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「すごい」の本質


おはこんにちばんは!
のんです。


早速ですが、
ふと舞い降りてきた思考をアウトプットします。
(何も調べていません)


”「すごい」の本質”


まず、私は「すごい」という言葉は
あまり使わないようにしています。
(過去にはたくさん使ってきました)

というのも、
その言葉の意味や背景にも
色々あると考えているからです。

今の私がこの言葉を使う場合は、
尊敬の意がこもっている時と、
本当に未知の領域に出会った時くらい。

ボランティアで訪れている
デイサービスのおばおじ様と話す時も
「すごい」ではなく

「〇〇素敵ですね」
「〇〇できましたね」
のように、いいね!と感じる部分を
具体的にお伝えするようにしています。


考えてみてください。
習い事の先生が
生徒に対して「すごい」というでしょうか。

仮に、3歳で書道の段をとったと聞くと
すごそうなことは伝わってきますが
そこで先生が「すごいね」と
褒める側にいってしまえば
その子の才能もそこで止まってしまうかもしれませんよね。

私がピアノを習っていた当初も
先生からすごいなんて言われたことは
一度もありません。

けれど、ピアノを習っていない友人からは
凄いなんて言ってもらえることもあって
調子に乗ったりもしていました。
(レベルがどうこうのお話ではないです)

何が言いたいのかというと、
その分野に関して
わからない人、知見がない人は
「すごい」と感じるということ。

私が無意識的にこの言葉を使用していた時も
わからないからこそ「すごい」
なんて言葉で片付けていたことも
あったなと感じます。
(口癖になっていた頃もありました)

なので、今私がやっていることに対して
「すごいね」と言ってくださる方がいた時
状況によって嬉しさもある反面、
少し切なくなることがあるのです。

尊敬の気持ちがあって
本心でその言葉を伝えてくれているとわかっていても

きっとその人は同じことをやらない。
そこまでの影響力は
自分はまだ持ち合わせていないのかと
痛感してしまうからです。

本当にいいね!と思う人は
「え、一緒にやりたいです。」
と言わんばかりの姿勢で
ガツガツ質問なり共感なり
してくれるとも思っています。

言葉の問題であって
考えすぎかもしれませんが
言葉は自分を映し出す鏡でもあると感じているので

言葉や発言
言葉に込める想いなどには
気をつけるようにしています。


すごい!と伝えれば
喜んでくれる人はもちろんいると思いますし
伝え方次第でこの言葉は
素敵な影響力をもっているとも思っています。

けれど、考え方によっては、
私のようにイレギュラーな人もいるのです(笑)


数年後には
すごいと言われる人でいたいなんて
思考が変化している場合も考えられますが

今の私はすごいと言われることで
停滞したくないようです!笑
(言われても、停滞しないように心得ています。)


そんなこんなで
ふと舞い降りてきた思考アウトプットでした!笑



皆さんは
聞き入れたくない言葉とか
言われてワクワクする言葉
ありますか😊?




最後までお読みいただき
ありがとうございました!


今日も
素敵な一日になりますように☀
お疲れ様でした☾



のん


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