、現代社会が強いる転勤や夫婦別役割定義などの自分の周りにある、何らかの不幸をもたらす負のエネルギーや慣習と呼ばれるようなものへの反抗心だ。だからこそ柳田國男や柳宗悦の民藝運動にひかれたのだと今なら
もっとみる地元の駅ビルに元々AKOMEYAが入っていたのだが、今度その目の前に中川正七商店ができるらしい。どうなっていくのだろう
生きがいと死にがいと朝井リョウ
ぼくは生きがいを求めていた。
でもそれは死にがいを求めているということだった。
初めて死ぬということを意識したのは、5歳くらいでひいおじいちゃんが無くなった時だった。なぜか泣いた。思い出もどれくらいあっただろう。多分みんなが泣くから泣いた。そして死を始めて間近で見た。
その次に強く感じたのは多分、東日本大震災。一万数千人という人が無くなって、それでも大きく変わらない自分の日常に気が付く。
もし、お金を使うならば…
もし、お金を使うならば、誰かと一緒の時間に使おう
もし、お金を使うならば、時には一人の時間に使おう
もし、お金を使うならば、その対価を分け合おう
もし、お金を使うならば、何かの種を買ってこよう
もし、お金を使うならば、見たことのない世界を見に行こう
もし、お金を使うならば、明日が豊かになるように使おう
もし、お金を使うならば、それでも時には今の為に使おう
もし、お金を使うならば、それ
久々に親と話す。それもまっすぐに。
LINE!
「おばあちゃんが危篤になった」
LINE!
「今日はこのあと病院へ行くことにするから、もしこれるなら連絡をくれ」
LINE!
「みてるか?」
LINE!
「とりあえず仕事が終ったら向かうから、いけるなら連絡くれ」
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5月2日。世の中はゴールデンウィーク真っ盛りだ。彼女の家で旅行の計画を立てていた私のもとに、突然灰色の知らせが届いた。
後から振り返ればなんとなく今日は落ち着か
面白いも、おもしろいも。
やぁ、久しぶり。
なんか気がついたら某ラジオの方にもバレてるこの日記。何でバレたのかわからないが、気が向いたので書いてゆく。
前回のぬか漬けの記事から2ヶ月が経った。その間、富山に行ったり、家の壁についうっかり大穴を開けたり、大学を卒業したり、社会人になったりの激動の2ヶ月だった。
さて、前回までを振り返ったが記事が長いな。読む気がしなかなってくるので、これからは簡潔に行こうと思う。
さぁ、