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発信すること、それ自体に価値がある。

今回は、発信することについて話そうと思います。

昨今では、Twitter、Instagram、Facebook、そしてnote…
発信する環境がどこにでもあって、無料でアクセスできる時代です。
本稿で、発信することについて考えるきっかけになれば。

この原稿は、近所のスターバックスで、カフェラテを飲みながら入力しています。今の時代は便利になったもので、パソコンを広げながら仕事をしている人、レポートを作成する人、オンライン講義を受ける人。様々にいるものです。

こんな便利な世の中になって、今やスマホでブログ投稿、出版原稿も入力することができるのです。一昔のワープロをカタカタ…と原稿を入力していた時代の人が見れば、羨ましいこと限りないでしょう。携帯電話は電話をするだけのものだろう!?と。

そんな便利な昨今で暮らしていて、私たちはつい忘れそうになります。
今の世の中はIT機器的に不自由はしないし、外部の会社に委託しなくても自分で書類を作ることだってできる。
twitterでは、知人から直接に連絡が来なくても近況を知ることができるし、知らない人の意見だって見ることができる。
そして、生まれた時からスマートフォンやタブレットに慣れ親しんだ子どもたちは、大人たちのガラケーという存在を知り、そんな世界で暮らせない!と嘆くでしょう。

想像で書いてみましたが、実際にこういうことは既に起こっているのかもしれません。その一方で、今は誰でもどんな情報にもアクセス可能であるからこそ、昔の「アナログ時代」を夢見る人たちもいることは事実です。

デジタルデトックスとか、デジタルからなるべく離れる時間を持とう!という論調を、どこかで耳にしたことはないでしょうか?
筆者はこれは、デジタルで便利になり尽くした時代であるからこそ、生まれる考えます。もしくは、アナログ世界でもデジタル世界でも、お互いに恋い焦がれるように夢見るのかもしれないと。


さて、話を本筋に戻しますね。
昨今の世界はとても便利な時代であること、無料で誰にでも閲覧可能な情報のハードルが大幅に下がったことについて、例示してきました。
そこで、本稿で問題として提起したいのは、「発信すること」そのものについて、焦点を当てていきます。
先日にnoteの呟きにて、最近の発信は日常生活レベルに広がっていると前述しました。

皆さんは、発信とは何だと思いますか?何を基準に、有益だと判断しますか?
最近では文章術の指南本など、これが正しい文章の書き方だと売りに出す本が多くなりました。当然、表現する者として、もっといい文章が書きたい!と努力することは大切です。
この人に書かせたら、どんなものでも魔法のようにいい文章になるという、カリスマ的な書き手もいます。そこで、もっとあなたの文章の秘訣を教えて!と、文章講座や高額な書籍にバンバン投資する人も増えます。また、文章術の本がたくさんあるからこそ、「書くことに対するハードル」が、多くの人の心の中で高くなってしまっている現実もあるのです。

そこで、私は一人の書き手として一石を投じたいのです。

書くことに、そんなにハードルを上げなくて、いいのだと。

あるいは、まず文章術を学ぶ上で、大前提として考えていただきたいことがあります。

それは、「あなたの書く文章の読者は誰ですか?」ということです。

読者の方は、必ずしも文章力の高さを要求しているわけではありません。
その証拠に、この人から学びたいと思う人(学者や作家など)からは、読んでいて何を言っているのだろうと思う人でも、読むことをやめたりはしません。

その人から学びたいからこそ、難解であったとしても読み取ろうとするのです。そのため、人は文章自体のセンスが良いから読むとか以外に、この人だから読む、という基準もあることを頭の片隅に前提として置いておいてください。

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