見出し画像

読書って。書評って。

さてさて、今回はこちらの記事

の、続きにあたるものをしたためてみます。何の気なしに村田沙耶香さんのエッセイを3冊連続で読んでみたら、読書や書評(読書感想文も含む)についてハッとする概念を得た、というところからでした。


仕事に関係する読書を除けば、私にとって読書とは、目的はあったり無かったり、とてもとてもゆるい関係性です。今何を読むか。次に何を読むか。一生のうちに自分が読める本は、一体この世界の本のうちどのぐらい微少な割合なんだろうと思うと、あまりのミクロさに気が遠くなりそう。。。
およそ何%ぐらいなんでしょうね。0.0000000000000000000000000000000001%ぐらい?いや、そんなもんじゃなさそうだな。。。

村田さんの書評にあったたくさんの本も、noteで読書感想や書評をシェアし合う皆さんに紹介されている本も、私はまだまだ読んだことのないものだらけ。気になった本は全部読んでみたい。でもそうこうしているうちに、新刊だって毎年星の数ほど出版されている。ブックマークは消化する前に増える一方。皆、無数の本たちから次に読む本をどうやって見つけているんだろう?私の読み方や選び方、マンネリ化してるんじゃない?

そんなことが頭の中でちょうどぐるぐるしてきたときに、村田さんのエッセイは私に新たな概念をもたらしてくれました。


初めての本も、同じ本も

村田さんは言います。

私にとって、本は異世界への扉で、読むものではなく漂う場所だった。だから同じ本を何度読んでも、飽きることがなかった。

村田沙耶香さん著『私が食べた本』P.171

本は読むものじゃなくて、漂う場所。どこにいても、瞬時に別世界に連れて行ってくれるもの。そういえばnoteでも、愛読家の方々は似たようなことを言われていたよな。自分にとっての「良い本」というのは、「またここに戻って来よう」と思えるものなのかも?いや、別にその時「良い本」でなくても、必ずしも相性がピッタリじゃなくても、「またあの場所に漂ってみようかな」って思ったっていい。

本に漂う、本に揺蕩う。

ああ、こうして村田さんの言葉を並べてみただけで、もうまるでどこかの書店や出版社のキャッチコピーにでもできそうじゃないですか…!(揺蕩たゆたうって、なんかカッコいいから一度自分でも使ってみたかった笑!)

そうか。本をたくさん読んだことがあるかどうか、詳細を記憶しているかどうかは、たぶん必ずしも重要じゃないんだ(それができる人は羨ましいけれど!)。だから、細かいところはすぐ朧げになってしまっても、読後の印象だけは鮮明に刻まれているのにストーリーが全く思い出せなくても、自分の記憶力を責めることはないんだ。だって、これからまた何度だって、その場所を漂っていいんだから。

読書とパフォーマンス

エッセイのあとがきで村田さんが引用されていた言葉も、グッときました。

私はスピーチをするとき、「読書は、音楽にたとえれば、演奏だ」という、作家の小沢信男さんの言葉をよくお借りする。
(中略)
十年後、二十年後、私は同じ楽譜を違う風に演奏するのかもしれない。

村田沙耶香さん著『私が食べた本』あとがき P.262

小さい頃や若い頃に読んだ本を、成長してから読み直してみると全く別の印象を受ける経験は、恐らく誰しもがあるであろう、ありふれた現象でしょう。その経験も含めて、読書というのは著者の織りなす言葉を受ける受動的な行為だ、と、私はこれまで認識していました。

でも、違うって。読書は、演奏なんだって。本から言葉を受け取り、自分なりに咀嚼して、考えて考えて理解していくその工程は、そうか、実はとても能動的なことだったんだ。作曲家(大昔の人でも、現代の人でも)の書いた譜面から、奏者によって少しずつ、もしくは全然違う演奏が成されることは、なるほど確かに読書の性質とそっくり。何て素敵な比喩なんだろう、と、目から鱗でした。

ということは、例えば誰かと本を交換して読み合ったりすることや、読書会というものは、「セッション」なのかな。今度、「ねえねえ、この本でセッションしない?」って友達に言ってみたら、どんな顔されるかな笑。

書評は食事

さて、『私が食べた本』では、村田さんと親交のある作家さんのうちのひとりとして島本理生さんも登場するのだけれど、その島本さんによる本書の解説が、また素晴らしい。

書評することにまつわる難しさ、不安、限界、、、そういった気持ちの変動を見事に言語化してくださりつつ、書評という行為の奥深さ面白さもしっかり表現されているので、興味のある方はぜひ全文も読んで頂きたい。

まさに「私が食べた本」というタイトルの通り、書評って食事みたいなのだ。食した本が自分の中で混ざり、取り込まれて血肉となり、形になる。

村田沙耶香さん著『私が食べた本』解説(島本理生さんによる)P.267

プロの作家さん同士が互いにリスペクトし合って書く書評の質の高さ、いやもはや崇高さと言ったらもう、素人の私はそのハイレベルなやり取りを見届けることしか出来ないのですが。

村田さんによる島本さん作品の書評(しかも複数)を含んだ書評集がベースとなる本書の解説(という名の書評)を島本さんが書くという、ねじれスパイラルのような構造(伝わる??)も、こんなに手軽な厚さの文庫なのに本書の奥行きをさらに増しています。
こんな素敵な解説を書かれる島本さんの作品も読んでみたい!

すると、何となく始めた私のこの読書感想文的なnoteも、思いがけず自分に栄養をつける大切な食事になっているのかも。


既にその域に達している方々からしたら、今回書いたことは実はものすごく当然な事なのかも知れませんが、今回の一連の言葉たちは、私のこれからの読書人生を確実に豊かにしてくれる気付きになったと感じています。

ああ、こうして、これからもマイペースながら読書沼にズブズブな私です。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?