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1人が一生のうちに他人に与える影響

2023年の3月28日、音楽家の坂本龍一さんが71歳で亡くなられた。SNSのタイムラインは世界中のミュージシャンや音楽レーベルからの追悼の言葉で溢れ、各界関係者から哀悼のメッセージが発せられた。また筆者の直接の友人・知人らも坂本さんとの個人的な思い出を綴っていて、こんなにも多くの人間が直接に交流を持っていたことに驚いた。1人の人間が一生のうちにどれだけ他人と深く交流し、互いの存在を自身に刻み込むのだろうか?そう考えると、坂本龍一さんの存在がどれほどの影響を及ぼしていたのか、まざまざの見せつけられたようで、その大きさに圧倒されるのであった。

私が10代前半の頃だったと思う、たまたま実母とテレビを観ていて、氏がピアノに足を乗せ、靴底で鍵盤をたたく姿をみた。母はピアノ教師をしていたので楽器に対する不敬罪でさぞ怒るだろうと恐る恐る母の顔を見ると「坂本龍一はすごいわね、足でもピアノ弾けるのね」と賞賛しているではないか。この人は何を言っているのか?と唖然とした事を今でも覚えている。その音楽を好きだったかと問われるとはっきりとしない。一聴して判るその独特な旋律は耳に残ったし、うっとうしく感じられるほど、彼の音楽群は私の生活の中にあった。

けれども、私にとって氏は社会運動家の側面が強かった。2001年のアメリカ同時多発テロ(9.11)の直後に発刊された『非戦』という本に影響を受けて私は僧侶の道に入ったといっても過言ではないし、NGOの友人たちが「これからNYで坂本龍一とミーティングだ」などと話をしていると羨ましくもなったものだ。音楽好きの仲間内でも「また忌野清志郎と坂本龍一が何か問題提起している」というような感覚で、かと言って見ぬふりもできず、持続可能な社会とはどういう姿か、考えざるを得なかったし、こう思い返してみると、影響を受けていたのだなと思う。

直接同じ空気を吸ったのは、2017年の「東京国際映画祭」で上映された氏ののドキュメンタリー『Ryuichi Sakamoto: CODA』上映の舞台挨拶で、ご本人が登壇された時だった。この時もかなり衰弱しておられた記憶がある。それと前後してだったか、BOILER ROOM(ボイラールーム)の日本開催が模索され、筆者の寺が坂本龍一氏の演奏候補地に上がった事があった。実現しなかったが、実現したらエポックメイキングな出来事になっていただろう。

結局、私にはついぞ直接氏とお話しできるチャンスは訪れず、映画館の舞台挨拶でお姿を眺めたのが唯一の機会となった。お人柄に直に触れられなかったので、どんな人物だったのかは判らない。実際にお会いしたならば、イメージと違う、なんて事もあったのだろうと思う。けれど私の人生の中にも、氏は確実に入り込んでいたのだった。

謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

Text by 中島光信(僧侶)

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