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【短編小説】『ひいばあちゃんの桜』土梅実


(一)

大学の卒業式を終えた、少し肌寒い3月の終わり。朝のニュースは満開を迎えた標本桜のことを伝えた。
今年もそろそろ連絡が来る頃だ。
ニュースで標本桜の満開を伝えるその日に、おばあちゃんから必ず電話がある。
「もしもし、凛ちゃん。今年もひいばあちゃんをお花見に連れて行ってくれない」
ひいばあちゃんは私の生まれたときから、おばあちゃんだった。
毎年必ず、ひいばあちゃんはお花見をしり。
私が高校生になってから、お花見の案内係を母から引き継がれた。
ひいおばあちゃんは、おばあちゃんがお腹にいるときに、ひいじいちゃんを戦争で亡くした、戦争未亡人だ。戦後の混乱期を、女手一つで娘を育てたのは大変な苦労をしただろう。おばあちゃんは結婚すると、お母さんを生み、お母さんは私を生んだ。
女ばかり一人っ子の家系だ。
世界のどこかで戦争が起こるたびに「うちは女の子ばかりだから戦争に取られなくすむ」と、ひいばあちゃんは小声で言って安心する。
私が高校1年生の頃はひいばあちゃんはまだ歩いていた。それでもゆっくりゆっくりだったので、私はその歩調に合わせてのんびりと桜を見るのが大好きだった。
桜の花に包まれていると瑞々しい甘さが私の鼻をくすぐる。桜に匂いなんてないっていう人もいるけど大量の花びらに囲まれたときには、確かに私はその匂いを感じる。
そしてそれはひいばあちゃんの香り。
ひいばあちゃんの本当の香りはお線香と土壁だけど、ひいばあちゃんの顔を思い浮かべるときは、なぜかこの瑞々しい甘い香りが私の頭の中と鼻の奥に広がる。
ひいばあちゃんは、自分の両親が病弱だったので援助は受けられず、いろんな仕事をしておばあちゃんを育てながら、お線香の香りのする土壁の家を建てた。
1階が美容院で2階が住居。
物心ついたときには、おばあちゃんがそこを一人で切り盛りしていたけど、最初に美容院を始めたのはひいばあちゃんだった。
私の両親は共働きだったので、平日はいつもこの家で過ごした。
美容院は近所の人が来てくれて流行っていたので、おばあちゃんはお店に出ていることが多く、ひいばあちゃんと過ごす時間が多かった。
ひいばあちゃんは、おはじきやお手玉、折り紙などを教えてくれた。いつも優しくニコニコ笑っていて、私が言わなくても、お腹が空いたこともトイレに行きたいこともわかっていた。
「おいもが食べたいな」と思いながら小学校からの帰ると、さつまいもが蒸かしてあった。「おおばぁばぁ、どうしておいもがたべたいことがわかったの」と子どもの私が聞くと、「凛ちゃんのことはなんでもわかるよ」といって一番大きなさつまいもをくれた。
(そうか、お年寄りになると、人の心があるていどは、わかるようになるんだ)
本当は二番目に大きなおいもが食べたかった小さな私はそう考えて納得した。
お母さんから「子どもの考えていることが、わかるときはあるわよ」と反抗期の私を見てあきれながら言われたことがある。お母さんによると自分も昔同じように思い、おばあちゃんに反抗したころがあるからだと言った。
だから私のこの考えは当たっている。
でもそれは人の心じゃなくて、娘や孫やひ孫の心だった。
私はひいばあちゃんが大好きだけど、ひいばあちゃんは若い頃の話もひいじいちゃんの話もあまりしてくれない。
親から子へ、子から孫への気持ちはわかるようになるが、私は母の気持ちはわからないので逆はないのかもしれない。
私は翌日、ひいばあちゃんを迎えにおばあちゃんの家を訪ねた。

(二)


朝食を食べ終えて、おばあちゃんの家に到着する。昔はもっと遠かったが今は徒歩十分。
ひいばあちゃんは、美容院の入り口で小さな車いすにさらに小さくチョコンと座っている。
今日は快晴で風もない。暖かい日差しがふりそそぐ。ひいばあちゃんの小さくなったまるい背中を眺めながら私は桜並木へ向かった。
この道に保育園がある。ひいばあちゃんに手を引かれて、来る日も来る日もここを通ったことを毎年お花見のたびに思い出す。
桜並木は河沿いに1キロわたり続いている。
昨日の満開宣言通り、どの桜も美しさを競うように咲き誇っている。日当たりのよい場所では新葉も出ている。
ソメイヨシノがしばらく続くと、枝垂桜の巨木が休憩所の真ん中で枝が地面を掴んとばかりに堂々と広がり花見客を楽しませている。手の届く間近な距離の桜の花を多くの人がスマホやデジカメで接写している。
ひいばあちゃんは顔を上げ、黙ってその枝垂れ桜を見つめていた。
風が吹き私は零れんばかりの桜の花吹雪を浴びた。ひいばあちゃんも同じように桜の花びらを全身にあびている。帰ったら車椅子の掃除が大変だ。こんなに満開に咲き誇る桜は近年でも珍しい。
「寒くない?」ひざ掛けとマフラーに包まれている、ひいばあちゃんに聞くと「大丈夫よ」と答えた。
 桜並木の半分を過ぎたところに毎年寄っている喫茶店があり、今年もそこに入ることにした。ひいばあちゃんは毎年蜜豆を頼む。


