解釈が全て
自分自身、マイナスだと思ってる点も、
自分の今置かれている環境も、
自分が選択して起きた結果も、
それが自分にとって、どういう意味を持つかは、解釈次第で、180度変わってくる訳であって。
そう考えるとやっぱり、物事はポジティブに捉える方が良いと思うし、その方が人生をより主体的に捉えられると思う。
どんな偉業を成し遂げだ人でも、どんな凶悪犯罪者でも、どんなに周りから愛されていた人も、どんな嫌われ者も、最終的にはみんな死んでいく。
そう考えると人生って滑稽だ。
1人1人が生きることに、絶対的な意味なんて多分無いんだろうな。
だから別に、個人個人がどんな生き方しようと勝手だし、
それぞれの生き方に絶対的な良し悪しは存在しないというのが僕の今の考え。
それは行動だけでなく、気の持ちようにおいても同じで。
自分が不幸だと感じながら死んでいっても、
私は幸せだったと思いながら死んでいっても、
正直ただ一つの個体が死んだ点では何も変わらないし、そこに優劣は無いと思ってる。
だから
絶対幸せにならなければならない、
とか
絶対人に囲まれていなければならない、
とか
病気で苦しんでる奴は不幸に違いない、
とか
若くして死んだ奴は不幸だ、
とかそう言う価値観は、僕の中でちょっと違和感があって。
もちろん、
大勢の人から受け入れられていると感じたり、賞賛を浴びている時は気持ちいい。
怪我で思うように運動できない時とか、他人に迷惑かけてめちゃくちゃ落ち込んでる時は、不幸だと感じる。
けど、「不幸な状態」の何が悪いのだろうか。
毎日の生活の中でも、感情は大なり小なり浮き沈みする。そういうときに、沈むことが、まるで「悪」だと決めつけるのはあまりに残酷だ。
人生の半分近くが「悪」で埋め尽くされるなんて。
(←いや、わし日頃どれだけ沈んでんねんっっ笑)
だから僕は、嫌な出来事や不快な感情を「悪いもの」と決めつけずに、そっと見つめておきたい。
後々それが、人生において大きな転機に繋がるなんてこともザラにあるし。
と言うかむしろ、自分の価値観とか生き方がガラッと変わるような人生の転機って、いつもマイナスな出来事だった気がするし。
(Twitterで誹謗中傷されて過呼吸になったことが原因で、周りにカミングアウトした事とか。そして案外、周りからすんなり受け入れられてる事実とか。)
一人一人の人生なんて、世界とか宇宙の単位で見たらゴミカスみたいなもんで、
でもじゃあなんでこんなにも、みんな色々背負って毎日生き抜いてるんだろうとか、
一見矛盾したような気持ちを抱えて生活しておりますが、
もうそんなだったらいっそのこと、
自分の周りで起こった出来事とか、
胸から湧いてきた気持ちとかを、
自分の解釈だけもプラスに捉えていくことは、人の勝手だよね。じゃあ僕はそうしたいです。
としみじみ思う、正月休み最終日の夜
(病んでるね♡)
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