(三)


 喫茶店でひいばあちゃんと向かいあうと卒業後の会社の話などをした。「凛ちゃんは好きなことをたくさんして人生を楽しむんだよ」と応援してくれた。
 ひいばあちゃんの年齢を考えるとお花見は今年で最後になるかもしれない。私は思い切って戦争のこと聞いてみることにした。
「ひいばあちゃんの若いころは戦争があったんでしょ。ひいじいちゃんもその戦争で亡くなったって聞いたことがあるけど、戦争の無い時代ならよかったね」
「そうね。戦争がなかったらどんなに良かったでしょうね。戦争の時代に生まることは、乗っている船が嵐に巻き込まれるようなもので、自分ではどうしょうもならなくて、必死にできることだけするけど、それでも周りの人が死んでいき、自分が生き残ることで必死になるの。敵が攻めてきて家族や友人が殺されれば、みんなで協力して戦うしかないわ。戦争から逃げれば非国民と呼ばれて仲間外れにされてしまうし。私は軍需工場で働きながら空襲があれば防火活動をして、友だちが目の前で火だるまになって死んでしまったこともあるのよ」
 ひいばあちゃんは私の質問にしっかりと答えてくれた。
「大勢人が死んだって聞いてたけど、この町も空襲にあったの」
「たくさん爆弾が落とされて、人も家もたくさん燃えたのよ」
「ひいじいちゃんはどうして死んじゃったの」
「ひいじいちゃんはね、飛行機に乗って沖縄の海に飛び立って死んじゃったのよ。特攻隊に志願したの。私は志願したときにはびっくりしたけど、辞めてもらうようにお願いもできなかった。出撃前にお休みがあってね。ひいじいちゃんとこの桜並木を一緒に歩いてお花見をしたのよ。あなたのおばあちゃんがちょうどお腹にいて、『なにもしてやれなくてすまんな』って言っていたわ。どうして特攻隊に志願したか聞くと、『同じ戦争で死ぬのでも泥まみれで餓死や病死をするのなら華々しく空に散りたい。敵は沖縄のすぐそばまで迫っている。飛行機に乗らなけりゃ、敵の戦艦を一人で撃沈するなんて無理なこと。それができるんだ。お前とお腹の子に少しでも敵を近づかせない』、なにも言えずに黙っていると、『桜の花を見てみろあれはな、花が綺麗なんじゃない、散るのが綺麗なんだ。萎れて朽ち果てないから美しいんだ。俺はそういう花が咲く国に生まれてしまって、その花が美しいと感じる育ち方をしてしまった。難しいことはともなく今回のことはそういうことだと思ってくれ』そう優しく言って莞爾と笑ってみせたのよ。私にはどういうことか理解できなかったけど、その笑顔をみたときにこの人とはお別れなんだと決心がついた」
 私は、初めて聞くひいじいちゃんの最後に驚いた。それに桜のせいにして特攻隊に志願したのもよく理解ができなかった。
「ひいじいちゃんが死んで、戦争が終わったあとに縁談を勧められることもあったけど、そんな気になれなくて、一人で過ごしたの。毎年桜を見ながら、ひいじいちゃんを思い出しながら一年一年が過ぎていった。気づけばこんなにおばあさんになっていたわ」そう言ってその話はそれまでだった。


(四)


 その翌年に、ひいばあちゃんは転倒して寝たきりになり、それから半年後に「あの世にいる、21歳の仁さん(ひいじいちゃん)に、98歳の萎れた汚いおばあさんをみて嫌がられるわね。私も早く散ってしまえばよかったわ」と冗談ぽく笑って、その3日後に亡くなった。
 あれから、ひいじいちゃんの言葉を考えて、特攻隊のことを勉強した。いろんな思いが浮かんだが、全てを桜のせいにして国のため仲間のため家族のために特攻隊への志願を選んだのだと思うことにした。
 ひいばあちゃんは、ひいじいちゃんの気持ちを理解して、桜を見ることで最愛の人を亡くした辛さや恨みを癒していた。国や時代や愛した人の選んだ道に愚痴や不満を漏らさず、毎年満開に咲き誇る桜の花を見ることで、この桜を愛した日本人とその歴史を一人噛みしめていた。毎年穏やかに静かに桜を見つめた心の内を私は少し理解できたことが嬉しかった。
桜を見るたびに二人があの世で仲睦まじく過ごしている姿を思った。


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